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マルと咲希 ~野良猫に出会って人生変わった話~ 最終話(小説)

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まだ少し、身体に違和感はあったが、マルは以前と同じような生活に戻っていた。
 
サキが病院に連れていってくれたおかげ……
そして、治療してくれた獣医のおかげ……
自分を激しく傷つけた、人間への恐怖と嫌悪……
自分を助けてくれた、人間の優しさと信頼……
 
マルには、そういった、人間の極端な違いが理解できなかった。なぜ、同じ人間という種なのに、そんなに違いが出るのか。今わかるのは、サキとあの獣医は、信頼できるということ。そして、あの恐ろしい人間には、二度と捕まってはいけないこと。
 
それだけだった。
 
『……けど、なんで助けてくれたんだろう。俺は、サキに何もしていない……それなのに……』
 
マルは、初めて触れた人間の優しさに、少し戸惑っていたが、少なくともサキの存在は、マルの中で特別になりつつあった。
 
『ここ2、3日見ないけど……どうしたんだろう……?』
 
いつもなら、夕方に必ず姿を見せていた咲希は、ここ何日か、時間帯を問わず、見かけていなかった。
 
『……』
 
マルは、サキがどこに住んでいるのか知らない。内側から身体を冷やす、寂しさを温めるように丸くなると、サキが再び来てくれるのを、静かに待った。
 
 
 
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「やった、やっと……!」
 
マルが退院してから一週間後。
応募したうちの2社から、面接に来てほしいとの連絡があった。片方は、候補日が三日あり、咲希は最短の明後日でお願いしたいと返信をした。もう片方は、その二日あとの面接と決まった。
 
まだ内定をもらったわけじゃないのに、テンションは上がり、ようやく掴んだチャンスをものにすべく、部屋の掃除をし、服を新しいシャツを購入、何を言うか、どんな質問をされるか、十分にシミュレーションして当日を迎えた。
 
「本日の面接を担当させていただきます、佐々木です。よろしくお願いします」
 
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 
「応募してくださったのだから、ご存知かと思いますが、どんな会社か、改めて説明させていただきますね。
 
うちは、事務用品を扱っており、お客様は小売店がほとんどです。当日の17時までに受けた注文は、基本的には翌日に届けるというシステムになっています。注文数が極端に多い場合には、お客様と話して、納品日を決めることもあります。
 
商品についての説明は、営業が小売店の担当者様に話していますが、こちらに連絡が入ることもあるので、商品知識もしっかりと身につけていただきます。電話応対やパソコンの扱いについては……問題ないですよね?」
 
「はい、大丈夫です」
 
「分かりました。では……経歴書の内容を、順に説明していただけますか?」
 
「はい。大学卒業後、まずはそちらの、株式会社アークに就職しまして……」
 
面接が終わり、帰宅した咲希には、家を出たときの高揚感はなかった。前半はともかく、後半の感触は悪く、その印象ばかりが強く残り、結果として、最悪の面接として記憶に残った。
 
翌日、メールで結果が来た。
 
残念ですが……
 
予想通り、定型文の不採用通知だった。
 
モチベーションを上げられないまま迎えた、二日後の面接は、結果を聞くまでもないほど、酷いものになってしまった。
 
(どうしてうまくいかないんだろう……がんばりが足りないのかな……がんばっても、うまくいかない運命なのかな……そもそも、がんばるって、どうすればいいんだろう、どうやればいいんだろう……今更がんばってもダメなのかな……結局、私の人生は子供の頃の環境で決まって、今何をしても、私はずっと、こんな思いを持ったまま生きていくしか……ううん……何も変えられないなら、そもそも生きてる意味なんてあるのかな……)
 
自分の足とは思えないほど重い足を、なんとか動かし、駅と自宅の、ちょうど中間あたりにある公園までくると、学校が終わった子供たちが遊ぶのを横目に見ながら、ベンチに座った。
 
なんとなく、家に帰りたくない。
そんな想いが、足を重くしたのかもしれない。
 
「……」
 
無邪気に笑う子供たちを見ながら、咲希は、小さいころのことを思い出していた。
私にも、あんなときがあった。
ただ、毎日が楽しくて、何も考えずに過ごしていたころ。
 
大人になったらどうなるとか、あまり考えたことはなかった。ただ何となく、普通に仕事をして、それなりに楽しくて、やがて結婚して……そんなふうに、漠然と思っていたように思う。
 
少なくとも、今の状況は想像していなかった。そんなものなのかもしれないが、子供たちを迎えに来て、手をつなぎ、笑顔で帰っていくママたちを見ていると、今の自分が、よりいっそう惨めに思えてくる。
 
彼女たちにも、それぞれの苦労や悩みがあるはずだが、そんなことを考える余裕など、今の咲希にはあるはずもなかった。
 
「……!」
 
溢れた感情が頬を伝い、思わず俯く。
もう、貯金も残りわずか……自分に合う合わないなんて言っていられない……バイトでも派遣でも、何でもしなければ……でもきっと……
 
「……?」
 
不意に、腿のあたりにぬくもりを感じた。
 
「マル……?」
 
見ると、いつの間にかマルが傍にきていて、咲希の腿のあたりに寄り添っている。
 
「マル、どうしたの……?」
 
「にゃあ」
 
「マル……!」
 
今まで聞いたことがないほど、優しい声。
マルは、大きな瞳で咲希の顔を見ながら、大丈夫だとでも言うように何度か鳴くと、撫でるように身体を擦りつけた。
 
マルを包み込むように手を回して、身体や頭を撫でても、マルは逃げず、ただ静かに寄り添って、時々咲希の顔を見た。
 
「マル、ありがとう……ありがとう……」
 
あったかい……
 
寒くて、一人で凍えているところに、湯気の立つ温かいココアを差し出されたかのような温もり……もふもふした毛並みは、すべてを包み込んでくれるような優しさにあふれている。
 
人間のような、分かりやすい言葉をかけてくれるわけでも、励ましてくれるわけでもない。だが、寄り添うというその行為が、どんなに気の利いた言葉よりも、優しさを雄弁に語っていた。気づけば、咲希をどん底に実感された絶望の涙は、温かい涙に変わっていた。
 
「マル……」
 
「にゃっ……!」
 
「あ、ごめん……! 痛かった……?」
 
横腹の一部に手が移ったとき、マルは一瞬ビクっとした。
逃げはしなかったが、少し痛かったらしい。
 
「そうか、まだ、傷が完全に治ってないんだね……」
 
「にゃあ」
 
マルは、気にするなといったふうに、いつもの凛とした顔で、咲希を見つめている。
 
そうだ……
野良であるマルは、辛くても、痛くても、泣き言をいっている暇などない……誰かや何かのせいにしても、何も変わらない……生きるために悩んでいる余裕などないのだ。悩んで、イジケて、行動を止めても、餌はやってこないし、外敵から身を護ることもできない。
 
そう気づいたとき、不幸を嘆いたり、過去のせいにして悩んだりしている自分が、情けなくなった。しかしそれは、自分を卑下するようなものではなかった。自分を奮い立たせる、前に押し出す想い……
 
「……マル、私、決めたよ。絶対に、自分の力を活かして、将来に繋がる仕事を見つけて、マルを引き取る。マルと一緒に暮らせる家に引っ越すよ」
 
マルは、自分に向かって何かを話す咲希を、黙って見つめていたが、なんとなく、何かを感じ取ったのか、”にゃあ”と一声鳴くと、再び身体を擦りつけた。
 
「ありがと、マル……私も、マルみたいに強くなるよ。泣き言いってる暇なんてないからね。私にも、守りたいものができたから……」
 
家に帰ると、咲希はさっそく行動を開始した。
気になるところには片っ端から応募し、面接の機会を得られれば、すぐに行った。
 
失礼なことを言う面接官もいたが、そういうところは自分から断り、相手がまだ面接は終わっていないと言っても、御社で働くのは難しそうですといって、部屋を後にした。
 
媚を売ってでも職を得るというのも、一つの手かもしれないが、それは結局、長期的に見ればうまくいかない。
 
どんなときも、凛とした態度で。
生きるか死ぬかの厳しい環境で生きる、マルが教えてくれたこと……
 
咲希は、面接で失敗したと思えば、それを見直し、リファインし、次に活かすことを繰り返した。それだけではなく、今できる勉強を積み重ね、少しずつだが、地力を引き上げていった。
 
もう、不採用通知をいくつ受け取ったかも分からない。数週間前なら、その数を気にして、とっくに動けなくなっていただろうが、今の咲希には、そんなものはカスリ傷にもならなかった。
 
 
そして一ヶ月後。
 
「ネットショップの知識があるのは、うちとしても助かります」
 
今日の面接先である、アパレルショップの店主は、目尻を下げた。
少し白髪が混じった頭と、タレ目のふっくらとした顔は、相手に安心感を与える優しさがある。
 
「実店舗での販売にこだわって、ここまでやってきたんだけど、ネットでも買えるようにしてほしいっていうお客様が多くてね。けど、ネットには疎いし、外注するにしても知識がないから、お金だけ取られて、見栄えだけのホームページを作られても困るし……
 
頼むにしても、ある程度自分たちで作ってから……と思っていたけど、それができる人を雇うとなると、中々ね……
 
だから、篠原さんみたいな人がきてくれると、本当に助かる。最初の給料は、あまりいいとは言えないと思うけど……売上は継続的に上がっているし、ネットショップも作れれば、お客様の要望にも応えられる。売上が上がった分は、給与に還元するから、ぜひ、うちにきてほしい」
 
「こちらこそ……よろしくお願いします。正直……それを専門にしている人に比べれば、ホームページ制作の知識は浅いと思いますが、作ることも管理することもできるので、さらに知識とスキルを向上させながら、売上も向上させてみせます!」
 
「うん、そう言ってくれると、嬉しいよ。
 それで……いつから来られます?」
 
「そちらが問題なければ、明日からでも来られますが……」
 
「それはありがたい!! とはいえ準備があるから……一週間後からでもいいかな?」
 
「もちろんです、ありがとうございます!」
 
決まるときはアッサリ決まるものだと、咲希は思った。
スタート時点での給料は、決して高くはない。だが、自分の持っているものを生かし、成長することもできる場所という条件はクリアしているし、働いている人たちも穏やかそうで、店の雰囲気や空気も、心地よく感じられた。
 
待遇はもちろん大切だが、そこで働いている人の表情、会社全体の雰囲気……そういうものが、意外に大事だったりする。
 
あのブラック通販会社は、今思えば雰囲気がおかしかった。しかし、当時の咲希は、正社員になれたことが嬉しくて、面接のときに感じた違和感を、なかったことにしてしまっていた。
 
その結果が、あれだった。
もしあのまま残っていたら、どうなっていたか分からない。
 
 
家に帰る途中、スーパーに寄って帰ろうと、いつもの道を歩いていると、マルが姿勢を正して、目を閉じていた。寝てるのかと思い、マルと呼びそうになったとの飲み込み、静かに通り過ぎようとすると、「にゃあ」と声がした。
 
「マル、ごめんね、起こしちゃったかな」
 
「にゃあ」
 
近寄っていき、身体を撫でると、マルはその腕に顔を擦りつけて甘えた。
 
「マル、ありがとね。マルのおかげで仕事が決まったよ」
 
そういうと、マルは咲希の顔を見て、一瞬笑ったのかと思うような優しい顔で、「にゃあ」と一声鳴いた。
 
「まだスタートラインに立っただけで、大変なのはこれからだけど……でも、大丈夫。引越し先を見つけて、一緒に住もうね、マル」
 
 
そして一週間後。
 
咲希は、初日から積極的に働いた。
新人であるという、ある種の特権は関係なく、一緒に働く誰もが驚くほど、懸命に。
 
仕事を精一杯こなす一方で、マルとの絆も深まっていったが、マルが元気に、人間との絆を深めるのを、快く思わない人間がいた。
 
幸せの影で、マルに再び、死の危険が迫りつつあった。
 
 
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その男は、仕事で面白くないことがあると、動物に八つ当たりしていた。行為はどんどんエスカレートし、やがて、その行為自体が目的となった。
 
「幸せそうにしてんじゃねぇよ、猫の分際で……こっちはムシャクシャしてるってのによ……ったく、あのクソ上司、いつかやってやる……!」
 
「ちょっといいかな」
 
肩をポンっと叩かれて、男が激高した。
 
「ああっ!!? 誰だクソがっ!!」
 
「谷村だな?」
 
「だったら何なん……え……? 警察……?」
 
「動物愛護法違反の罪で、逮捕する」
 
「え……? ちが……違う……!! 僕はそんなこと……!!」
 
「僕ちゃんがそんなことしてなかったら、逮捕なんてしないんだよ。さっさとこいっ!!」
 
いくつかの目撃証言と、獣医らの協力で、警察は、この近辺で起こっていた動物虐待の犯人を特定。ついに逮捕した。
 
獣医からの連絡で、それを知った咲希は、ネットニュースでも記事を確認した。
 
「あれ? これって……」
 
虐待男逮捕の記事の横に、レコメンドのように表示された見出しに、思わず視線を奪われた。
 
『ネット通販会社の社長以下2名を逮捕。日常的にパワハラやセクハラか』
 
以前、咲希が勤めていた通販会社、シンシアライフの社長以下幹部2人が、従業員へのパワハラとセクハラで逮捕されたらしい。実際には、山下の強制わいせつ未遂と労働基準法違反といったところだろう。
 
咲希の後に入社した、気の弱い女性従業員が、あの会議室で、山下に強姦未遂となる行為をされ、社長に言ったが、もみ消されそうになったので、SNSで自分がされたことと、シンシアライフの日常的なパワハラ、セクハラについての話しを公開。
 
あまりにリアルで、生々しい描写に、ネットであっという間に拡散され、シンシアライフのアカウントにも、問い合わせが殺到。社長の今村は、事実を事実として謝罪することもなく、火消しに走った結果、大炎上。
 
女性従業員は、ブラック企業対策の役所に連絡し、シンシアライフに行政調査が入ったことで、すべてが発覚。結果、シンシアライフは営業停止、実質倒産となった。
 
会社は、裁判で徹底的に戦うとしているようだが、裁判によって、一つひとつが明るみに出れば勝てるはずはなく、担当の弁護士は和解するしかないと言っているが、社長の今村とセクハラ幹部の山下は、争うといって譲らないらしい。
 
咲希のところにも、証人として証言してほしいとの連絡がきた。
咲希は、今の雇い主に相談した上で、それを承諾。
 
あまり関わりたくないのも確かだが、その女性従業員を助けたいという思いと、あのときの屈辱を晴らせるという、個人的な想いから、証言することに決めた。あんな連中、今は何も怖くない。
 
 
そして二ヶ月後。
 
ついにペットOKの家を見つけ、即契約。忙しい合間を縫って、引っ越しの準備を進めた。
 
「マル、私ね、引っ越すの。マルも一緒に来てほしい」
 
あの日、心が生まれ変わった公園で、マルを膝の上に乗せながら、咲希は言った。
 
「にゃあ、にゃ? にゃあ」
 
「なんとなく、分かってくれたかな(笑) 引越し当日の朝に、迎えにくるから、あのスーパーへの道の途中か、ここにいてね」
 
マルは、今度は鳴く代わりに、咲希の手に身体を擦りつけた。
 
そして、引越し当日。
 
マルと咲希が最初に出会った、あの道で、マルは珍しく、座って待っていた。いつものように、凛とした佇まいで。
 
「マル……よし、行こっか。
それと、これ、プレゼント。首輪ってあんまり好きじゃないけど、うちの子だって分かるようにね。きつくならないようにするから、アクセサリーだと思って」
 
「にゃあ」
 
 
絶望の中にいると、方向感覚を見失い、自分がどこにいるのかも、どこに向かえばいいのかも、分からなくなってしまう。
 
そしてそのまま、身動きが取れなくなる。だが、座り込んでしまえば、そのまま暗闇から抜け出すことはできない。
 
どうすればいいか分からない。
どうせやってもできない。
 
そんな想いに、心が覆われてしまう。
それでも、絶望することはない。
 
やればいいのだ。
今できることを。
 
その積み重ねが、いつだって道を開く。
 
咲希がそうしたように。
マルがそうしてきたように。
一つひとつ。
 
きっと、できるから。
 
 


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