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【弁護士になって初めて取り組んだ事件の相手方が国とわかったとき、どう思いましたか?】

【弁護士になって初めて取り組んだ事件の相手方が国とわかったとき、どう思いましたか?】今回は、スタッフからの質問に答えていただきました。文・久保利英明

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同年配の弁護士の回顧録に、1年目に担当した事件のことが書かれていた。私もそうだが、弁護士1年目に取り組んだ事件が、50年の弁護士経験を重ねても尚、思い出に深い事件であり、弁護士としての人生を決定づけることにもなるように思う。

その意味では、1年目に担当したのが、釧路村山牧場国有地時効取得事件と薬害スモンの原告代理人となった国家賠償事件であったことは、私の弁護士人生を通貫している。

現在の、一人一票原則に基づく2009年以来の衆参選挙無効事件や、憲法53条に基づく臨時国会召集要求拒絶に対する国家賠償事件など、国相手の事件はいずれもこの潮流に沿っている。


国を相手にする事件を好んで選んだわけではない。

しかし、この国の政府や官僚はしばしば民主主義に反し、私人や私企業の権利を侵害してくる。
国が正義に反し国民の権利を侵した場合には、私は国を相手にすることを躊躇することはなかったし、これからもそうありたいと願っている。

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【どうして釧路の牧場事件を担当したのか】

なぜ、遠い釧路の事件の依頼が東京の森綜合に舞い込んだのか、一年生の私が国を相手とするその事件の主任になったのかを、説明します。

森綜合には、もう亡くなられてしまった福田浩さんという帯広市出身の弁護士がいました。福田弁護士の知人に釧路在住の司法書士さんがおり、その司法書士さんの依頼者に釧路の大牧場主がいたのです。

その大牧場主は、土地の不動産開発を行っていました。ある日、彼ら(大牧場主)が自分の所有地と信じて開発を予定していた牧場の跡地に、ブルドーザーが入り込み、牧柵の撤去を始めました。国が、産炭地域振興事業団と組んで工業団地を造成するというのです。

慌てた牧場主の村山さんは、当時数人しか居なかった地元釧路の弁護士のところに駆け込みましたが、全て断られてしまいました。

国の代理人をしているから利益相反で引き受けられないとか、国や道にはお世話になるので仲良くしていたいから訴訟は受けたくないとか、この土地は登記上国の所有地なのでいくら戦争中に買い取り占有を続けてきたと言っても国有地の取得時効はあり得ないなどと、様々な理由を付けられて、結局相手にしてもらえなかったというのです。

そこで困り切った村山さんは、司法書士さんのつてで東京の森綜合に頼もうとしたのです。9月中旬のある日、村山さんと司法書士さんが事務所にお見えになり、福田先生と私が相談に応じました。

そこで分かったことは、北海道の国有地には国有未開地という範疇があり、これなら取得時効の対象になり得るということでした。

牧柵の撤去工事が始まったため、一刻も早く仮処分が必要だということになりました。当時森綜合では、新件のみ新米弁護士に配転する原則があり、暇をかこっていた私が主任となりました。

福田先生はもとより、本林、古曳の両先輩弁護士は忙しいので、私一人が即刻釧路に飛ぶことになりました。秘書がすぐに予約を取り、その日のうちに着の身着のまま、小型カメラやポラロイド携帯録音機を持って、帯広経由のターボプロップのYS11機に乗り込みました。

村山さんは牧場で小さなホテルも経営していたので、洗面具も沼地を歩く膝上までの長靴も貸して貰いました。

そのまま1週間現場調査をしました。牧場全体が400町歩(120万坪)あり、係争部分だけでも20万坪という、18ホールのゴルフ場が作れる広さと分かりました。この部分は谷地と呼ばれる低湿地で、牧柵以外に境界識はなく、登記所にも公図はありません。牧柵は明治時代に国から付与を受けた際の標識で、以後も軍馬の放牧や牛の牧場として利用されてきたのです。

<弁護士1年目の事件 国を相手にした【釧路村山牧場事件】が私に与えた使命>につづく


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