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漂泊幾花 第3章 ~みやこわすれ~

Scene3 旅の重さ

 平和公園や、再建された浦上天主堂などを僕たちは見て回った。あたりはすっかり整備されて、こぎれいな感がしていた。意外なことに、咲は浦上天主堂も、平和祈念像の隆々とした筋肉の象徴的な像も、淡々と通り過ぎ、あの、爆心地碑の前で見せたような表情は全くと言っていいほど見せなかった。

「見晴らしのいいところに行きたいな・・・そう、長崎全部が見られるような・・。」
咲はあっさりとした表情でそう言った。僕は市街地の対岸にある稲佐山に咲を連れていくことにした。
 稲佐山は、位置的には丁度、故郷の函館山と同じ雰囲気があった。標高300メートルばかりのこの山は、大浦地区も浦上地区も一望できることから、咲の申し出にはぴったりだと考えたからだ。僕たちは。そのまま歩いて稲佐山の麓まで行き、ロープウエイで山頂に向かった まるで運河か湖のような長崎港が広がり、山肌にへばりつくような長崎の町並みが徐々に広がった。

「・・・わぁ・・・。」
咲は声をあげた。
「ホントに全部見えるンだぁ・・・。」

 僕は咲のその稚気に思わず微笑んだ。ロープウエイは程なく山頂に着いた。晩春の強い日差しがまぶしかった。咲は栗毛がちな長い髪を、山麓から拭く風いっぱいにさらした。しばらく長崎の大パノラマに見入ったあと、僕の方にその深い瞳を向けた。
  長崎は、運命に破壊された街と、綿々としたたかに歴史をつづるべく、運命によって残された街とが同居しているのだ。

「そうか・・・・わかったわ。」
咲は僕の方に輝く目を向けた。
「何が?」
「京都で、御坊様が言ったこと・・・。宿題の半分。」

 咲は、手すりから身を乗り出すようにもう一度食い入るように長崎の町並みを眺めた。

「・・正直言って、恨んだわ・・。この身体に刻まれた運命・・・。」

  咲はうつむきながらうなるように言った。

「でもわかったの・・・この運命、あの、黒こげのマリアがいなければ、あたしは産まれなかった。そして、耕作、あなたにも逢えなかったの。今、ここに来てやっとわかったのよ。・・・・運命は、サタンもゴッドもすべて含めて、そこにある・・・・。って。」

 そして、大きく深呼吸しながら、浦上の被爆した地域と、歴史建造物の残る地域とを交互に見つめた。そして、海に向かい、叫ぶように言った。

 「運命は、いいも悪いもないんだわ・・。『すべてはそれがあるがゆえにここにある。』いい、悪いじゃない、そこにあることに価値があるのよ。」
「・・・咲・・・。」

 僕は、たまらないいとおしさを感じながら、稲佐山のすがすがしい潮風と、春のまばゆい日差しの中で、光り輝くような咲の小さな身体をずっと抱きしめていた。
「耕作・・・。」
咲は小さく僕を呼んだ。

「・・・ふじ色の旅はここでおしまい・・・。」
「・・・・?」
「あたし、東京に帰るわ。」
「・・そうか・・。」
「何?不満なの?」

 咲はいたずらっぽく僕をのぞいた。
「・・不満じゃないけど・・。」
「振り回しちゃったね、先輩・・。」
「正直言って、そのとおりだな。」
「あ、ひどぉい、一応謙遜したんだぞ。」
「ははは・・・。」

 咲はいきなり僕に抱きつき口づけをした。周りにいる観光客の目が気になったが、不思議と誰もいなかった。
「・・・誰もいないから、そうしたのよ・・・。」

 咲がわらいながら一言いった。僕は、咲の底知れぬ深さをあらためて感じた。ある意味では、こういう咲の深さに対し、僕は一体どうなんだという新たな思いが交錯した。咲に出会う前、一時感じた思いだった。

「で、ね?、ふじ色の旅、オプション付けていい?」
「え・・・?何の?」
「沖縄まで行きたいなぁーーって思ったけど、よしとくわ。だけど、帰る前にもう一度京都に寄りたいんだ。」

「・・・なんで・・・?」
「あたしはあたしの用事があるわ。でも、耕作自身も京都に用事があるんじゃないかな?・・・そんなことふっと思ったから。」

 僕は一瞬ぎくりとした。ひょっとして咲はサタンかゴッドか、そういうものではないのかと考えた。そうだ、咲は明らかに僕に対し、直感の匕首を突きつけていた。僕は咲の提案したオプションをクリアーしない限り、心は咲のその匕首によって一突きにされるような、そんな怖れさえ感じていた。

「ね、先輩、京都に行こう。」
「・・・どうして・・、そんな?」

 咲は僕の腕に寄り添いながら、浦上地区と大浦地区を交互に指さしながら言った。
「あれは、負の空間、あれは正の空間・・・。」
「・・・え・・?」
「あたしは、運命をもう恨まない。だって、あたしの時限爆弾を抱えた運命がったからこそ、あなたに出会えたのだから。・・・・原爆がこの街に落ちなかったら、あたしの実母ははと父は出会うことはなかった。だからあたしはこの世に産まれることはなかったの。産まれなければ、柴田耕作という男性に出会うこともなかった・・・。でも、原爆さえなければあたしの命がカウントダウンされることもない。」
「・・・・・・・。」
「だから、あたしはあたしに対する原爆うんめいは、恨みの対象でもあり、なおかつ感謝の対象でもあるの。これが、お坊さんに対してのあたしの答え・・・。」
「・・・お坊さんにもう一度会いたいんだな。」
「・・・うん・・。」

 僕は、咲の悟りの深さに感銘した。おそらく一方的な立場から見ると、とんでもないという発想になるだろう。30年以上も前のあの忌まわしい空からの破壊者ですら、咲は肯定しているのだ。いや、マイナス×マイナスにおいての肯定であるすごみがあった。僕は、たとえば村野純が、時代の薄っぺらな正義感だけで、運動のための自己目的した社会運動にのめってる姿を、咲が軽蔑している理由が何となくわかった。

 すべては何となくだった。咲は、僕に対してその『何となく』を鋭く糾弾しているのだ。 咲は『何となく』を鋭く突いた。
「・・・咲、・・俺な・・・。」

 咲はもう一度鋭い匕首のような深くするどく、それでいてたまらなく慈悲深い形容しがたい瞳を僕に向けた。
「・・・言わなくていいよ、あたしに出会う前の耕作なんか、あたしの興味の対象外だから。」
「・・・・。」

 すべてを見透かされていた。だが、そこまでだろうとは思っていた。咲は何もかも恋人から知ってしまおうなどとは考えていないようだった。
「・・・あなたに惹かれたのはね・・・。」
「え・・・?」
「あなたに父を見たからなの・・・。」
「先生を・・・?」
「・・うん・・。」
「京都に行った時にね、あたしは実母ははよりも
浦上夫人おかあさんの気持ちになっていたんだ・・・。」
「・・・というのは?」
実母ははの事は浦上夫人おかあさんはほとんど知らない。だけど、父はどちらも深く知ってるのよ。あたし、正直言うわ。あなたのあたしと出会う前の彼女って京都にいるよね、でも、その人・・・。うらやましいの・。」
「・・うらやましい?」
「うん・・・。あたしの知らない耕作を知ってるんだもの・・。」
「・・まて、だけど、彼女は俺が咲と出会ったあとの耕作を知らないぞ・・・。」
「あはははははは・・・。」

 咲は笑いながら僕に抱きついて、もう一度小さく口づけした。
「合格だよ、耕作。やっぱりあなたは。・・・・ねぇ・・・京都に寄ろう。・・・・・そして・・好き・・・。耕作も、好きでいてくれる?。」
「・・・うん・・。」
僕は心から言った。

https://music.youtube.com/watch?v=-EKxzId_Sj4&feature=share

 咲は、もう一度くすくす笑った・・・。
「なんだ?」
「ううん・・・、センパイ~、初めてデートした時のこと覚えてる?」
「・・・え?」
「先輩さぁ・・・、うふふ、高校生のあたしに電車賃借りたよね。」
「・・・あ・・・。」
「言いにくいんだけどさ・・・。なんて言うから、あたし、てっきり告白されるのかと思ったんだ。そしたら、『金がなくなったから、帰りの電車賃貸してくれ』だもんね。大笑いしたって言うか、がっくり来ちゃった。」
「あはは、そうだっけ。」
「そうよぉ・・」

 咲は口をとがらせて僕を見た。

 以下 次号

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