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武田信虎 読書メモ その③

③信虎の登場と甲斐統一戦争

信虎が登場した頃、幕府は足利義澄と足利義稙の対立、管領 細川政元の暗殺から始まる、両細川の乱が発生していた時期である。
信虎は、わずか数年で祖父 信昌・父 信縄そして生母である岩下氏を病で失った、当時、信虎はわずか十歳。

そして、そんな幼君信虎(当時は信直)君に対して叔父である、油川信恵とその一党が挙兵したのである。
油川の挙兵は、幼い信虎を侮ったからって説もあるが、父 信縄から足利義澄を奉ずる立場を引き継いだのに対して、油川信恵は、足利義稙を奉じる事で、同じく義稙派の今川氏親・伊勢宗瑞の支援を受けられたからでは、って説もあるらしい。
油川信恵VS武田信虎の合戦を、坊ヶ峰合戦と呼ぶらしく、今川・伊勢宗瑞の支援を受けた油川に対して、今井・大井・栗原・穴山などの国人の支援、そして武田譜代の曾根・飯富・板垣などの支持を取り付けた、信虎方の勝利で終わった。

油川信恵を倒し、信恵を支援していた小山田氏を従属させる事に成功した信虎だが、危機はなおも続く。

信虎を支援していた、有力国人 穴山信懸(のぶとお)が息子の凶刃に倒れ、穴山氏は今川氏の支援を受けた反信虎派と、信虎を支持する親信虎派による対立が発生し、穴山氏を継いだ、信懸の息子 穴山信風(のぶかぜ)は今川氏に従属する事を選び、今川氏親の甲斐侵攻が始まる。

穴山氏の今川氏への従属の結果、隣接している国人 大井氏(武田一門)が信虎へと敵対する意志を見せる、大井氏の反抗を危険視した信虎は、大井氏を攻め、大井合戦が勃発する。

大井合戦は、大軍で侵攻した信虎軍が、寡兵の大井軍の反撃にあい、敗北を喫してしまう。
そして、大井氏を支援する今川氏の侵攻を誘発する結果となる。

大井・今川連合軍に敗れた信虎は、当時の本拠地 川田館を放棄する所まで追い詰められる。
しかし、かつての信虎に従属した有力国人 小山田氏が今川軍への抵抗を続けた事、遠江で今川氏に敵対している斯波氏が決起した事などが重なり、今川軍は甲斐攻略を諦め、信虎と和睦を結んだ。

この和睦に際して、大井氏から信虎は妻を娶る、この夫人が武田信玄の生母 大井夫人である。

油川・大井を支配下に置いた信虎は、信濃諏訪郡の諏訪頼満の支援を受ける、もう1つの有力国人 今井氏の叛乱を鎮定する事に成功する。

三氏の叛乱を沈めた信虎は、遂に躑躅ヶ崎館を中心とした甲府建設事業に着手する、そして整備された甲府に家臣たちの集住政策を推し進めていくのである。

そんな信虎の治世下で、栗原氏、大井氏、今井氏による三氏同時叛乱も起きるが、信虎の前に敢え無く鎮圧された。

甲斐守護として順風満帆な信虎に対して、宿敵今川軍が牙を向き、大軍を擁した甲斐侵攻が始まる。
大軍の今川軍に対して、甲斐の武田一門、譜代、国人は傍観の構えを見せ、今川軍は信虎の本拠地 甲府に迫るが、信虎は2000の寡兵で甲府を背に、大軍の今川軍と対峙し、飯田河原合戦、上条河原合戦で勝利し、滅亡の危機を跳ね除け、遂に甲斐の統一を成し遂げるのであった。

その④へ続く

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