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漂泊幾花 第3章 ~みやこわすれ~

Scene8 旅の終わり・・アルファはオメガなり

 ほぼひと月ぶりの下宿だった。僕は未払いの下宿代を大家さんに払いに行くと、そのまま自分の部屋のベッドで寝入ってしまった。

 夢を見た。
 僕の前に咲がいた。その顔はやがてあゆみの顔になった。なぜか、綾さんの顔になり、最後には咲の顔になって、僕の横に寄り添った。

「愛してる?」

 夢の中の咲はそうつぶやいた。僕はその時の咲の顔がたまらなくいとおしく、かけがえのないもののように思えた。しかし、僕が「愛してる」と言うやいなや、その咲の顔はふうっと消えてしまった。そこで僕は目が覚めた。

 あたりは夕暮れだった。僕はやや時間を持て余しながら、やかんをコンロにかけ、コーヒーを淹れる準備をした。 僕は、ゆっくりと明日の咲との再会の心の準備を始めた。空はふじ色ではなく、茜色に染まっていた。

 窓の外から隣家の庭が見えていた。もう花の盛りは過ぎて緑の中に、ミヤコワスレの花が咲いていた。東京でもそろそろ春の終わりが近づいていた。狭い4畳半の部屋は、強い西日を浴びてうだるような暑さになっていた。

(ふじ色の旅で得たものは・・・・。)

 僕は目を閉じてゆっくりと今までの旅を思い返した。東京駅のコンコース、咲の残した「サタンの啓示」、・・・。伊集院家での咲の一人芝居、そして官能と欲望のままの咲。そして長崎・・・。

 僕は一つ一つかみしめていた。そして、おそらくは狂言とも言えるあゆみの子ども『耕作』・・・。

 僕は明日、咲と再会したあと、どんな世界が広がるのか、そして、咲はこの旅で何をつかんで、どういう顔で僕に出会うのか。

 階下の公衆電話が鳴った。そして、僕を呼ぶ声がした

(咲だろう・・・・。)
僕は直感的にそう思った。
「はい・・柴田・・。」

(せんぱい?)

 懐かしい咲の声だった。たった2~3日離れていただけなのに、ひどく懐かしい気がした。咲はまだ京都にいるようだった。今何をしているかは深く詮索はしなかった。

(耕作せんぱい・・。待ち合わせ場所、忘れないでね。・・・じゃ)
そう言って咲は電話を切った。僕は部屋に戻り、再び大きく窓を開けて、町並みを見た。首都高速の高架が見えた。

 いつもと変わらない平常がそこにあった。しかし、この平常は、様々なことがあったあとの平常。1×1の平常ではなく、-1×-1の平常だった。同じ結果なのに、何故か深みがあった。僕はその意味をいつまでもじっくり考えていた。

第3章     完

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