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徳山則秀と佐久間盛政の息子 徳山英行

賤ヶ岳の敗戦後、徳山則秀がひそかに養育した人物が鬼玄蕃こと佐久間盛政の息子である徳山英行です。
賤ヶ岳で則秀とともに戦った佐久間盛政は刑死し則秀は悲運に死んだ戦友の遺児を引き取り成長後は徳山英行と名乗らせて娘婿に迎えています。
1606年に則秀が亡くなった後、家督を継いだ嫡男である直政は若年のため姉婿である英行に2千石を与えて後見役とし(則秀の事前指名か?)、直政は3千石(のち3,243石)を相続しました。しかし英行は後見役を辞退し2千石は幕府に没収されてしまいました。
なぜ後見役を辞退したかは三つの説があります。
・僧となる志があって逐電したという説
・養父則秀への追慕と感謝の気持ちがあったからという説
・義弟直政に憚ったという説
があります。

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