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学びをせむとや生まれけむ

”遊びをせんとや生まれけむ”は、平安時代末期に後白河上皇が編纂した梁塵秘抄りょうじんひしょうの中にある歌(今様)の一節です。この歌は、『遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん』と続きます。

この歌の”表の解釈”は、人は遊びをしようと生まれてきた。戯れにただ興じようと生まれてきた(・・・はずなのに、大人になるとあくせく働き、人間関係に疲れ悲しみ、不運を嘆き・・・)、のようになります。後半の反語表現の部分は、”行間を読んだ”解釈になります。この歌は、さらに以下のように続きます。

 『遊ぶ子どもの声聞けば 我が身さへこそゆるがるれ』

この意味は、遊ぶ子どもの声を聞くと、大人の自分も声に合わせてつい体を揺すってしまうよ、みたいになります。梁塵秘抄に収められた今様いまようは大衆向けの現代歌謡で、当時はメロディー付きで歌われていたようです。

この歌には”裏の意味”もあります。今様を歌っていたのは、遊女あそびめなどと呼ばれた女性たちです。”遊び”や”戯れ”は、子供の遊びではなくオトナの遊びを意味していて、実は我が身を売って生きる境遇を嘆いていると言うものです。

話は変わりますが、私は大学教員ですから、常に”学び”を意識しています。基本的には毎日、研究や教育をしています。日常は『学びをせむとや生まれけむ』ですが、それだけでは息が詰まってしまいます。私は研究にも、遊び心が重要だと考えています。その意味では、”学びをせむとや”は”遊びをせむとや”と同じになります。

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