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一万田鑑相(いちまんだあきすけ)

生誕不明。死没は1553年。大友能直の三男 大友時景を祖とし、一万田村に土着し一万田性を名乗った。鳥屋城を居城に400年近く治めた一族。

鑑実(あきざね)の父親で、大友義鑑(おおとも よしあき)に仕える。この時の名前は親実(ちかざね)で息子とともに改名し、鑑相(あきすけ)を名乗る。兄弟に高橋鑑種(たかはし あきたね)宗像鑑久(むなかた あきひさ)がいる。

1550年二階崩れの変が起き、大友義鑑死去。義鎮に仕える。

1553年 正月 謀反の疑いで服部右京亮(はっとり うきょうのすけ)とともに討伐で死亡。

死後は息子 鑑実が継いだ。

一説には鑑相の妻または娘を奪うために大友義鎮が殺害したとかいわれています。

一万田氏はこの頃跡継ぎに苦しんだようで、嫡男を授かる祈祷などしています。ようやく授かったのが鑑実でした。

もし妻を奪ったのであればかなりの熟女。

娘なら父を殺した男の側室となりますね。

宗麟は熟女好きのようですから妻説もありそう・・・。正室の方がかなりの恐妻家だから側室もかなりこじらせた方がなっていたのかもしれません。

小説には隠し銀山を持っていてその罪で討伐されたとかなっていたような・・。

一万田鑑相でした。


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