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届かない想い。

百万本のバラ。

休日出勤の土曜日。
車のカーラジオから流れる音楽を聴きながらハンドルを握る俺。

会社に着く間際に流れてきた曲は、加藤登紀子さんが歌う「百万本のバラ」だった。
みなさんも何度も耳にしたことがあるだろう素敵な曲です。

俺はこの曲が好きなんですよね。
会社の駐車場に着いても、車から降りることなく、曲が終わるまで聞き込んでしまった。

この曲はもともとはラトビアの歌謡曲で、その後ロシア語版を経て、日本語の訳詞によって歌われるようになり、多くのシンガーソングライターがカバーしているが、
やはり「百万本のバラ」といえば、加藤登紀子さんが歌う曲というのが定番ではなかろうか。

「家とキャンバスしか持たない貧乏な絵描きが、女優に恋をした」

という歌い出しで始まるこの曲。
最後まで絵描きの女優への想いは届かず、彼は彼女に贈った百万本のバラの思い出だけを胸に、貧しいまま孤独な日々を過ごすという物語となっている。

「届かない想い」

きっと誰もが過去に一度や二度、経験したことがあるのでしょう。
もちろん僕もあります。
そんな経験があるからこそ、この曲に共感し、この曲に惹かれてしまうのかも知れません。

「届かなかった想い」

いまでも心の奥に眠ってる、
そんな想いを抱えている人も少なくはないのではないでしょうか。


届かないとわかっていても、届けたい想い。

絵描きは、女優への想いをバラの花に託して彼女へ贈った。
もちろん、自分が贈り主だと名乗り出なければ、その想いも行為さえも届くわけがない。
なのになぜ絵描きは彼女にそれを伝えなかったのだろう?

俺にはそこは理解できない。

届かないとわかっていても、その想いを届けたいのなら、贈り主として名乗るべきだと思ったりする。
俺ならきっと名乗り出るだろうな。
気持ちを受け入れてもらえなくても、名乗り出ることで、その想いだけは届けることができる。

きっと絵描きの行動は、届かない想いではなく届けない想いにしかならなかったのだろう。
彼はそれでも満足だったんだよね。

でも、

絵描きよ、なぜ当たって砕けなかったのだ。
もしかしたら、女優が君のことを振り向いてくれたかもしれないのに。
もしかしたら、お友達くらいにはなってくれたかもしれないのに。

絵描きの行った行動は、俺から見れば「破滅の恋」としか感じられないんだよね。

絵描きよ、
なぜ、もう一歩を踏み出さなかった。


この曲から感じる二つの疑問。

この曲をききながら、僕は二つの疑問を覚えるんだ。

1つ目の疑問は
「果たして、この絵描きは本当に貧しかったのか?」

だって百万本のバラを買ったんですよ。
家とキャンバスを売ったお金でバラの花を百万本も。

僕は花束なんて贈ったことがないので、薔薇の花の値段はわかりません。
薔薇の花は1本いくらするのでしょう?

そこでAmazonで調べてきたところ、薔薇の花束は60本で18,000円でした。もしかしたら、もっとお安いものがあるかも知れませんが、この薔薇の花束の値段で計算すると、薔薇の花1本の値段は、
18,000円÷60=300円

薔薇の花の1本の値段は300円となりますね。

そうすると、絵描きが女優に贈ったバラの花百万本では総額3億円掛かることになります。

3億円ですよ、3億円。
絵描きの総資産は3億円。
家とキャンバスで3億円。

全然貧しくないじゃないか。

とてもじゃないけど、僕には贈れませんよ。
300,000,000円分の薔薇の花なんて。

2つ目の疑問は、
「広場を埋め尽くしたバラの花は不法投棄と判断されないのか?」

広場を埋め尽くしたバラ。
まだ花が咲いているときはきれいでいいけれど、枯れてしまえゴミでしかありません。
バラの花もちは切り花の場合、時期によっても変わりますが、夏場で4日~5日程度、冬場で10日~15日程度と言われています。

果たして、薔薇の花を公共の場に無断で放置することは不法投棄にならないのか、心配になります。
不法投棄とは、法律に反して決められた処分場以外に、廃棄物を投棄することです。

通常の不法投棄、つまり個人が廃棄物処分場として決められていない場所に廃棄物を捨てる場合は、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律第25条第1項第14号」に違反することになり、5年以下の懲役若しくは1千万円以下の罰金または併科が設けられています。

これは未遂の場合も処罰の対象になることから、絵描きが罰せられるのは確かじゃないかと思う。

危険だ。
犯罪者にまでなってまで想いを届けない行為に走るなんて。

危険すぎるよ、絵描き。


届けたい想いをバラに込めた絵描きの気持ち。

果たして、この絵描きはそれで幸せだったのだろうか?
大好きな女優に彼の想いは彼女へは届けられていないし、伝わってもいない。
それどころか、自分の存在さえ気づかれないまま。
それでいいのか?

それが絵描きの女優への愛であるなら否定はできないけれど、
何か寂し過ぎて。

この曲を聴くといつもそんな考えが僕の頭の中を駆け巡ってしまうんです。

見返りを求めないのが愛ならば、絵描きの行動は本当の愛かも知れないけれど、
それでも、彼女を愛している自分という人間が存在するということだけでも伝えてもよかったんじゃないのかなって思うんだ。

たとえ想いが届かなくても、気持ちを受け入れてくれなくても、
俺は、
俺が君を愛していたことだけ、

それだけは知っていて欲しい。
そう思うんだ。

そんな俺は、けっして絵描きにはなれないんだ。


「一場面小説」という日常の中の一コマを切り取った1分程度で読めるような短い物語を書いています。稚拙な文章や表現でお恥ずかしい限りではありますが、自分なりのジャンルとして綴り続けていきたいと思います。宜しくお願いします。