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バブル期だった青春時代 楽しかったなぁ~( ◠‿◠ )

こんにちは、Hideです🪭

最近、若者の間で80年代の音楽がブームになっているようです。松田聖子とか…

まぁ、空白の30年と呼ばれる平成時代に比べると、キラキラしてたなぁ〜

バブルの時代って、1985年〜1991年迄に日本で起こった景気の時期を指すそうです。

私が21歳〜27歳の時期ですね。

もう83年(19歳)の頃から、景気は上向いて就職なんかには困らなかったですよ。

今回はこのバブル時代についてお話しします。

バブル経済と呼ばれ、経済が超好景気でまわっていたのです。

経済は絶好調 企業はどこも増収増益 給料もボーナスもUP UP

今じゃ考えられませんが、世の中の経済は超がつく程、順調にまわっていましたね。

世間は、空前最高の好景気に沸いていました。

給料やボーナスも上がる一方で、皆がそれなりにお金をバンバン使っていましたよ。

物価はもちろんインフレ、今の様に安いから買うなんて感覚はなかったですね。

お金はある、欲しいから購入する、って感覚でした。

当時、若かったので、遊びに行くにしたって、高級なステーキ食べたり、ディスコで踊って次に二次会でカラオケ歌ってガンガン飲む!ってのも別に特別な事ではありませんでしたし。

男なら、カッコイイと思った車を迷わず買う。

車を買ったら、アルミホイルやタイヤもイカしたのを履いて、エアロパーツなども取り付けて、高いオーディオは当然別に取り付けるわけです。

下手したら、車両価格と同金額位、かけるのも不思議じゃなく当たり前に行われていました。

現代の車だと、最初から全て装備されていますが、当時は後から自分で購入して取り付けるのが通常でしたからね。

就職だって、面接行けば即採用、おまけに帰りにお土産もらったり、交通費迄支給してくれましたよ。

仕事でも交際費なんてバンバン領収書で落ちました。

まぁ〜今考えれば、異常です。あれが当たり前だと思ったらこの時代生きては行けませんね。

っていうくらいはちゃめちゃ景気が良かったのです。

バブルを知ら無い若い人に、その話をすると、かなり羨ましがられます。

当時、私も乗っていた日産シルビアS13 このツートンカラーがお洒落でした

バブル景気 

景気が良いわけですから、仕事面でもほとんどの企業が右肩上がりでした。

とにかく消費が物凄いのです。何でもかんでも売れた時代でした。

ですから例えば食品製造業なら、売れる量が多いから、毎日残業しないと注文数を製造でき無いのです。

たの製造業だって、皆新しいものに買い換えるから、まだ使えるものさえ廃棄して新しいものを購入するのです。

それだけどこも売り上げもあるし、利益も出ていたから、税金対策の面で考えても新しい物を買った方が良かったのです。

なので廃棄物も多かったでしょうね。SDGsなんてあったもんじゃ無かった。

営業マンだって、得意先に訪問しているだけで、売り上げが上がりました。

大体の企業の売り上げは右肩上がり。どこも増収増益でした。

給料だって、毎年少なくても10%は上がりましたよ〜いやもっと昇給した企業も聞いたことがあります。

現状維持や下がるなんて事はありませんでした。

そんな会社なら皆とっくに高いところへ転職していきました。

今とは違う意味で、人手不足なんです。景気が良すぎて。

ボーナスだって、私と同年代の大卒者が、入社初年度の冬のボーナスが手渡しで、封筒が立ったそうです。

新入社員がそれだから、課長とか上の人はいくらだったんだろうと、その友人は話していました。

小売店も、衣料品や装飾品なんて、バカバカ売れてましたよ。

高級品が…一般消費者が高級品を迷わず買えるくらいの時代だったのです。

”財テク”と称して、高騰する見込みのある土地を購入したり、優良な株を買ったりしてましたね皆さん。私はその辺は全くしてませんでした。

富裕層は、高級な骨董品や絵画などを買い漁っているのも多く見ました。

一番多く聞いた話は、ゴルフ場の会員権やスポーツクラブの終身会員、どちらも桁違いで何百万円とかでした。

まだ若かった私らには買えませんでしたが…

しかしあのゴルフ場の会員権やスポーツクラブの就寝会員費って、その後どうなったのでしょうね?

あれだけは、バブルの七不思議です。

DCブランドの申し子だった自分 バブル時代のファッションは 文化

高卒で就職した私は、taka-Q(TVドラマへ衣装提供もしていました)という店で普段着る服からスーツまで購入していました。

一度に30万円分買うことも珍しくありませんでした。もちろん支払いはローンです。

一度街中のその店で、大魔神佐々木投手を見たことがありました。

店長の調子の良い口車に乗せられて買っていたよう…

佐々木投手がまだ大学生時代だったかなぁ〜

就職して3年間位で、150万円分くらいは買いましたかね〜

当時その金額なら、新車でそこそこのセダン車くらいは買えたくらいの金額を洋服に欠けていたのです。まだ20前後の若造が。

ヘアースタイルはワンレングスでボディコンシャスのスーツ これOLですからね

ちなみに女性のファッションは、ワンレングスかソバージュのヘアースタイルでボディーコンシャス(ボディコン)と呼ばれる体にピッタリフィットして、体の線がはっきりわかる物が流行していました。

男性はというと、DCブランド以外では、ソフトスーツと呼ばれる少し大きめな肩にパットが入ったスーツや、派手な柄のシャツが流行っていました。

当時のドラマ「あぶない刑事」の柴田恭兵と舘ひろし バブルファッション

肩パットは男女共通的に流行っていたかな。

夏の水着は、腰まで切れ込むハイレグが主流でしたね。

当時レースクィーン達も、ハイレグのワンピース水着を着ていました。

ソバージュヘアとハイレグの飯島直子 レースクィーン

そんなある意味狂ったとも言える時代だったのです。

人間、一度それが当たり前のようになると、次からは何のためらいもなく同じ行動をする様になるのです。

音楽のトレンドは、往年の低音の効いたディスコミュージックから、軽快なユーロビートへとダンスミュージックも変化していきました。

邦楽は、時代を反映した、キラキラした、都会的でお洒落なシティPOPと呼ばれるジャンルもバブル文化から生まれたカテゴリーでしょう♬

休日は、友人とグルメツアーとか言って、食べたいと思ったものを食べに行ってましたね。

DCブランドの服に身を包んで。

車も買ってあちこちタイヤやホイルオーディオに金かけて遊んでましたよ〜

バブルのおかげでウインタースポーツに目覚めた

以前、バブルの象徴であるホイチョイムービーの話をしましたが、当時のスキーブームに乗っかって道具一色揃えて、スキーを始めましたよ。

エレッセのウエアで、ボーゲンから最初危なっかしく滑ってましたよ〜山形蔵王で(笑)

しかし、冬は寒くてスキーなんてやらねぇ〜よと思っていましたが、始めてみるとあのスピード感がたまらなくてくせになりましたね。

私は、有名な山形蔵王で、スキーを覚えたので、特に雪山の自然にも魅了されました。

あそこは樹氷といって樹木に雪が着いて凍った姿が綺麗なのです。

それに、あのスキーウエアをおしゃれに着こなし、サングタスなんかかけて髪を靡かせて、格好良く滑る女性を見るのが好きでしたね〜

バブル期のスキーブームを巻き起こした「私をスキーに連れてって」

なんで、リゾート地では、女性が美しく見えるのでしょう。不思議なものです(笑)

スキー場のBGMはユーミンや広瀬香美などがよく聴こえてきましたね。

当時、23時までナイター営業しているゲレンデも県内に出来たりして行きましたね。

とにかく毎日が楽しかった バブル時代

東京ではディスコで、お立ち台という高い場所で、ジュリ扇と呼ばれる扇子を振って、際どいセクシーなコスチュームで踊り狂っていました。

私地元ではディスコはあってもそこまでのムーブメントはありませんでしたが、テレビではよく見かけましたね。

あの時代は、物理的には携帯電話も無かったし、パソコンだって一般には普及していなかったし〜

一部のセレブや、会社経営者や一流企業の幹部などは、ショルダーバッグのような箱型の携帯電話を持っている人もたまに見かけました。

もちろん大きな携帯電話から掛けての一言目は「しもしも〜」でしたね(笑)

一般庶民の我々は、ほぼ全てがアナログでした。

それでもあんなに、毎日を楽しく過ごせていたのですから…

何でしょう、あの時代は国民皆が、バブル景気という催眠術にかかっていたような感じもします。

まるで夢でも見ていた気さえします。

そのくらい、今と比べると幻想的と言う位異常な好景気だったのです。

バブルが弾けて、土地などに財テク投資していた企業などが倒産するのが目立ちました。

本業でもない事で、足元を掬われて潰れてしまうなんておかしな現象ですよね。

だから異常で狂っていた、と言うのです。

バブルが終わったばかりの頃に、上司や先輩がバブルを懐かしんでというか、忘れられずにまたあの景気になら無いかなぁ〜と甘い事言っていました。

もうあーいう時代は来る事はないでしょう。

バブルは、一つの思い出として忘れて目の前のSDGsに力を注ぐべきですね。

でも、短い期間でしたが、楽しい日々を過ごせたことはハッピーだったですね。

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