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み言葉の考察②-1 「私たちの家庭は真の愛を中心として」の【真の愛】を考察する(補足)


これは昨日、私の子供が持ち帰ったものです。
「真の愛」とはどのような愛なのでしょうか。
少なくとも私は子供に「挨拶をしなさい」と命令した事も指導をした事もありません。真心を込めて子供に毎日「お帰りなさい」と挨拶するだけです。
今教会員の多くが世間の「反社」の言葉に腹を立て「俺たちは反社じゃない」と抵抗しています。しかし、私は思うのです。どんな悪人であったとしても、毎日笑顔で「おはようございます❣️」と挨拶されたら、その人の事を「悪い奴だ」と思うでしょうか。私は、今統一教会に起きている事を、教会員は真摯に受け止めなければいけない、と思っています。


文鮮明先生自叙伝(平和を愛する世界人として) 
第五章 真の家庭が真の人間を完成するー結婚と愛
より抜粋

愛の土台となるのは、お互いがお互いのためにすべてのものを捧げる犠牲の心です。

父母の愛が真の愛であるのは、持っているものをすべて与えても、もっと与えたいと思う愛だからです。
子供を愛する父母は、与えたことを覚えていません。「おまえには、何月何日にゴム靴を買ってやり、服も買ってやった。おまえのためにこれまでさんざん苦労したが、その代価はいくらだ」と帳簿に書いておく父母は一人もいません。かえって、自分が持っているものをすべて与えても、「これ以上与えることができなくて本当に済まない」と言うのが父母です。

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