後輩と展示会をしてたら何故か師弟関係について考え始めた
【後輩と展示会をしてたら何故か師弟関係について考え始めた】
とまあほとんど備忘録のようなもの。僕には師匠(友達)がいるので、その過程を踏まえて思ったこと。
それは、誰かが誰かに伝えるとはどういうことか、ということ。何かを伝達する、何かを教えるとはどういうことか。僕はプロの弟子(仮)なので、特に1:1で起きうる弟子(仮)から感じた師匠(友達)の感覚値のようなものを言語化しておこうと思う。
ちなみに、僕らの師弟関係は現在リニューアルオープンに向けて休業中なので「師匠(友達)」「弟子(仮)」という面倒くさい表記をするがご容赦。
つまり、休業中ゆえに書けることもあるということ。
実は4月に大学のゼミ現役生とOBOGを混ぜた展示会がある。その準備の過程で感じた事を通して、何故か師匠の立場とはどういうことかを考えるようになった。
ゼミの展示会の準備を進める中で、当然後輩たちとのコミュニケーションが増えていく。どうしたって先輩ズラが増えてくる。後輩たちは基本的に「教えてください」のスタンスだし、こちらも「教えるスタンス」になっていく。
長らく弟子業をやっていると、己の先輩ズラの仕方が師匠(友達)に似てきた事に気が付く。「あぁ、なんか今の説明は師匠(友達)に似てるなぁ」「この話、あの時師匠(友達)に教えてもらったことかぁ」なんて山の如し。
伝承とはこうやって起きていくのか。師匠(友達)が僕の中に顕した足跡を辿り、次世代へと繋げていく。彼らがどこまで僕の言葉を足跡にするかは分からないけれど、確かにそこに顕そうとしたのが尊くもある。
でも、人に何かを残そうとするとは、とてつもない重積がある。「伝えてしまったのだから、ケツを持つ覚悟」がどうしても出てくる。
【ただ伝える、ただ教える】など簡単なことでは無いのだ。教えてしまったら最後、それは弟子が転んだ時の責務のようなものが起こりうる。
弟子(仮)になった頃は気が付かなかった、もしくは知りえなかった師匠(師匠)というポジションの重荷のような何かは、師弟関係の第2段階に入って段々と分かってくる。
まあ今は師弟関係リニューアルオープンに向けて休業中だから。だからこそ、こうゆうメタ的な捉え方が出来る。かもしれない。
ちなみに、「なんか似てきたなぁ」と思ったのは人生二度目で、22歳くらいの時に些細な仕草が父親に似ていることに気が付いて以来となる。
師弟関係と親子関係は似ているのかもしれない。もしくは、父親を師匠のように思っているのか、師匠を父のように思っているのか。ここに師弟関係共通の普遍性があるかは分からない。
気付きおわり
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