見出し画像

音楽との出会い 少年期編-B面 俺は杜の都のRock'nRoller

こんにちは、Hideです♬

今回は、私の少年時代の多感な時期に出会った音楽とバンド活動についてお話していきます。

中学3年生 修学旅行で大勢の人の前で歌う 田舎の中学生が YAZAWAに憧れスターを目指すようになる 文化祭にも出演
俺も成り上がって星をつかむんだ!

「成りあがり」を読んだHide少年は、すっかり矢沢の永ちゃんに憧れ、いつしか”俺もBIGになりたい"東京に行ってスーパースターになるんだ!

と壮大な夢(誇大妄想的な(笑))を抱くようになりました。

すっかり永ちゃんみたいになることが目標になったHide少年は、同級生にも俺はいつかスーパースターになると話したり、挙句の果てに三者面談でも担任の先生にさえ”俺は歌手になりたいスーパースターです!なんて”言ってました。

先生はきょとんとした感じで、隣にいた母といえば、あちゃ~こいつ何言ってるのって顔して。

もうただの妄想BAKA少年でしたね(笑)

まあその時は同級生も先生や親も呆れ顔で、そのうち夢が覚めるさ、みたいな感じで遠くから傍観しているようでしたね。

中学三年になると修学旅行があって、キャンプファイヤーで歌うことになるのです。

3年生が全員(当時は一学年9クラスあり男女で400人弱の生徒数)の前で3曲くらい歌ったのかな~

先生から皆が参加できるからと当時流行っていた西城秀樹さんのヤングマン(YMCA)を進められ歌いました。

他にTWISTの燃えろいい女を火の周りぐるぐる周り、学校備品のマイクスタンドを蹴とばし結構その気になって、声枯れるほど熱唱しました。

これが、Hide少年の人生初LIVEでした。

大勢の前で歌ったのは生まれて初めてで、前の夜から興奮して眠れないし~

怖い先生方も見ているしで緊張してよく覚えてないんですよね。
当時の様子を…

そこそこウケましたが、激しいアクションによって備品のマイクスタンドの一部が壊れてしまった事をよく覚えています。

あと本番が始まる前にYAZAWAタオルを首からかけていたら、怖~い社会科の先生から

「こんなのいらえねべ、とれ」と言われしぶしぶ首から外したことが記憶に残ってますね。

それで調子に乗ったHide少年は、夏の学校での三者面談で歌手志望宣言をして、秋の文化祭への出演もしてしまうのでした。

音楽室でギタークラブかなんかの発表会みたいなのに、無理やり出演。

マイクやエレキギターを持ち込んだことで担当の先生から

「なんでこんなの必要なんだ!私は許可していない!」

と問い詰められ、タジタジになりながらも

「かっこよく歌う為です」みたいな事言ったら~また怒られ、大変でした。

結局近くにいた、その時のバンドメンバーだった秀才君がなんとか話を収めてはくれましたが。。。

結局大きい音を出さないでやりなさい~みたいな事言われて話はそれで済みました。

他の学校では当たり前にやっていたバンド演奏も、田舎のうちの学校では初めてだったので、先生方からの反発もあったのでしょうね。

時代的な事もありましたが、田舎の学校で、古い考え方が残っていて~遅れてたのでしょうね。

バンドっていってもエレキギター2~3本とドラムはスネア(小太鼓)だけ、歌はギターと一緒に小さなアンプから音を出していたくらい。

それまではせいぜいフォークギター抱えて弾き語りで

♬あなたはもう忘れたかしら~♪

とかおとなしい歌しかやっていなかったところに

♪今夜こそお前を落としてみせる♬とか♫燃えろ~いい女🎵

みたいなのは、田舎の古い考えの先生方には強烈で、学校で歌うにはふさわしく!みたいな・・・そんな感じでした。

因みにですが、子供の頃からマイクスタンドのパフォーマンスにこだわり、学校備品を壊した前科があるHide少年は、ものさしのマイクスタンドを卒業してホームセンターからパイプを買ってきて作った手製のマイクスタンドを使用したのでした。

うちの中学としては初のエレキギターを持ち込みライブを行ったことで、ますます調子に乗ったHide少年は、もっとROCKへの熱が強くなり”俺もこんな田舎から出て絶対成りあがって星をつかむんだ!”と初秋の夜に誓ったのです(( ^^) _U~~

初めてギター🎸を手にする 超不器用だったが猛練習

さかのぼる事、中学2年の秋に父から地元の楽器屋で安いフォークギターを買ってもらいました。

音楽の授業以外で楽器を弾くのは初めてだし、まして自分の意志から楽器を始めたのは初めてでした。

とはいえそこまで真剣に弾こうとは考えていなかったかな~最初は。

でもライブでカッコ良く弾き語りをする矢沢永吉氏に憧れて、自分もやっぱギター弾けるようになってやろうと考えました。

少しの間、部屋に置きっぱなしでしたが、これではダメだと思い教則本を買い毎日毎日指が痛くなるまで練習しました。

それなのに歌いながら弾くことが苦手で、なかなかライブでは他のメンバーからギターを弾くことを禁止されました。

文化祭の時に一度だけエレキギターを弾きながら歌った事はありましたが、音はアンプから聞こえることはありませんでした(笑)つまりエアーギター(笑)

約1年間必死に個人練習をして、初めて弾き語りしたのは、中学3年の卒業も近くなったクラスの分散会での事でした。

曲は甲斐バンドの安奈♬当時ヒットした曲です。

今でもカラオケのレパートリーです。

その後、私も遅ればせながらエレキギターを買うことになるのです。

ポストカードなんてない時代 年賀状革命(^^)/

もう調子ノリノリのHide少年は、12月になるとふと思いつきました。

年賀状を毎年送ってましたが、なんか普通じゃあつまんないな~ 

俺はスターになるんだからカッコいい年賀状を皆に送ってやろう!

とか突飛に思い、仲の良かった女子(彼女ではない 相手にもされてない)のお父さんが印刷屋だというので、その子に偉そうにお願いして(笑)なんと自分の文化祭の時歌っている姿の写真入りの年賀状を作成したのでした。

いくらかは忘れたけどこづかいで払えたから格安だったと思います。

送られてきた側の迷惑も省みず友達や親戚に送り付けました。

こっちは大まじめで送っているのに笑った奴も多くいたとか(笑)

1970年代の終盤に写真入りで年賀状なんて送らなかったですよ、

絵葉書くらいかな。

画期的な発想だったと思ってますよ、今でも(笑)

なかなか写真入りの年賀状を作ってしまうなんてロックでしょう(笑)

とにかく昔から、他の人がしていない事をするのが大好きだったのですよ♪

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?