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「ジュピターズ・ムーン」の感想。嫌いな映画だった。

難民少年のクネクネ空中浮遊ショー。

以下、雑なあらすじ

主人公の医者シュテルンはかつて患者を医療ミスで殺してしまって、遺族に和解金を払うため、難民達の逃亡を手伝って金稼ぎをしている。
そんな主人公はある日、移民管理局員に撃たれた難民の少年アリアンを治療しようとするんだけど、アリアンは撃たれた際に、宙に浮かび、自らの傷を癒す力に目覚めていた。
シュテルンは、はぐれた父親を探そうとしているアリアンを利用して金稼ぎをしようと企む。2人はアリアンの能力を使って金持ちの人々に奇跡を見せて金稼ぎを始めるんだけど、アリアンを撃った移民管理局の男ラザロがそんな2人を追っていて……。
なんだかんだあって、シュテルンは遺族に和解金を受け取ってもらえず、アリアンは父親が既に死んでいることを知る。そして2人は妙に仲良くなる。
2人の元に遂にラザロがやって来てアリアンを襲うんだけど、シュテルンはアリアンを守って死んで、アリアンは空に飛び立つ。
天使のように宙を舞うアリアンを見た難民の人々は、救われたような気持ちになって祈りを捧げる。

こんな感じの話だった。ハンガリー映画を見るのは多分初めて。

ムーン繋がりで言えば、この映画は宗教的な味付けをして、難民問題にもちょっと触れてみて、ゲロおもんなくした「ペーパームーン」と言う感じだった。
(人々を詐欺って金を稼ぐ、即席の二人組の話という意味で)

前半:寄る辺なさと主体性のなさ。

この映画では難民の寄るべなさと天使の寄るべなさを重ねて、それを「宙に浮く」という現象で表現している。つまり少年をこの地に結びつけるつながりは何も無いので少年は宙に浮かぶという理屈。
しかし天使と難民の重ね合わせがうまく行っているとはとても思えなかった。
天使と難民を重ねることで、寄る辺なさに加えて、聖性までもが難民である少年に付与されてしまっているのが原因だと思うんだけど、この問題は後で触れる。

あと致命的に少年のキャラが面白くなかった。
少年は父親を探すって設定を与えられているだけで全然主体的に動かないので観ていてつまらない。主人公のシュテルンに利用されて、特に意思表示をするでも無くボーッと彼に付いていくだけ。風に吹かれるビニール袋みたいなものだ。
監督は寄るべなさと主体性のなさを混同しているんじゃないか?そしてそのせいで少年の魅力は皆無になっている。
たとえば、医者達のパーティーで所在なさげにボーッと立ってる彼の、場面における無意味さったら無かった。それ以前に彼の強かさを見せてくれればよかったのにと思う。
強かに生きようとする少年が、それでもパーティー会場で自分の寄る辺なさを痛感させられ、不安そうに突っ立っている画は、きっとギャップで効果的に映っただろうに。

後半:天使=難民の等号が産む歪み。

後半では主人公がだいぶやばい動きしてた。
「人は皆失敗から学ぶものです」
いやいや、医療過誤で殺した患者の遺族にそれは言っちゃダメだろ。

そして後半で途端に話の筋が追えなくなった。
遺族に許してもらえなかった主人公は今度は逃げ出した少年の元に行き、なぜか2人は和解。
そして少年は主人公の頭に手を乗せ、主人公は天使としての少年に赦される。
何だこの話。
少年が急に主人公と和解した理由が特に描かれないので、これだと父親を喪った少年が、唯一繋がりのある主人公を頼らざるを得なくなった。という利己的判断としてしか理解できない。
なんだけど、明らかにこのシーンでの許しは聖的な赦しとして描かれていて、訳がわからなくなる。

少年を穢れなき存在みたいに描くシーンは本当に気持ち悪かった。
例えば、高級レストランでの振る舞いが分からない少年に、シュテルンがフォークの使い方なんかを教えてあげるシーン。少年が高級レストランなのにフライドポテトみたいな安い物を食べたがるのとか「無害で無教養な可愛い奴」みたいな描写は別に嫌いじゃないんだけど、社会派を気取った作品でこういう描写をされるとオエってなっちゃう。

それにシュテルンの少年に対してのセリフ。
「君はメッセージなんだ」
難民を厄介者として見なすことと、天からのメッセージとして見なすことは、勝手なイメージを押し付けると言う点で何も違わない。
少年は結局最後まで人間らしさを奪われて、天使として描かれたままだ。

終盤では、ラザロが少年を襲い、主人公がそれを救い出し、少年が逃げ出すまでの長回しがあるんだけど、既にこの映画のことをクソしょーもねーと思っていたので、マジでどうでも良いなと思いながら見ていた。
なんか最後にみんな悟ったみたいな終わり方してたのが面白かったくらい。

この話は天使を空に返す話なんだけど、少年は天使であるのと同時に難民でもあって、その視点から見ると最後のシーンでは実は何も解決していない。天使としての彼は逃げ出せたのかもしれないけど、難民としての彼はどこにも逃げ出せていない。依然として彼の居場所は無いままだ。
それをなんか感動げな音楽と神秘的な描写で誤魔化して、主人公も何かをやり切ったみたいな顔で死んでるのには反吐が出た。
やはり先に書いた通り、勝手なイメージの押し付けに終始する映画だなという感想。その姿勢は、少年のことを天使だと思い、何も解決していないのに満足げに死んでる主人公に顕著。

これは「少年は人間ではなく天使なのだから、少年の意志や幸せなどどうでもいい」と、ちゃんと意図した上での結論なんだろうか。そう考えれば少年のキャラが全然面白くなかったのにも納得が行く。なぜなら人間は天使には感情移入できないから。
そして意図した上での結論であれば、この映画は他の難民の人々の心の支えにする為に(もしくは主人公が自分の罪を赦してもらうために)天使を使い潰すという話としてモヤモヤ無く読み取ることができる。

いやー、感動感動。いい話ですね。

ラスト:隠れんぼする謎の子供

この映画は隠れんぼの鬼をする子供のラストカットで終わる。
「もーいいかい?まだでも探しに行くからね?」
この謎の描写は、ヨーロッパの現状と、作中で行われた救いのギャップを埋めようとするメッセージなんだろう。(補足1)
現実世界のハンガリーでは難民への風当たりが強く、作中のような救いは起こっていないけど、それでもその可能性を探していこうよ。という監督のメッセージを、純粋な子供に言わせている。メッセージは素晴らしい、しかし伝え方がしゃらくせー。

探しにいくのね、あー、はいはい、勝手にやっといてください。

補足1
「ジュピターズ・ムーン」というタイトルはつまり木星の衛星エウロパのことで、エウロパ(Europa)はつまりヨーロッパのことだ。

その他の感想:クネクネ空中浮遊

唯一、部屋がドラム式洗濯機みたいにゆっくり回るシーンは見応えがあった。
それにしても少年が浮いてるときのクネクネした変な手の動きはだいぶ面白かった。
毎回毎回クネクネさせるから、見るときはそこに注目してほしい。マジで馬鹿みたいだから。

(自家撞着を続ける主人公のキャラは結構良かった。)

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