町田康「しらふで生きる」を読んだ

仕事から帰る途上、JR三ノ宮から地下鉄三宮に乗り換える電車の時間がうまくいかないと15分ほど待ちぼうけを食らうことがある。そんなときは三ノ宮地下街にある書店で本を一冊買うことにしている。15分という短い時間で本屋によって本を買って地下鉄のホームに向かうというなかなかの忙しさなので選ぶ本はぱっとみて面白そうな本、に限られる。立ち読みしている時間はない。

今回手にとった町田康の「しらふで生きる」は、昔にネットで販促の対談(誰とだったかは忘れた)を見たときに面白そうだったなーと思っていた。それが頭の片隅にあったのだろう。15分という短い時間の中でこの変転小苗の表紙と出会うことができた。

これまでに読んだ禁酒本はアレン・カー「禁酒セラピー」と小田嶋隆「上を向いてアルコール」の2冊だった。禁酒セラピーは禁酒のハウツー本ではあるが、飲酒や酒の害に焦点を絞ったもので読んでいた気持ちのいいものではなかったし、上を向いてアルコールは。。。内容を忘れてしまった。でも読んで面白かったなという感じは残っている。

で、今回の「しらふで生きる」だが、小説家の方が書いたようなのでだか知らないが、文章は冗長が多く、読んでいてしんどいときもあったが、言っていることのほとんどは全く同意できることであった。特に後半の飲酒をやめたことによるメリットはすごく共感ができるところが多かった。

自分の経験を語ると禁酒することによって仕事から帰ってきてからの暇な時間が増えたことが大きい。とはいえ、この時間は今となっては通勤時間が長くなったことによる体の疲れを癒やすための睡眠時間に当てられることになるのだが、それでも酒を飲まないことによる身体の健康性もあいまって非常に健やかなる人生を送っている。一方で、頭脳明晰な時間がふえたことによって些末なことに囚われてウジウジとしょうもないことを考える時間が増えたことも事実であり辛いこともある。いっそ酒によって理性をなくし、時間が過ぎ去ることを忘れることができればそれも楽しいのではないかなと思うときもある。

それでも酒を飲まないのはこの明晰な時間を続けることによっていつかは鬱屈した時間を突き抜けて有意義な違うなにかに使うことがあるのではという期待感を持っているからである。

酒と付き合うことで自分は夜の街に出ることが全くなくなった。町田康も書いていたが「旨い料理を求めない」はとても同意できて、とはいえ私は家で食べる料理が十分うまくてわざわざ高いお金を出してまで外で食べる意味がないんじゃないかと考えるようになったので、厳密に「うまい料理を求めない」ということではない。とはいえ、酒と料理を外に求めなくなるとこうも夜の街に繰り出すことがないのかと驚く部分もある。

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