NHK仕事の流儀「庵野秀明スペシャル」

このために一ヶ月だけAmazonでNHKオンデマンド購入してしまった(実は令和の日本にあるまじきTV電波届かないスポットに居るため、TV番組をこの数年見ていない)。

岡田斗司夫がYoutubeで言っているように、NHKも庵野秀明にしてやられっぱなしと言うか言われたまま撮っていると言うか迎合しているなとも思うが、いろいろと貴重なシーンも有り、満足できた。

番組の前半はなんとも気が乗らない庵野カントクの日常が映し出され、振り回されるスタッフの姿も几帳面に記録されているが、何しろ「序」「破」のあとにあの「Q」を作った庵野監督なのだ、普通のものを普通の方法で作るわけないよな、というのが古くからの庵野ファンというものだ。

一見エンターテインメントに徹したような「序」「破」で、”ああ、庵野も大人になっちまった”とつぶやいたファンが、「Q」で殆どのファンが困惑したのをよそに”やっぱり庵野は昔のままの庵野だった!”と狂喜したというエピソード(都市伝説?)は、そういう「予定調和をぶち壊す」エネルギーみたいなものを感じてQを喜んだ自分も確かに居たのだ。

なので、NHKといえども普通に密着させてくれるはずがない、というのは見る前からわかっていた、というよりもどうやって振り回してくれるのか楽しみにしていたくらいだ。そういう期待感からすると、いろいろ庵野風味を加えてはいるものの、やはりNHK的な「苦悩を乗り越えて完成へ」というシナリオが透けて見える(というかそのまま?)のがイマイチと言うかかなり減点。映像で撮られている庵野監督自身が「そんな映像撮っても面白くない」と、やたらNHK側を挑発し駄目だしするのも、「4年も密着することになって大変だぁ」くらいの苦悩じゃなくてお前もオマエで血を流せよ、という、巻き込まれたのならそのくらい覚悟してそちらの作品に生かせよという気迫が感じられてなかなか良い。

なので最後に「プロフェッショナルというタイトルが良くない」と言わせたのはまあ良かったし、この一言が庵野監督の「やれることは何でもやってみる」という方策を言い表しているのだろう。普通はアマチュアにしかできない無手勝流、それを膨大な予算をかけて人手をかけて自分以外にも試行錯誤させて、自分だけでなくスタッフも周りもすべて追い込む。こんな映画の作り方はプロフェッショナルの現場ではありえないのだろう。特に製作委員会方式で資金を集めたら、あらゆるスポンサーの意見を聞かなくてはならないが、全部自分の会社㈱カラーで制作しているからこそできることなのだろうか?

周囲のアイデアにどんどんダメ出しをしているシーンに既視感があった。それはアップルの創業者スティーブ・ジョブズが、部下からだされる1000ものアイデアにどんどんダメ出しをしていって、その結果究極のシンプルネスに到達してiPhoneやiPadを創り上げた、という逸話だ。

ジョブズ自身も、どんなものが創りたいのかと問われても「クールな素晴らしいもの」みたいなことしか言わない。しかし、他者のアイデアにどんどんダメ出しをしていくことで、逆にジョブズの中では究極のイメージにどんどん迫ってフォーカスが合っていくのだ。

番組の前半で庵野監督が「どうしたい?」と聞かれても「わからない、I have no idea.」と言って傍観していたのが、ダメ出しをしていくことで、ある時から自分でカメラを持ってアングルを決めたりし始めるというシーンは、ジョブズの創作に至る道のりと近いものがある、というよりもほとんど同じなのかもしれない。

「一人で脳内でイメージを膨らませていても面白いものはできない」というのは、自分自身を知るには他者が必要であるという、ある意味このエヴァンゲリオンというシリーズ全体のテーマとも言える「他者との関わり」を考える上で重要だ。映画の中身と映画の創作自体がリンクするというのは、今回もメタ視点として映画にも現れていたが、もしかすると人生というシナリオにはそんなにバリエーションは無いのかもしれない。その近親性が見ている人々の心を打つのかもしれない。

「アマチュアの心でプロの仕事を」というのは最近読んだ本にも出てきたコンセプトだ。エヴァとは全く関連のない東大名誉教授の早野龍五氏の本のなかに出てきたこのコンセプトは、プロフェッショナルや創作をする者の心構えとしてこれからの人々の生き方のキーワードになるかもしれない。

庵野秀明、スティーブ・ジョブズ、おそらく宮崎駿も、そうやって命を削って作品を造ってきた。それは一定の期間に一定のクオリティの仕事をするという通常のプロフェッショナルの範疇を超え、生活のためのお金を稼ぐという仕事の論理を超越した何かのために「自分の奥深くの魂の声を聞きとり」「自分が壊れることはひとまず考えない」ところまで自分を追い込んで作る。唯一無二と言いつつ、そういう作家性を人々が認めざるを得ないアーティストはあちこちの分野にいて、人々を惹きつけているのは間違いないと思える。

実は破滅的な生き方・仕事の仕方をしないという意味では全く似ていない村上春樹も、彼なりの方法で自分の無意識の声を聞きとって作品を創っていると思っている。そこへの到達方法にその人なりの方法があるということなのだろう。この考察もいつかまとめてみたいと思っている。

(5月26日追記)全長版の「さようなら全てのエヴァンゲリオン ~庵野秀明の1214日」も見てしまった。ナレーションもなく、安易な「苦悩を抜けて完成へ」のような見え透いたシナリオも(限りなく)排除して、現場の混乱とカオス、追い詰められた著名なスタッフたちの苦悩や開き直り、溜まっている作画チェックを淡々と庵野監督本人がこなしていく様子などなど、もうお腹いっぱいと思うくらい見せてくれたのが良かった。短縮版は4回くらい見直したが、全長版は一度見れば充分という気にさせてくれた。
これが現場のありのままの姿というわけではないだろうが、本当に制作に関わったすべての皆さんにありがとう、お疲れさまでしたと言いたい。
特に印象に残ったのは膨大な素材をプリビューからラッシュ、正式版までを監督の指示の下に構築していった編集の辻田恵美さん。アドビによる辻田さんのインタビュー記事を読んでから見ると、これぞ本当にプロフェッショナル!とうならされる。


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