スケッチ 3/27

 どういうわけか、今朝は私が私をとり戻しているらしい。こんな状態はベータが私に融合してから久しぶりだ。ベータの力で、私とベータは粒子レベルで時間をかけて融合した。私であったものはベータであったものという二者を隔てていたものが崩れ、私でもベータでもない何かになっていたはず。赤いペンキと青いペンキが一定の時間をかけて混じり合い紫のペンキになるというアレだ。ベータは、私と彼を私と彼に保っていた粒子の繋がりを解きまぜこぜにした。いうまでもなくこの融合は不可逆だ。それなのに今朝、私は私を「ある程度」だがとり戻していた。この状態は長くはもつまい。何らかの理由でエントロピーが非常に大きい状態から、小さい状態に変化したのだと思われる。時間が逆行しているのか? 時間の逆行が続くのだとしたら、私は私であったものに戻りベータはベータであったものに戻るというのか? さらに時間を遡るならばそもそも私がベータと出会うよりも前の状態に戻るのかもしれない。
 時間が逆行しているのではないとしたら、それは、例のマックスウェルの悪魔が私とベータの融合体から、かつて私であった粒子を選り分けているというのか。
 私は、私であるこの状態を逃さぬようにしながら、ベータという生命体について記述しておこうと思う。それは、再び、私がベータと融合した後の私でもベータでもない状態の生命体に、もともとは私であった私とベータであったベータが存在していたということを理解させるためでもある。私をとり戻している私は、融合した状態の生命体の意識や記憶を持たない。ならば件の生命体も、私であった私、ベータであったベータの意識や記憶を持たないだろう。私の記述は、その生命体に私とベータのことを言い伝えることを目的としている。伝えることで、生命体はベータという邪悪な生物と私という普通の地球人との存在が彼を形作っていることを知るのだ。いや、彼はこの記述を読まないかもしれない。読むかもしれない。理解しないかもしれない。すべてを理解しその状態を崩すための何らかの処置を考え出すかもしれない。彼の姿も考え方も性格もわからないのだから、こんな記述を残したところで彼の生き方に何らかの影響を与えると考えるのには無理があるのかもしれない。私が私をとり戻している───その状態にあるとき、私がすべきことが他にあるとは考えられない。
 物語は、私の記憶に残っている限り二時間分の出来事がひとつの軸となっている。

 新しい作業部屋を借りたのは、アーニーが私の寝ている時間に帰宅することが多くなってきたあたりからだった。



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