上下関係ってなんで必要なの?

日本大学タックル問題、森友問題など問題になっている。でこれらの一連の問題は日本独特の文化である上下関係によるものだと私は思う。監督の命令に従って違反をする、上司をかばうために職員が自殺する、どちらも上から言われたから下が違法行為を実行するという構図である。なぜ日本ではこのような上下関係による不幸なことが発生してしまうのか。そしてこの上下関係は誰がとくするのか?

上下関係はどこで植え付けられるか

上下関係は、学校教育を通して植え付けられる。小学校であれば、先生の言うことを聞かなければならない。例えば卒業式の練習を何回もさせられ、意味もない作業を繰り返す。部活であれば先生や先輩の言うことは絶対で、必ず敬語を使わなければならない。大学の研究室では教授やドクターの実験の手伝いをさせられる。

このように10代~20代にかけて上は偉く、下は弱いということを徹底的に叩き込まれる。このような上下関係はなぜできてしまうのか。

上下関係は才能のない凡人のためのシステム

上下関係の最大のメリットは、才能がない人でも平等に評価できることだと思っている。個性にあった教育、ギフテッド教育が近年注目されているが、悲しいことに大半の人には個性がない。仮に上下関係を廃止ししてしまい実力主義となってしまった場合に振りになってしまう人が多いためだと私は思う。

また実力主義では評価が非常に難しい。例えばあなたが給与を査定するとして、プログラミングが日本一できる人と、音楽の才能が日本一である人の給与をどのように決めるか?プログラミングのほうが高いのか。音楽のほうが高いのか。それとも同じなのか。実力主義では同じものさしで測ることができないため、明確な評価軸を決めるためにコストが必要となる。

一方で上下関係は、年齢で評価できる。一年早く生きていればそれだけでアドバンテージになる。評価も簡単であるし、才能がない人でもステップアップできる。みんな幸せになれる方法に思える。

上下関係による能力差の崩壊

昔は今と違い情報を得る手段が少ないため、年齢が高い=地位が高い=能力が高いと言えたことが多かったかもしれない。そのため、年配の方に従えば正しい答えに達することができた。しかし、多様な生き方を許容する社会、インターネットの発達によって年齢が高い=地位が高い≠能力が高いとなってしまった。そのため、立場は上だが能力が見合っていない人がたくさん生み出されてしまった。

日本においては対等であるという関係が希少である

日本では先輩、先生、教授、上司、部下、生徒など窮屈な上下関係で埋め尽くされている。日本人にとって知り合いの9割は上かもしくは下の人間になる。対等な関係は上下関係が存在する組織で同じ階級の者たちの間でしか発生しない。例えば、同級生、会社の同期などである。

日本人にとって対等な価値は希少であるがゆえに同級生や同期の結束は硬い。敬語を意識せずにタメ口で話せるために非常に気が楽である。友達という関係性もこの対等な関係以外では築くことが難しい。日本では、留年や浪人、転職が忌み嫌われるのはこの対等な関係を再び構築するのが困難であるからと言える。

このような同級生や同期という対等な関係でしかできないことがたくさんあり、一緒に遊びに行くであるとか、会社を立ち上げるであるとか、日本人にとって非常に重要な存在になっている。

上下関係は正直邪魔であるが、排除は難しい

日本では厳しい上下関係によって、タメ口で話す対等な関係が築けない。上下関係なんてなくして、敬語なんてなくしてみんな腹を割って話せば、日本大学タックル問題だとか森友問題だとか起きないんだと思う。しかし、上下関係を学校教育で叩き込まれている以上、いきなり変えるのは無理な話である。日本では唯一許されている希少な対等な関係性、同期であったりとか、友達、同級生と助け合いながら上下関係に耐えていくしかないのかもしれない。

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