「反対」は「反対じゃない」かも知れない

こないだ娘がみかんを食べてた時
「うおっ、これ酸っぱ!
何かアルカリ性の食べ物あるかね?」
と言った。
そんな食べ物は思い浮かばなかったので、とりあえず石鹸を渡したけど食べなかった。

んで、娘の様子が落ち着いたころに、会話の答え合わせ
「酸っぱい=酸性だから、それを中和するために、アルカリ性って言ったのよね?」
娘はスマホでゲームをしながら頷いた。
「つまり、pH(ペーハー)を中和したい、と。
確かにpHは中和するかもしれないが、それで”酸っぱい”は収まるんかね?」
そう尋ねると、考えながらスマホを置いた。

「pHは1軸・1次元の考えなので酸性とアルカリ性と言う対局で成立してる。
つまり「反対」という概念は一意になる。
けれども、”味”は何次元かは知らないが少なくとも1軸ではない。」
スマホを置いたまま、手を顎に当てて考え続けている。

「ほら、算数で線対称って習ったでしょ?
あれってさ…」
目をきょとんとして”何それ美味しいの”って表情に変わった。
流石、関東大震災を40歳まで知らなかった父親の娘だ。

「じゃあね、”海”の反対ってなんだろ?」
ちょっと考えて空と答えた。

「そうね、”水平線に対して”とか、”空中を中心に”という条件を付けるとそうだよね。
でも、川や山、そして陸地は反対とは言えないかしら?」
確かにそうとも考えられるが、という表情をした後に

『じゃあ、ちゃんとした”海の反対”ってのは何なの?』

「海以外、になるのかな?」
なんじゃそりゃ、という日常茶飯事のバカにした視線で見つめられた。

『そんなもん光と影みたいに表裏一体じゃん』
そこにすぐさま反論

「それはどうだろ?
科学には疎いので、聞いた話及び仮説や空想でしかないが…
”影”は光が作り出すように思い込んでるが、単に”光がない状態”とも言えないかしら?
更に言えば、実は”影という物質”が存在する可能性もある。
そうすると、必ずしも表裏一体でないかも知れないし、若しくは一元的なものかもしれない」
そういやゲームに忙しかったんだ、と思い出したようにスマホを手にして部屋へ戻って行った。


「信じる」の反対で「裏切り」「疑う」が良く使われるけど、これもそうなのかなぁ、と。
「信じる」の派生で、「信用」とか「信頼」ってのがある。
信用とは過去信じていた実績で、信頼とは未来に信じる事とするならば、”時”(と言う概念)が生まれたとされている弥生時代以前は、信用・信頼が存在しない事で裏切りも存在しなかったんだろうか?
或いは、信じるも裏切るも表裏一体ではなく、それぞれ独立で存在できるものなのかな?

もっと言えば、もしこの世がVRならばそれら概念は自らが定義する訳で…
https://gigazine.net/news/20160816-elon-musk-living-simulation/
つまり、自分が信じればこの世に「信じる」が生まれ、疑えば「疑う」が生まれる。
それに伴い自分自身が「信頼されている」や「疑われてる」も同時に存在し出すのかもなぁ、と。

これらの事を宗教でも色んな表現で語られる訳だが、我ら科学教でも同じ事が言えるのがちょっと面白いなぁ、と(笑)


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