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ほんとうに欲しいものは手に入らない

絵が描けたらよかったし歌がうまかったらよかった。足が速くて背が高かったらよかった。初恋が実ればよかったし誰にも裏切られなかったらよかった。人には人それぞれの祈りや願いがあるのだと思う。

どうしても叶えられなかったことや手に入らなかったもの、全部がうまくいく夢をたまに見ます。それが夢だと気づいたとき、まだ目を覚ましたくなくてわざと起きないようにしたり... もう少し、もう少しだけ、と。それでも覚めてしまったときは瞳を閉じたまま涙が溢れていくのが分かって、とてつもない哀しみに襲われます。

それなりの年月を生きて、手に入るものと入らないものがなんとなくわかるようになりました。 というより、ほとんどのものが手に入らないのだと気づきます。大好きだったあの人の横顔、ずっと続いて欲しかった時間、もう見られない風景、守れなかった約束、死んでしまった家族、老いていく自分、果たせなかった夢。小さなことも、大きなものも。ああ、ほんとうに近くにあって欲しいものほどいちばん遠くにあるのだ… と心に染みて知っています。

いつか離れ離れになる。ずっと一緒にはいられない。人とはなかなか分かり合えることはない。毎日がそんなことの連続で、ずっと哀しい気持ちを抱えています。それがとてももどかしくて切ない。

でも、それでいい。たとえ、届かないとわかっていてもそこに向かって手を伸ばそうとする感覚が強くしてくれるし、生かしてくれる。その奥底にある哀しみにはきっと意味があるはずで、叶えられなかった時間や失ってしまった言葉こそがその人を形作っている。今の自分はどうしても叶わなかったことでできている、と感じています。だから、むしろ、叶わない、は大切にしたい気持ちなのです。

そうやって選べなかった人生のあちら側には、その度に、もう一人の自分とほんとうは出会えたかもしれない人たちが一緒にいて、こちら側では起きなかった道を歩んでいるはず。だから、いつだってその幸せを祈っているし、あちら側もきっと同じだといいなとも思っています。

そして、失ってしまったこと、そこにはもうないもの、それこそが「写真」ではないでしょうか。なぜなら、そこに写っているものごとのほとんどは残酷なまでに消えてなくなってしまうからです。愛おしいのに一瞬でなくなってしまい、大切なのに忘れてしまいます。でも、それこそを写したいと思っています。絶対に手の届かないことへの憧憬や郷愁が自分に写真を撮らせるし、その感覚こそを撮りたいのです。写真は、奇しくも、まさしく暗闇から光に向かって手を伸ばすようにしてつくられます。光があるからこそ写すことができるのですから。

ほんとうに欲しいものは手に入らない。だから、それでも生きていく。

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