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だれかのためでなく、あなたのために

だれかのためを思って一生懸命しているのに、どうしてこんなにつらいの?
何かしてあげたあとで、むなしくてやりきれない気持ちになるのはなぜ?
そう感じるのなら、少し立ち止まって考えてみましょう。

「だれかのために何かをしてあげる」ことは、一見美しくても、本当の意味でしあわせではないことがあるのです。

「だれかのために何かをしてあげる」とき、胸の奥に「本当はイヤなんだけど……」という気持ちがありませんか? 
その気持ちをぐっと抑えて、ガマンやムリをして動いていませんか?

犠牲的な感情で動くと、ガマンやムリをする反動で「私はこんなにしてあげてる」という気持ちが強くなります。
すると、どうしても見返りや称賛がほしくなります。
でもそれは、してもらう相手にとっては重たいことなのです。

素直に感謝できなくなって、称賛する気持ちもしぼんでしまうでしょう。
その結果、あなたは報われない痛みを抱えることになるんですね。
犠牲的な感情は、どんなに積み重ねても愛にはなりません。
犠牲と愛とでは、行為は同じように見えたとしても“動機”がまったくちがうからです。

自分にあるもの、たとえばやさしさでも、時間でも、お金でも、セックスでも、それを好きな人に差し出すときのことを考えてみましょう。
あなたの動機が「この人をしあわせにしたい」という愛ならば、相手は素直に喜んでくれると思います。
あなたも、相手のしあわせを自分のしあわせとして喜べるでしょう。

でも、犠牲的な感情が動機の場合は、「仕方がない」「嫌われたくない」「この人を怒らせてはまずい」という義務感や恐怖心が心に横たわっています。
それを感じた相手は、素直に喜ぶ気になれないと思います。相手が喜んでくれなければ、あなたは傷つくでしょう。

犠牲である限り、ふたりともしあわせにはなれないのです。

もしも「だれかのためを思ってしているのに」つらい、むなしい、やりきれないという気持ちになったなら、自分はいったい何を恐がっているのかを探ってみてください。

「人に与えるのをやめたら、人から必要とされなくなる」「人の役に立たないと、自分の価値がなくなる」と思い込んでいませんか?
すると、自分のことはさておき犠牲的行動をとりやすくなります。

あなたの価値は、人が決めるものではなく、生まれた瞬間からある‟生命“と同じように、すでにあなた自身にあるもの。
その価値を実感するためには、自分を心から愛するしかありません。

自分の正直な感情をもっと大切にしましょう。
犠牲は感情を抑えつけることでもあるので、これからは自分の正直な気持ちにできるだけ従いましょう。

正直な気持ちに「いい悪い」はありません。心の底から「そうしてあげたいな」と思ったことだけをすればいいのです。
そして、そこに生まれるうれしさや充足感をもっと味わてください。
そうすれば、自然に愛から動けるようになっていきますよ。

★ 著書『やさしくて、ちょっぴり不器用なあなたに。』(サンクチュアリ出版)より★

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