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『日本の常識を変えたい』久保利英明×松田憲幸 2021年1月対談(全4回)

久保利英明×松田憲幸(ソースネクスト社長)2021年1月対談 vol.1
『世界はどうなって行くのか。日本はどうするべきなのか』

久保利「日本は沈没ですね」

こんなに皆が一つのことに集中して、ニュース番組が必ずコロナから始まるわけでしょ。みんな怯えているわけじゃないですか。人間で一番ダメな、怯えちゃだめだよね。怖くても、いやそれって何だろうって関心を持ってチャレンジしていくという所、たじろがないということが必要。もちろん安全はしっかり守らないといけないんだけれども。要するに恐れることによって恐れが現実化しちゃうんだったら、どうやったら恐れないでいけるかということを考えた方がね。ずっとまともじゃないかと思うんです。

松田「日本って、全部同じ方向にいくじゃないですか」
アメリカって違うことを良しとする。他の人と同じことをするのがいいという日本。ここが根本的に違っている。祭日がものすごく多いし、みんな同じ日に休まないといけない。日本は多様性を認めるというのをやらないと本当に怖い。ビジネス的にも絶対、そう思います。

久保利「松田さん、おかしいと思わない?」
人間ってみんな多様性で、右利きの奴もいれば左利きもいる、いろんな人がいて、世界は成り立っているのに、みんな一律にしましょうという苦労を日本人はずっとしている。その苦労をやめたら、一挙に多様性が出てくるんだから、こんな修正可能な簡単な方策はないんじゃないですか。みんな一緒でなければいけないというね。そうじゃないでしょと思います。

松田「日本の常識っていうのが、世界に出ると通用しない」
日本で生きていたら当たり前なんですけど、一歩外に出ると当たり前ではないということに、たくさん直面しました。シリコンバレーって、面白い会社がいっぱいある。だからあんなに大成功してる。日本で、何でスタートアップが生まれにくいのか。社長になりたい人が少ないということはあるんですけど。ほとんど規制です。(日本は)やろうと思ってもリーガルチェックから入る。アメリカはとりあえずやっちゃおうよで始まる。やっているうちに法律がだんだん変わっていく。日本では出来ない。法律的にまず無理。 C to C は無理。

久保利「逞しさを、日本人も持っていると思うんだけど。革命的な、もうこの体制変えようよという動きがなくなってきてますよね」
松田「ここを変えたいですよね。そこが変わると、もっとできる」
久保利「今は、みんな完備して法律ができちゃったんですよね。そうすると、いろんなことが不自由になってきている。結局、規制の強いところから経済は落ちてくんだよね」

久保利「若い者がこの国を出ようと(思ってほしい)どこへでも行けばいいと思うんです」
松田「そうですね。それもないから、ちょっとおかしい」
久保利「それもないからおかしい。この国変えるの、えらいエネルギーが必要なんだから、だったら、もう外に出てね、外で自由にやっちゃっていい」

久保利英明×松田憲幸(ソースネクスト社長)2021年1月対談 vol.2
『出会った時のお互いの印象』

松田「すごく怖い方だって、ビビッてたんです」
久保利「こわい?」

久保利「僕、小さいときからおばあちゃんに「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と教育されて。それはいいなあと思って。かっこいいかもしれん。ただ、それには実らないと始まらない。スカスカの穂でお辞儀ばっかりしてるとただの卑屈だから。立派な人物になってしっかりみんなに変わらぬ態度で接したいよね。そのほうがお互いハッピーだもんね」
松田「私が父から学んだのは「親しき中にも礼儀あり」親しくなるとだんだん慣れ合いになってきてしまう。何も言わなくなってきてしまう。これが問題だと。親しい人だからって何もしないっていうの問題だと言われて、これは私の中で響きました」

久保利「変わることへの恐怖心というのを日本人はもう捨てさらないといけない」
変わりたい、もっと自由でありたい、何でもやってやる、こういう気持ちを持たないと日本の未来はないのかなぁって僕、思うんですけどね。
松田「マジョリティになっていくと日本て、強いじゃないですか」
そこに行くのが大変なんですよね。当たり前の常識に行くのに。他の人がやってるかどうかっていうのが重要で、多分世界で皆が活躍するのがバンバン出てきたらひょっとしたらその波で。その一つの波に乗れたら、創れたらいいなと私は思っていて。

松田「今、アメリカに住んでる人は、上場企業では2社です。二人です。シリコンバレーは私一人だけです。3800社あっても1社しかない」
久保利「駄目だね。もっと多数派にならないと」
松田「元々久保利先生から「アメリカに住まないとダメだ」って言われたのがあったからです。普通は逆に「何やってるんだ」って止めるところ出していただいたので今の私があります」

久保利「大きな決断なんて、僕は大してしたことがないけど」
松田「私は、起業したことが決断だったかもしれないです。私の中では大きな決断とは思ってないんですけど、普通の人から見ると「なんでそんなことしたんですか」って言われます」
久保利「それも、日本人の普通の」
松田「普通でないと言われると私は嬉しい方なんで」
久保利「僕も嬉しいです」
松田「いっしょですよね、同じですよね」

久保利「僕はどうもサラリーマンには向かないし、官僚はできないし、政治家って、明日から政治家やりますというわけにもいかないし。弁護士やろうと。消去法ですよ」
松田「消去法だったんですか」
久保利「なんも俺、できそうなものとか好きなものってないじゃん。そうすると消去法で、みんなこう、なりたいもの、ない、ない、ない、ないでやっていって、弁護士だけはやってみたいな、いいなあと思ったんですよ。リスクなんか考えてないとこで、人は死んじゃったりとか事故が起きたりするわけですから。そういう点では決断なんて大したことじゃない、好きなようにやったらいいんじゃないですかと思います」

久保利「弁護士としては初めに森綜合というところに入って、まだ森良作先生が生きていて、これが転機といえば転機ですね」
依頼者のためにしっかり仕事をすればそれでいいんだ。つまらん理屈並べて依頼者が満足しないっていうのは一番困る。それが弁護士の本分だからとおっしゃって。そうだなぁと思って森綜合に入ったのが、一つの大きな決断ですね。合計で50年、今年(2020年)ちょうど50周年。

松田「私の転機、僕はやっぱり創業ということになるんでしょうね」
IBM で先輩宛にかかってきたヘッドハンティングの電話をたまたまとって「彼いるか」ってなって「いやいない」と答えて。外国人だったんですよ。そこで「お前誰だ」と聞かれて「ノリ・マツダ」だと答えたら、そうしたら「お前なんか面白そうだから来ないか」と言われました。それでヘッドハンティングの会社に行ったら、面白いと言われて、いっぱいオファーが来ちゃった。なんか面白そうだから辞めようと思ってIBMさんに話したら「そこに行くよりはもっと違うのがあるよ」ということになったんです。「協力会社のニューヨークにある会社が日本に支社を作りたい。そこのGMを探しているのでそれをやらないか」と言われて、一応そこにサインしたんですよ。そうしたらなんかどんどん要望が来て。「事業計画書をくれ」と言われたんで送ったら「人件費が高い」 「この社員、何でこんな奴に5万ドルも払うのか」当時円高だったので。自分の会社の社員も自分で決められないんだ、これはひどいと思いました。どうやってその社員に責任持てるのかと考えて「そっか。自分で会社作ったら自分で社員の給料も決められるし、少なくとも責任は持てる」と思って、それで独立したという。

久保利「打撃の錯誤と言うか、 こいつやろうと思って行ったら、くるっとまわって、違う方向に行っちゃったわけだね」
松田「これが良かったんだと思います。次のソースネクストにつながったんです。だから私のなかでは、何が転機かというと、その「電話を取ったということですね」」

久保利英明×松田憲幸(ソースネクスト社長)2021年1月対談 vol.3
『人生の選択において他の選択肢の方が魅力的に感じてしまったこと』

松田「私あんまり感じたことない、過去をほじくらないので。過去は100%肯定します」
久保利「変えられないしね」
松田「変えたら全部変わるはずじゃないですか。ここだけ変えるっていうのはすごい不都合で、そんな都合の良い話はない。上場がうまくいかなくて久保利さんにお会いしてるので(笑)うまくいってたら、久保利さんに会えなかったら、シリコンバレーの生活もないかもしれない」
久保利「確かにシリコンバレーはないかもしれないね」
松田「ないと思いますね。結局、最大の失敗をしたことからいい人に出会って、その人たちのおかげで今があるというケースしかなくて。最大の失敗はしたほうがいいんじゃないかぐらいの」

久保利「失敗は、成功のもとですよね」
人間って本当に人と同じ人生なんか、歩むもんじゃないと僕は思いますよね。好きなように生きたらいい。松下幸之助じゃないけど、やってみなはれ。やってみて、失敗して、自分で失敗を味わって、成功にどんどん近づいていく。
松田「チャレンジしたらいい。ビビっても意味がないと思ってる」
久保利「ほんとですよね。なにもそんなに恐ろしいことはないよ」

松田「だいたい、今までの人脈で、何でこんないい人と会ったんだろう、って辿って行くと、やっぱりすごいやばいことになって」
久保利「やばいこと(笑)失敗は大事なんですよ」
松田「ただ、久保利先生にこれも教えてもらったんですけど「失敗はいいんだ。でも同じ失敗は2度するな」っていう。それが私はずっと頭に入ってまして。本当にそう思います」

久保利英明×松田憲幸(ソースネクスト社長)2021年1月対談 vol.4

久保利「この会社(ソースネクスト)のスローガンというかモットーは、エキサイティングということなんだよね」

松田「私がエキサイティングだと思うのは、苦難になった時に、これは何かやらなきゃいけないというメッセージじゃないかなと思うんです。本当にダメな時にも絶対、ダメなときこそ何か絶対宝物があるっていう、これなんか鉄則なんじゃないかなと思います」

久保利「他の人に見えないものが見えるんですよね。 これが運とも言えるし、発見能力とも言える。僕はあのこういう機材、ひとつ十何万するというのは大丈夫?在庫抱えたらどうしようもなくなるよと、今まで在庫商売したことがないので、大丈夫ですか?って、心配になってお尋ねしたら、いや、これちゃんと契約書上に入ってて、それだったら広告宣伝費あんまりいらないんだねとかね」
松田「日本って、今年(2020年)の3月までは、何の機械もない、対面用のミーティングルームが想定されているわけですね。私はこの会議室に大きなマーケットがあるなと思ったんです」

久保利「10年後のソースネクストをどんな風にイメージしていますか。
あるいは、数字的にこのくらいの規模、利益になっててほしいというのがありますか」
松田「いろんな国籍の方がいて、1000人ぐらいの全体にはなってないといけないし、時価総額も兆円レベルになってないと面白くないなと思ってます。それがごく普通にどんどんできているところを見ると、私はどうしてもそっちを基準にしたいと思うんです。ここで何兆円とかいうと、えっ?となるかもしれませんけど、そういう企業になっていかないとエキサイティングじゃないし、それを見て、日本でも起業することがいいって思って欲しいです」

久保利「固定概念があって、前例踏襲をみんなが思う中でね。いや、俺は俺だ。という風にビジネスをやる。リーガルをやるってね。意外といないもんなんですよね。好きにやったらいいじゃないかと思うけれども。だからそういう変わった二人が、励まし合った(笑)」
松田「(笑)根本的には常に明るくやろうとか、楽しくやろうとかいうところが多分あるから、変わっていても、ただ暗かったらもっと怖い」

久保利「暗いのはダメ(笑)」
松田「やりたいことは」
久保利「やる」

【松田憲幸/PROFILE】
ソースネクスト株式会社社長(2021年2月~代表取締役会長 兼 CEO)1989年4月 日本アイ・ビー・エム株式会社入社
1993年 9月 有限会社トリプル・エーを設立 代表取締役社長
1996年 8月 株式会社ソース(現ソースネクスト株式会社)設立
                   代表取締役社長
2012年9月 SOURCENEXT Inc. President&CEO
2017年6月  ロゼッタストーン・ジャパン株式会社 代表取締役社長

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