HIDEYO BLACK MOON

イビサ在住DJプロデューサー。不健康で壊れきっていた状態からウェルネスな生き方に変化し…

HIDEYO BLACK MOON

イビサ在住DJプロデューサー。不健康で壊れきっていた状態からウェルネスな生き方に変化していくその半生記を記述。ノマド的トラベ ラーとして10年以上世界を巡りながら1〜3万人規模のフェスティバルに出演を重ねた後、2011年よりイビサ島を拠点とし活動。

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黒い月の贈り物 

 序章 私は、パーティーアイランドとして名高いスペインの地中海に浮かぶ島イビサと東京をベースに、”ミニマリストでノマド”と言えば今っぽいが、行きたい時に行きたい国に行き、時には旅先で暮らすという根なし草なライフスタイルを10数年ほど送った。90年代後半から東京で始めたDJ活動を経てノマド的なトラベラーになったのだが、2011年に本格的にイビサへと移住し音楽制作を始めた。だが性分的に一箇所に留まれず、また放浪しようと旅に出た矢先2020年、コロナが世界中をロックダウンに追い込ん

    • 終章

       私の物語はまだまだ続くし、出会った素晴らしいメソッドの数々も紹介したいけれど、ここで一旦幕を閉じておく。   ブルガリア人の彼と別れた半年後の2019年10月、イビサの全ての荷物を処分したり預けたりして一旦引き払い、その年の暮れまでには父と母の遺品も全て処分し、晴れて無期限の放浪の旅を試みたところでパンデミックが世界を覆い、序章で書いた通りヒーリングメソッド天国なタイランドにてスタック。パイやチェンマイ、コパンガンを中心に数々の”施術”やリトリートを受け、身体やメンタルに

      • 50. 黒い月の贈り物

         まるで計画されていたかのように、葬儀と’四十九日法要’のその間に、アメリカ‧オレゴンの皆既日食フェスティバルがあり、私はそのフェスにDJとしてブッキングされていた。行けるかどうかは父の状況次第だったので数ヶ月前に出演をキャンセルした方が良いかも知れない旨を伝えたのだが、オーガナイザーはそうせずにギリギリまで待ってくれていた。なので、まだ出演者としていくことが出来た。  亡くなった人の魂は四十九日間、まだ家族の側にいるという仏教の教えを信じ、私は葬儀から数日してフェスティバ

        • 49. 愛と死

           イビサに到着した翌日の早朝に弟と連絡を取って父の様子を確認し到着日時を伝え、フェスティバルの疲れとアルプスからの長旅で少しまた”うとうと”とした2時間後、私は手に取った携帯のメッセージを見て固まった。時間差で2通、、、。 「容体急変って医者から連絡があった。今病院向かってる」 「亡くなった」  『え、、、、、』目を疑った。『え?嘘、、。そんな、、、』隣で心配そうに見ている彼に伝えたのか、自分に対してなのか「彼は私を待っててくれなかった、、、」そんな言葉が思わず口から出

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        黒い月の贈り物 

          48. 寝たきり

           1ヶ月が過ぎた後、肺炎は治ったということでその病院を出なくてはならす、’看取り専門’の病院へ移動となった。その間に一度自宅へ戻って良いと言われていたにも関わらず、直前に禁止され、結局、父が最後に自宅で過ごしたのは、私が3日間、家を空けた時が最後となってしまった。  肺炎になったのは、多分、いずれかの介護施設で宿泊した際の食事の時、”誤飲”したのが原因だろうと思う。食べ物を喉に詰まらせた時、それが肺に行かないようきちんと背中を叩いてやらないといけないのだが、それらの点々とし

          47. 父の決断

           2017年2月下旬、施設が利用出来ることになったお陰があって、少しだけ余裕ができた私は、投資する友人の会社の書類の件があって東京に3日ほど出向くことになった。何故だか予定していた翌週になる前に出向いた方が良い気がして、日程を変更して速攻で弁護士事務所で要件を済ませた。ついでに数人の友人に会って息抜きもし、泊めてくれた元彼家族宅から出てちょうど電車に乗るという時、お手伝いさんから連絡が来た。「昨夜から少し熱が出て治らないので、朝ごはん食べさせたら病院に連れていきます」  そ

          46. 愛の告白

           介護生活に入ってからというもの、お手伝いさんと二人で24時間体制で父の面倒を見ていた。始終つきっきりなわけではないのだが、どういうことかというと、夜中どちらかが父をトイレに連れていくからだった。  いくらオムツをしていても父は絶対にトイレでしかコトをなさなかった。これが本当に大変だった。ベルで起こされると即座に父の寝室に出向く。1分も待たせようなら機嫌が悪くなるから私達も必死だ。そして、ここからが長い。身体を起こしてあげて、歩行器に捕まってもらい、トイレによちよち歩きで赴

          45. 介護期間中のラブストーリー

           ここまでの各エピソードが進行している間にも、恋愛ごとは少なからずあった。どれもまた実らない恋愛ストーリー。以前抱いていた『何人か同時に愛せる人間なんじゃないか?』という自分への憶測は、ここに至るまでの間に『自分はそういう類の人間ではない』という明確な答えが出ていた。シンプルに誰か一人を愛して愛されたい。  イビサを引き上げる直前、その数年前に一度デートをした男性がいて、その彼と関係が再燃した。初デート直後、彼の曖昧な態度にがっかりさせられたこともあり、本気になるような相手

          45. 介護期間中のラブストーリー

          44. 介護生活

           11月ちょうど50歳になる誕生日前だった。この数年エアビーを通じて収入にしていた南青山のフラットは、その少し前に管理組合からエアビー禁止勧告を受けてしまったこともあり、すぐに処分することに決めた。私が”実家分室”と呼んでいた父と母から受け継いだ財産だったから手放すのは悲しかったけれど、まだまだ放射能汚染を気にしていた私は、もう東京に住むことはないだろうと思っていたし、東京オリンピック前で売却しやすいうちに売ろうと考えたのだ。  思惑通りマーケットの価格よりも少し高目の私の

          43. 帰国

           本格移住した翌年の2012年初春。2ヶ月ほど帰国した。2006年に見つかった子宮筋腫が、どうにも手に負えなくなっていた。レーザーや少し穴を開けるだけでは除去が無理な場所に見つかって、その翌年には手術を勧められていたのだがどうしてもお腹を開けるのが嫌で、6年もそのままにしていた。子宮を全摘すれば、お腹に傷をつけなくて済むが、子宮が無くなるのはどうしても嫌だった。なので開腹手術しか無かった。  この年には筋腫は誰が見ても、3~4ヶ月ほど妊娠してるのかと思うほど大きくなってしま

          42. 未知なる路

           1週間という弾丸旅程でビザを受け取りに帰国。そして私はイビサの正規の住人になった。”シンクロニシティ”もここまで来ると、もはやフィクションのようだ。  私はこのために何年もここに通っていたのか、、?それともいずれにせよ住むつもりだったのか?ビザの申請をしたのは「ヨーロッパに3ヶ月以上滞在したい」というもっと単純な理由からだった。それまで3ヶ月もしないうちに国を移動していたので気にならなかったのだが『それだと少し短すぎる』と初めて感じての申請だった。ヨーロッパ全土にいられる

          42. 未知なる路

          41. 東日本大震災

           3月11日のその日、朝からみぞおちの辺りが痛み、お昼頃その痛みに耐えかねて少しベッドに入って眠った後、起きてベッドを降りようと、ちょうど片足を着いた時だった。 『え、、、、?この揺れは何?寝ぼけてるの?』と思うか思わない一瞬に地震だと気がついた。今まで経験したことのないような揺れだが、私は結構落ち着いていて、壁にかかっている重い鏡が落ちたら困ると思い、その鏡の前の丸テーブルに乗せてあった2日前に購入したばかりのラップトップをテーブルの下に移動した。東京には3日前に地方ツア

          41. 東日本大震災

          40. 今日死んでもいい

           2009年7月22日、この日、私は奄美大島の2週間の皆既日食フェスティバルのチルアウト‧ヒーリングエリアを仕切っていて、皆既日食の現象が起きる日でもあり、私のファーストアルバムの発売日でもあった。  何年前からかその日に向けてオーガナイザーチームは準備をしていたので、スウェーデン人のシスター的なDJでセラピストな友人と、前年の2008年のブームフェスティバルで出会ったポルトガル人のインストラクターらを中心に、トゥルムからや、数名の日本人トラベラーなヒーラーやセラピスト、イ

          40. 今日死んでもいい

          39. ダンス・メディテーション

           テクノミュージック、クラブやパーティーで使用されるようなDJブースに最高のサウンドシステムとPA常駐、酒やタバコや人のおしゃべりで邪魔される事なく健康的に踊れる「こんなダンスフロアがあったらいいな」を実現させたダンスメディテーション。音が良ければもっと音楽に入り込めるし、いろんなダンスセラピーを受けて、そのどれもで物足りなかったサウンドのクオリティーを上げた。もちろん、日本でそんなことをしている人達はいなかったと思うし、パーティーシーンとウェルネスのシーンのいいとこ取りのダ

          39. ダンス・メディテーション

          38. リトリート

           2007年春。イスラエルを出てから、知り合いや友人、パーティーやフェスティバルに誘われるがままヨーロッパの国々を巡った。最初にポルトガルに入り1か月ほど過ごし、その間に3日間のリトリートに招待された。’リトリート’とは、日常から離れ自分を見つめ直す時間のことだ。  プレイしたヨガ·イベントで知り合ったシャーマン的なインストラクター·カリード。誘われるがままにポルトガル最南端の、今ではリゾート地で名高い’アルガルヴェ’に赴いた。当時はコンシャス系の人々が集まっているというこ

          38. リトリート

          37. ブーム・フェスティバル

           3万人規模のこの’ブームフェスティバル’は、メインとサブの大きなダンスフロア二つを筆頭に、ダンスエリアと同等ほどの大きさがあるチルアウトステージ、ライブミュージックが中心に行われるセイクレッドファイヤー、そしてヒーリングエリアなるものが主要なエリアになっている。その他、キッズエリアやアートギャラリー、エンターテイメントなダンスが披露されるステージ、他のステージやショッピングモール、各エリアにある数々のレストランやカフェの他にも、一度に1000人ほど収容できそうな大きなフード

          37. ブーム・フェスティバル