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初ボーナスの思い出

 6月はボーナスシーズンです。今日、少し前から勤め始めた娘が初ボーナスをもらいました。そんなわけで、私も初ボーナスのことを書こうと思います。

 私が九州大学に助手として勤め始めたのは、中途半端な6月でした。年度初めの4月だと同時期に採用される人が多いのですが、6月はたった一人の私だけでした。その当時は、国立大学の教官は国家公務員でしたので、工学部長の前で、”・・・日本国憲法を遵守し・・・”というような宣誓書(?)を読まされました。私は講義を受けたこともあり、工学部長のことは少しだけ知っていましたが、向こうは私のことなど知るはずはありません。しかし、宣誓書を読み終わった後に、「君の学位論文は読ませてもらったよ」と声をかけてくれました。宣誓書を読んだのは工学部長室で、その部屋には工学部長と工学事務部長と私だけの3人でしたから、気まずい雰囲気を和やかにしようと気を使ってくれたのかもしれません。

 当時の国家公務員の給料日は月の中日の15日だったので、2週間しか働いていないのに給料を頂きました。しかし中身を見てビックリ、ほぼ1か月分の満額近くが入っていました。こんなにもらっていいのかと心配になって、「まだ2週間しか務めてないのに、ほぼ1か月分が入っているんですけど間違っていませんか?」と事務担当者に聞くと、「最終的には年末調整があるから心配しなくても大丈夫だよ」と教えられました。

 さらに2週間経って6月末になると、ボーナス(賞与)まで頂けました。まだ1か月しか務めていないので、もちろん初ボーナスは金額も少なく10万円程度でしたが、それまでボーナスをもらったことが無かったので、給料以上に嬉しかったことを覚えています。

 その頃はまだ現金手渡しだったので、給料袋に現金が入ったものを渡されました。最初のボーナスは少額でしたが、年末のボーナスは満額なので結構入っていました。また、当時の国家公務員には3月にも半月分のボーナスが出ていました。現金渡しだと、エライ教授の先生は結構な金額になります。給料日やボーナス支給日には、古い黒塗りの金庫に収められていた給料袋をもらうのですが、「○○先生のボーナス袋は、立てることができるんですよ」と若い事務官に教えてもらったこともありました。現在は全員が銀行振り込みですので、そんな光景も見ることができません。

 大昔の先生には実家が裕福な先生も多く、中には「給料はいらない」といって給料の受け取りを拒否する先生もいたと聞きました。その先生は退官時にそれまでの全給料を同窓会に寄付しました。なんとも気前が良い話です。私は実家が金持ちではありませんし、私自身も裕福ではないので、給料とボーナスは有難く頂いています。

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