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み言葉の考察① 「私たちの家庭は真の愛を中心として」の【中心】を考察する

文鮮明先生が私達統一教会員に遺した「家庭盟誓」ですが、八節すべての最初に「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として」と始まっています。この【中心として】とは、どのような状態、関係を指すのでしょうか。
この内容を考えるときに、私は「四位基台」とはどういう基台なのか、をよく考えます。

原理を講義する際、四位基台の図として、この形でもって説明する人がほとんどであり、ほとんどの教会員が「四位基台」とはこのような形だ、と理解しているのではないか、と思います。しかし、です。原理講論には、この続きが実は書かれています。

第一章 創 造 原 理
第二節 万有原力と授受作用および四位基台
(三) 正分合作用による三対象目的を完成した四位基台
(4) 四位基台の存在様相
 正分合作用により三対象目的をつくって四位基台を完成した存在は、いかなるものでも、円形、または球形運動をなして、立体として存在する。今、我々はその理由を調べてみることにしよう。正分合作用により神の二性性相が、各々その実体対象に分立された主体と対象において、その対象が主体に対応して相対基準を造成すれば、その対象は主体を中心としてお互いに授ける力(遠心力)と、受ける力(求心力)とを交換しあって授受作用をするようになる。このように、主体と対象とが授受作用をするようになれば、その対象は主体を中心として互いに回転して、円形運動をするようになるから合性一体化する。また、これと同一なる原理によって、

その主体は神の対象となり、神を中心として回転して神と合性一体化し、また、その対象が、このような主体と合性一体化 するようになるとき、初めてその合性体は、神の二性性相に似た実体対象となる。

このように、その対象は、その主体と合性一体化することによって、初めて神の対象となることができるのである。


さて、この原理講論に書かれている「神を中心として」の「中心」とは、どのような場所でしょうか。少なくとも、最初の図にあるような「上」ではない、と私は思います。
NHK BSで放送されている「ヒューマニエンス」という番組の2023年7月10日放送「“宇宙体験” 私たちの“次なる章”がはじまる」では、宇宙飛行士の野口聡一さんは「無重力空間では序列を作ることそのものに意味が無くなってくる」と話されていました。集合写真を撮ると、確かにキャプテンは中心に写ってはいるが、上下関係ではない、と話されていました。
これはどういうことでしょうか。つまり、この四位基台の形は堕落人間が考えた「序列」の考えを抜け出せていない、という事だと私は思います。神が上で子供が下?球形運動するような無重力に上も下もある訳がありません。親と子の関係が上下関係だと思っているのならば、それは大きな間違いであり、神様の存在も「私の上」にいると考えること自体が、既に親子関係ではなく主従関係なのだろう、と思う訳です。

さて、では私達は「中心として」をどのように考えて生きるべきなのでしょうか。神様から降ってくる「言葉」を待つ、例えば教会長の言葉を「神様の言葉」と考える、または親として子供に「命令する」ような考え方は間違いであり、お互いが対等の立場で「真の愛」を中心に置いて話をして、意見を一つにする、それはお互いがお互いを考えて、ひとつになろうとすることが、重要だろうと私は思います。
ですから私は子供に何かをしてもらいたいときも常に「プレゼン」を子供にします。「パパはこうして欲しいんだけど、〇〇さんはどう思う?」実は私は子供を呼び捨てにしたこともありません。そうやって子供の意見を聞きながら、納得してもらうように話すことが重要だと思い行動しています。そうやっていつも夫婦、子供との関係が、いつも「神様を中心にして考え行動する」ように生きる事こそが、完成された人間なのだろう、と私は思っています。

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