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CITY POP ♩ 昭和のシティポップ 1970年代編

こんにちは、Hideです🎵

最近よくCITY POPって言葉を耳にしますが…

色々調べれてみると、70〜80年代かけて日本で制作され流行した、洋楽思考で都会的で洗練された音楽として、日本発のジャンルと認識されているようです。

私自身も、そこまでくまなく様々なジャンルを聴きあさっていたわけではありませんが、自然とこれがCITY POPなのかなぁ〜と耳から入って感じたものを今回紹介していきたい思います。

1970年代って私自身小学生から中学生の頃でしたので、そこまでマセていたわけではありませんでいたから〜

あくまで都会的でお洒落な雰囲気がするものを挙げたいと思います。

あくまでも私の主観で書いていきますので、何卒ご了承下さいね。

まずは日本のシティポップの幕開けの70年代から、年を追って紹介します。

”シティーポップ”のコンセプトは「都会の夜」

「DOWN TOWN」/ SUGAR BABE 1975年4月発売

作詞:伊藤銀次 作曲:山下達郎

まず、日本のCITYPOPを語るなら、この曲は外せない先駆けでもあり元祖と言って良いでしょう。

山下達郎がソロになる前に組んでいたバンドの曲です。アルバム「SONGS」に収録

雑誌「レコードコレクターズ」においても「シティポップ名曲ベスト100の中で73年〜79年」で1位になっている。

歌詞の内容は、週末に友人たちと楽しく飲み明かしている雰囲気が、軽いリズムとタッチで描かれていて、非常に聴きやすい仕上がりになっています。

これから楽しい週末が始まるというワクワクする感じが、曲に描かれているところがとっても良い感じですね。

この曲の発売から5年後の1980年に女性シンガーのEPOがカバーしている。

実はこの曲を知ったのは、シュガーベイブではなくEPOの方でした。

シュガーベイブが発表した75年はまだ小5だったので、そんな洒落た音楽は知るはずもありませんでした。

当時ビートたけし等のお笑い芸人が多数出演して合い人気だった「オレたちひょうきん族」のエンディング曲として起用されている。土曜日の20時から放送されていた番組のエンディングでこの曲はぴったりだった。

それもEPOの澄んだ声で歌われる『DOWNTOWN」はより爽やかで好感を持って聴けた。

私も高校時代の毎週土曜日に楽しみにして観ていたのを思い出します。

「恋は流星」/吉田美奈子 1977年3月発売

作詞作曲:吉田美奈子 プロデュース吉田美奈子・山下達郎

正直当時中1だった私は、今回ネットでシティーポップを調べていて初めて聴いた曲です。

吉田美奈子というシンガーは、名前は19歳の時に初めて知り、仕事で一度だけライブを見たことがありました(当時レコード会社にバイトしていた為、物販要員として駆り出されたついでにライブを観た)

当時は先輩の営業社員が素晴らしい、と聞き惚れていましたが、当時ロックばかりしか聴いていなかったHIde少年にはその良さなどわかるはずもないのでした。

今回この曲をYouTubeで聴いて、これは紛れもないシティーポップだと感じて、紹介するに当たりました。

ちょっとファンクっぽいノリとリズムの中、短いボーカルパートに吉田のハスキーボイスが乗り、感間奏のサックスが特に都会を感じさせホーンセクション達郎のギターカッティングがより洗練された雰囲気を出し、その後のトランペットもまた曲を盛り上げている。

どちらかというと歌というよりもインストルメンタルの要素が強いが吉田の短いボーカルとコーラスの声がまた洒落ている。

さすが達郎がプロデュースに参加しているという感じを味わえるが、全く達郎色ではなく吉田の個性も出ているところが素晴らしい。

もっと早くに吉田美奈子を真剣に聴いていれば良かった〜と思わせる曲です。

日本のシティポップは音楽性に溢れていると感じさせてくれます。

今回した5曲の中では一番CITYPOPとして格好良く感じましたね。

吉田美奈子というと大瀧詠一が作詞作曲した「夢で会えたら」が有名ですが、こちらの「恋は流星」の方がよりシティポップ感を味わうことが出来たので今回紹介しました。

「シンプルラブ」 / 大橋純子&美乃家セントラル・ステイション 
1977年4月5日発売

作詞:松本隆 作曲:佐藤健

大橋6枚目のシングル この曲から美乃家セントラルスティションをバックバンドに迎え音楽的にも新しい境地を開く

大橋は、北海道夕張市の食堂を営む家に生まれる。

1974年に上京し、ヤマハ音楽振興会でアルバイトをしながら、その仲間とバンド活動を行い、レコード会社のオーディションに合格。

同年シングル「鍵をかえして!」アルバム「フィーリングナウ」でデビュー。

1970年代後半から北島音楽事務所に所属。同事務所にはもんたよしのりも所属していた。

1977年より、美乃家セントラルスティションをバックバンドに迎え、この曲「シンプルラブ」がヒットした。

*古い映像で鮮度が荒いですが、彼女が生で歌う姿をクリエイティブなバンドサウンドとともに堪能して下さい。

翌1978年にはテレビドラマ主題歌の「たそがれマイ・ラブ」もヒットして、同年のレコード大賞金賞を受賞し、NHK第30回紅白歌合戦にも初出場した。

その後もヒット曲を世に送り出し、1983年には、同事務所のもんたとのデュエットで「夏女ソニア」もヒットさせソロ以外での活動も行って活躍する。

1997年には大橋純子&杉山清貴として企画物のCDを発表する。

小柄ながらダイナミックかつソウルフルなボーカルは、日本でも指折りの歌唱力を持つと好評価を受けた。

シンプルラブは、70年代では都会的でお洒落なサウンドに大橋の声量感のあるボーカルで、リスナーを魅了した。

私も中学生ながら、小柄ながら大人の魅力をテレビで見て感じましたね。

70年代後半で、歌謡曲の歌手と一緒にテレビ出演していたが、八神純子同様、他の歌手とは一線を画した都会的なセンスが光った実力派シンガーでしたね。

竹内まりあや八神純子・庄野真代といった70年代から活躍した女性シンガーの中でも、歌唱力において抜きに出ていた歌声には、私も今までに感じたことのない衝撃を受けました。

1977年から一緒に活動したバンド美乃家セントラルスティションの奏で出すクリエイティブなサウンドも彼女の魅力を一層引き出していた。

70年代後半に活躍したシティポップの代表的女性シンガーの一人です。

2023年11月9日、食道がんの為、逝去。享年73。

小柄ながら声量感あるソウルフルな歌を聴かせてくれた女性シンガーでした。

日本を代表する実力派シンガーの大橋純子さんへ、心よりご冥福をお祈り致します。

「マイ・ラグジュアリー・ナイト」/しばたはつみ 1977年7月発売


作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお

昭和でいえば52年に制作された曲ですが、作家陣に来生兄妹を起用するということは、相当CMの制作側もこの曲に関して力を注いでいたことが想像できます。

この詩とメロディーとジャズの要素を兼ね備えたしばたはつみに歌わせるとは、シティポップという呼び名が生まれる前だったことを考えると、かなり画期的な作品だったと思います。

CMの雰囲気にもマッチしていたことが、ヒットとなった要因の一つでもあ裏ますね。

当時オリコン週間最高順位では17位とそこまでの大ヒットではなかったが、紅白歌合戦にも出場しています。

しばたはつみさんは、歌謡曲というよりもジャズの要素をポピュラー音楽に日本ではいち早く取り入れた、他の歌手達とは一線を画した雰囲気の初生シンガーというイメージを子供ながらに持っていました。

日本人らしい侘び寂びとパワフルさも兼ね備えた大人の歌を歌えるおしゃれな雰囲気を出せるシンガーですね。

これは中1の頃、テレビの車のCMで見て知った曲でした。子供の私からしたら都会の大人の恋って格好いいなぁ〜と憧れたCMと音楽でしたね。

私が初めて出会ったシティポップでしたね。

「モンローウォーク」/南佳孝 1979年4月発売

作詞:来生えつこ 作曲:南佳孝

厳密に言えば歌詞の内容からシティーポップというよりはリゾートポップになるのだが、その辺は多少ご了承いただきたい。

軽いリズムでおしゃれなサウンドに、気だるい南佳孝のボーカルが乗ると、海辺の恋をテーマにした歌でも何故かCIT YPOPになってしまうから、不思議です。

そこが作曲者でボーカリストでもある南佳孝の魅力なのかもしれない。

アイドルの郷ひろみも別曲名の「セクシーユー」としてカバーしたことで、より多くのリスナーに聴いてもらえたのは、相乗効果もあって良かったところでしょう。

夏の浜辺をおしゃれな気だるさで、夏を感じさせてくれたこの曲は中3の私にも、相当印象的でした。

南自身6枚目のシングルだが、日本のCITYPOPを代表するシンガー南佳孝の誕生曲と言って良いと思う。

「真夜中のドア〜Stay With Me」/松原みき 1979年11月発売

作詞:三浦徳子 作曲:林哲司

当時は歌謡曲のヒットメーカーだった作家人が作ったシティーポップのはしりだった曲。

30万枚ものセールスを記録し、ヒットチャートーにも上がり、当時人気のランキング番組にも出演したくらい売れた曲である。

私が中3の頃に、高校受験を控え皆深夜のラジオ放送を聴きながら勉強をして、この曲を知ったようで、クラスの女子の間で話題になっていました。

切ない歌詞が都会的なサウンドと相まっておしゃれで格好良かったですね。

サビ部分の歌詞の

「Stay With Me 真夜中のドアを叩き 帰らないでと泣いた」

という言葉が当時少年ながら女性の切なさを感じてしまったのでした。

恋愛経験もない少年には大人の恋の世界を垣間見た感じで、刺激的かつ衝撃的な曲でした。

今回消化した曲の中では、一番好きな曲ですね。

当時の中学生時代を思い出させてくれます。

先に紹介したしばたはつみの曲から2年、よりキャッチーな雰囲気を織り込んだこの曲がヒットした事で、日本のポップス界に新たなシティポップというジャンルを作り出した名作であると感じます。


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