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一年に一度はなぜワクワクするのか?

「一年の一度」のことは、得てしてみんなワクワクする。

誕生日
お正月
ソメイヨシノの開花

「一年の一度」はなんでワクワクするのか?

今の人たちの日常の時間の単位はとても短い。

いついつまでに何かをやらなければいけないという場合、その時間の単位は日ごと夜ごと。または何時まで。時には分単位。

ゲーマーにとっては、もしかしたら秒単位以下(笑)

今の人たちは、時間においてはとにかくせわしない。

大昔の人はどうだったか?

時計もなかった時代。おそらく現代の人とは異なる時間軸をもっていたことは想像に難くない。

では、どうやって時間を測っていたか?いや、どうやって時間の流れを感じていたか?

ここでひとつ引用。

日本では、昔から一年を「暦年」と呼び、陰暦を採用していました。陰暦は、太陽暦とは異なり、月の満ち欠けによって一年を区切る暦です。また、日本では、古代から中世にかけて、年号を用いた年代表記が行われていました。

BingのChatGPTからレスポンスを引用

月の満ち欠けによって時間の流れを測っていたらしい。それって、時間を測っていたというより、時間の流れを感じていた、ということか?

時間感覚というものがあるとすれば、月の満ち欠けよりもももっと大きな流れが四季の流れ。つまり春夏秋冬。エッセイストばりに気取ってみると・・・

雪が解けてやがて川となり、そして草木が芽吹く。
嵐にも似た春一番。

寒さが徐々に和らぎ、桜も花開く。桜の足元で菜の花も、桜吹雪を彩る。
あじさいが花開くころ雨がしとしと降る。

日差しが強くなり、アブラゼミが鳴く。空を見上げると入道雲。
気づくとヒグラシが鳴いている。

台風に見舞われ草木は飛ばされ。台風一過の馬肥ゆる天高き空。
見渡す木々が紅葉色に色づく。

動物たちがゆっくりと姿を消す小春日和。
やがての方角から冷たい風が吹き下ろし、山々は白く化粧をする。

昔の人の時間の流れは自然の動きと密接につながっていた、と思う。だから速いとかゆっくりとかいう基準がなかった。時間は流れるものではなく、流れていただけに過ぎない。

このちょっとしたパラドックスは、逆に時間を追うと、時間に追われるというパラドックスに似ている。

時間の流れに厳密な基準を設けると、便利だけど、精神的に苦しくなる。これも現代ゆえのパラドックス。

だから、「一年に一度」が、ありがたいのだと思う。

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