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小学校の苦悩

 皆さんは、小学校についてはどのような印象をもっているでしょうか。まあ、おそらく自分がずっと以前学んだ頃のふんわりしたイメージだったり、参観日に行ったときのお子さんの様子が残っているのではないでしょうか。
 でも、最近の小学校は、以前とは随分変わってしまっているようです。

悩み多き小学校の先生

テストの成績
 
学習がひと区切りつくごとに行う単元末テスト、標準学力検査NRT・標準学力検査CRT、全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)など、年間にはかなり多くのテストが行われます。

 学習がひと区切りつくごとに「子ども達はその学習を理解できたかな?(単元末テスト)」、学年が始まるときには「前の学年の学習は理解できてるかな?(NRT)」学年が終わるときには、「その学年での学習が理解できたかな?(CRT)」など、子ども達の理解度を調べ、教師の指導の反省材料となります。

 全国学力テストは、小学校では6年生だけが受検し、6年間の学習が身に付いているかを調査するために全国規模で行われるテストです。内容は年々変化してきており、覚えていることを書くような問題ではなく、粘り強く考え続ける力がないと解けないような問題になってきています。(昨年、知識や理解を問う問題としては漢字が2問、計算問題が2問だけでした。)
 この全国学力テストは、毎年都道府県ごとに点数とランキングが出るので、現場の教師にとっては結構なプレッシャーになるかもしれません。そのため、以前は成績を上げるため過去問をたくさん解かせるような対策もしていましたが、最近は過去問対策はしないということになっているようです。

 日本では、その学年で身に付けるべき学習内容は決まっていますので、全部の子どもがちゃんと身に付けたかを都度調べることが必要になってきます。従って、頻繁にテストが実施されることになるわけです。でも、取りこぼしている子ども達も実はたくさんいるんです。学年で決められた学習内容を全部の子どもに1年間で身に付けさせるというのは、そもそも無理なのかもしれません。でも、あとになってから「あっ、そうだったのか。」なんて気付くことだって結構たくさんあるんです。
 まあ、これは教師、子ども双方にとって結構なプレッシャーになっていると思います。テストが好きな子もいますけど、やはり勉強がよくできる子でしょうかね。

子ども達同士のもめ事 
 子ども達同士のもめ事は、昔からありましたが、昔のように先生が双方の言い分を聞いて、その場でガツンと叱り、それで解決!などという単純なもめ事ではなくなってきているようです。

 まずは、そのもめ事に対して正しい判定(自分に有利な判定かもしれませんが。)を子どもが教師に対して求めるようになりました。有利な判定に持ち込むために正直でない言い分も増えてきたような気もします。(エライ大人にも「覚えていません。」と言い張る人がいるので当然なのかもしれませんね。)そのせいもあって、双方から状況などを聞き取り、矛盾点を探し出し、真実(?)にたどり着くまでに異常なほどに時間がかかるようになりました。同じ学級のもめ事ならまだともかく、登下校、昼休みなどのもめ事で学級が異なる場合は、さらに大変になってきます。

 ここで終わればまだいいのですが、教師の判定に不服がある場合は、その保護者が登場してくることがあります。時には、学校での子どもの言い分と少し違った内容になっていることもあり、もめ事の内容について、またはじめから丁寧に説明しなければならないことにもなります。が 、それで納得できず事態はさらに難しくなり、管理職、教育委員会まで巻き込むことも少なくないようです。

 これらのことについては、確かに教師側の対応に問題がある場合もあるのかもしれませんが、子ども同士のもめ事の処理に時間と神経をすり減らし、ヘトヘトになってしまう教師も少なくありません。

 こんな様子を見ていると、工藤先生が言うように、子ども同士のケンカやもめ事については、当事者や周りの子ども達がケガをするような時は止める必要はありますが、教師が仲裁に入ったり、どちらに問題があるのかを判定したりするのをやめた方がよいと思います。(子どものケンカ「仲直りを促さない」凄い教育の訳 https://toyokeizai.net/articles/-/720880 )

日々多忙
 
現代は仕事をしている皆さんはすべて多忙です。現代の学校の教師もかなり多忙な日々を送っています。

 随分以前は、放課後、教員同士でテニスをしている姿を見かけることもありましたが、私が教職に就いた頃からだんだん多忙になり、朝は7時頃から夕方は8時頃までの勤務することが多くなりました。全教科の授業をすべて行わねばなりませんので、毎時間毎時間気を抜くことはできませんし、授業と授業の間の10分は、次の授業の準備や理解できなかった子どもの指導などでトイレに行きそびれる教師もいたようです。また、昼休み時間は子どもの宿題や自宅で勉強したノートなどを見る時間に充てるので、職員室でお茶を飲むくらいが精一杯だったでしょうか。長期休業中も研修等で多くの日数を学校で勤務するようになり、年休はほとんど使わないので、年休20日を繰り越し、毎年年休40日でした。でも、子ども達と過ごす毎日は結構楽しく、子ども達も比較的素直で、保護者からのクレームもなく、苦痛に感じる日は、ほとんどない時代でした。

 こんなに忙しくなったのも文科省の施策が大きく影響しています。10年に1回くらいの周期で、文科省が教育内容をコロコロ変えてくるので、それを各学校や教師は必死で修得しなければなりません。あるときは子ども達の学習にゆとりを持たせろと言ってみたり、OECD加盟の各国の高校生が受ける国際的なテストの成績が悪いと、考えが一変して学習内容や時間をどっと増やしたりするというコロコロぶりで現場は混乱状態でした。その後も英語が必要だと言って教科にしたり、コンピュータが必要だと言って子ども達一人一人に配付してどんどん活用しなさい、道徳の授業をもっと強化しなさいと言って、時間数は増やさなかったものの、取り扱い方を厳しくしていきました。教育施策は、100年後の日本の未来をどうするかという長期的展望に立って検討されるべきだと思うのですが、何となくお偉いさんが上から眺めながら、都度「こうしよう、ああしよう」と場当たり的なマイナーチェンジを繰り返してきた感じがします。

 しかし、最近、文科省の言うとおりだけではない独自の考え方をしていこうとする自治体が出てくるようになりました。文科省の方針に危機感を持った自治体だと思います。ただ、文科省の言うことは法律と同等ですので、全く従わないと法律違反となります。許される範囲ということになりますので限定的と言わざるを得ません。
 

先生が足りない 
 どこの学校でも悩んでいるのが、先生がいないことです。学校の仕事のブラック化が騒がれるようになり、教員を目指す学生もどんどん減少しています。臨時的任用教員を希望する方もほとんどいなくなり、管理職は必死で退職した先生などに電話で声かけしているのですが、さっぱり反応がないようです。校長自ら学級などに入り授業の補充をしているところもあると聞いています。

 ひとクラス40人を35人学級にしたり、8人定員の特別支援学級が激増していることも、先生不足に拍車をかけているのではないでしょうか。教員免許がなくても社会人枠で採用試験を受けられるようにした県も出てきていますので、近い将来それも一般化するのかもしれません。

不登校
 不登校や不登校傾向の子どもが増えていることについては、ご存じの方も多いと思います。都城市でも300人、宮崎市では1000人を超えているようです。不登校は全国で30万人です。コロナ禍が引き金になったとは言え、コロナ禍が収束しつつある今も増加傾向ですから、もっと異なる根本的な要因があるのだと思います。

 余談ですが、不登校の原因探しをしたり、無理矢理学校に連れて行こうとしたりすることは、多くの不登校の子どもには役には立たない対策だと思います。原因が分かったからと言って学校に行くようになるわけではないし、無理矢理連れて行っても、またすぐ登校できなくなったり、もっと悪化したりする可能性があるからです。家から外に向かう力が出るまでじっくり待って、その後、行きたくなるような家庭以外の居場所(含 学校)を見つけ出すことが大切だと思います。

 以上、いろいろな小学校の苦悩を述べてきましたが、対策はないのでしょうか。先生が足りないことについては、行政の力を借りないと学校ではどうすることもできませんが、それ以外のことは何か方法があるのではないかと私は考えています。それについては、次の記事で書こうと思います。

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