ひがまい

徒然なるままに、日常をつづります。

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最近の記事

今をいきる子どもたちへ

これを書いている、ひが、という、三児+40代+母親+会社員からのメッセージです。 小学校受験、中学受験等、幼少期からの早期教育で戦わなくても、人生は長いし、人生こそ日々勉強なので、どうか、小さい頃から、がんばらないでください。 近年の早期教育は、情報過多で目に余るものがあります。少子化なのに受験競争が過熱しているのは、親と塾産業と学校運営側の問題です。こどもはその駒です。もしかしたら犠牲者かもしれません。 偏差値の意味が分からない、統計学を知らない子どもに、偏差値をつけ

    • 子を産んだ数だけ、救済してほしい

      仕事と育児の両立は、子どもを産んだ人数分、ダブル、トリプルと倍数で大変になってくることに、三児を産んだ後に気づいた。何度も流産を経験していることもあり、授かることは奇跡で、産むことが正義だと思っていた。脳と子宮がお花畑気味だったのかもしれない。 しかし、40代で、限界を感じるようになった。子どもが卒乳しても、卒園しても、小学校を卒業しても、育児は続く。今は中学生、小学生、幼児のトリプルコンボだ。相変わらず、多子の育児は私の脳処理への負荷、身体負荷も高い。今こそ、育児の何かを

      • 多子のキャリアはギャンブルだ

        今週、有給休暇を取った。私のために、私の権利として、私を休ませるために。しかしながら、現実は、ゴールデンウイーク後の保育園からは、どのウイルスの仕業かは不明だが、風邪が相次ぎ、三女も早々に発熱し、在宅ケアが必要になった。オワタ/(^o^)\ 私は、虚しさ以上に苛立ちを覚え始めた。誰の人生を生きているのかと。法律上、児童福祉の第一義的責任者である保護者である私が、育児放棄をすることはできない。そこに、先日、リスキリングをしたくて参加したウェブミーティングにて、私の質問に対して

        • 大人時間に戻りたい

          三児の子育ては、マルチタスクの極みである。特に、保・小・中学校と各児の場所や所属先が違うので、仕事をしていると、仕事とは別に、時々育児タスクが混線して、私自身がキャパオーバーで、破綻しかかるときがある。 たとえば、熱中症で学校から救急搬送された長女への同伴要請で私に電話がきたかと思えば、次女が別の理由で帰宅できなくなり、学校から引率願いの電話がかかる。まだ三女の園からの要請がかかっていないだけ、ましかもしれない。誰がどこにいく、というのを瞬時に決めなければいけない。核家族だ

        今をいきる子どもたちへ

          大切にしたい日に限って、子が発熱する

          スティックのりにボールペンを垂直に刺し、離し、また刺し、離し、と、文房具を壊す三女。これも発達の一つなので、マタ文房具ガーーーと目くじらを立てたくない。というのは表面的な心持ちで、内心は無である。次女はお絵かきをしながら夕食を食べている。食育で心配されるコショクのうち、固食、個食状態である。それを避けて大家族皆で食を囲みましょう、、、という心持ちにはならない。 三女は熱で倒れて食欲不振なので、文房具を壊していても回復しているなら良いとする。次女は小学生ながら中間管理職のよう

          大切にしたい日に限って、子が発熱する

          私は主婦にあこがれる

          一度でいいから言ってみたい。主婦になりたいと。 皮肉ではない。純粋な本音である。私の夫は、私を扶養に入れる気はないと、結婚前から言っていた。平等意識が強い人なので、そういえば、交際している時から割り勘だったし、就職に関しても、業界は違えど、妻は妻でフルタイムで働いてほしい、という思いで励ましてくれていた。逆に言えば、俺を経済的、心理的にサポートしてくれと言われたこともない。夫には、家事も育児も同等にこなしているという自負があり、主婦は家庭に不要だと思っている。 しかし、私

          私は主婦にあこがれる

          なぜ出産したかったのか、を再考する

          三姉妹の親だとわかると、「三姉妹、よいですねー」と、やさしいお言葉をいただくことがある。 しかし、知られていない真実がある。うちの三姉妹に登場しない、息子もいる。正確には、いた。 私は流産を繰り返す、不育症だった。不育症とは、連続して流産を繰り返すことを指す。今の生殖医療技術がなければ、誕生しなかった娘もいる。つまり、うちの三姉妹は全員が自然妊娠によるものではない。自然に出産まで至った娘もいれば、ホルモン注射を腹に打って、腕にホルモンパッチをはってと、ホルモン剤をふんだん

          なぜ出産したかったのか、を再考する

          ジャニーズ問題を、無視できない

          児童福祉法違反が成立していたであろう、故ジャニー氏の小児性加害問題について、最近のTV局や新聞ではいつの間にか、なかったことのようになり、BBCでしか報道しなくなった。 がんばっているタレントに罪はない、とか、ジャニー氏は故人のため立件困難、とか、日本語では色々な意見が聞こえてくるが、これは反復継続した小児性加害事件であったのに、忖度してきた日本のメディアの責任も、誰も現役アイドルが性被害について声を挙げていない横並び姿勢にも、私には違和感しかない。性被害について、未だに声

          ジャニーズ問題を、無視できない

          「お母さんは育児に専念してください」という無意識のバイアスと正義感

          厚労省から専門実践教育訓練に指定されている講座のオープンキャンパスがzoomで開催されたので、参加した。 そこで私は質問した。「私は子どもが三人いる会社員です。育児中の人でも貴校で両立できますか?子どもがいるため、時に想定外の欠席が発生しうるので、念のため確認できればと思います」という問いに対して、想定外の回答が来た。 S主任教官(男性)「子どもが成人だったら別ですが、お子さんがまだ手のかかる年齢なら、育児に専念したほうがよいです。僕たちは、貴重なお母さんとの時間をとりあ

          「お母さんは育児に専念してください」という無意識のバイアスと正義感

          書くことが、癒しになる

          働く三児の母になり、自己表現をする機会は、完全に失ったと思っていた。 保育園の連絡帳を書く。小中学校の書類を書く。すべては保護者としての記録のためであり、責任者として書いているだけだ。楽しい作業ではない。最近はいくらか子ども関係の書類はオンライン化したが、それでも保護者として直筆だろうとデジタルだろうと、書く作業からは逃れられない。時には子どものイベントのお礼状だったり、先生へのお礼状だったりといった、シャドーワークに近い書き物も登場した。 それは、だんだんフラストレーシ

          書くことが、癒しになる

          多子はキャリアを詰むのか

          もし私が人生をやり直せるとしたら、私は子ども一人でもよかったのかもしれない。子どもを産まなくてもよかったのかもしれない。 もし東京にいて、変化の激しい業界で、仕事に精進していくならば。 仕事が生きがいになれたかもしれない。私はスーパーウーマンになれたかもしれない。 私は幼い頃、男尊女卑が残る地域にいた。「女は理論的に話せない」「そんなに勉強して何になるの?師範学校に行くんか?」「女は数字に弱い」だの、様々なバイアスのシャワーを浴びて育った。子どもの頃の女子としての心理的

          多子はキャリアを詰むのか

          髪はどこまで伸びるのか?

          久しぶりに出会う人に、「髪伸びたね」と言われる。 爪も伸びたし、前髪も伸びた。そして衛生上、自力で切っている。 髪の毛は、、、三女を産んだ時はボブだったが、そこから気づいたらムーラン並に長くなった。 伸ばしたいわけではない。恋心があるわけでもない。念願もない。 美容にかける時間的余裕がない。かなしいかな。 40代こそ、美しくありたいのに、私はガサガサのドライな手で、割れた爪で、乳児湿疹用の保湿剤の残余をつけている程度。田中みな実様の真逆にいる。 ネイルもしたいけど、オ

          髪はどこまで伸びるのか?

          一重なのか二重なのか三重なのか

          夫が10分だけ外の空気を吸いたい、と出て行った。夜10時。 仕事の合間、育児タスクが五月雨式に入ってくる生活に、疲れているのだろう。その間、まだ寝ずに興奮する、花金を謳歌する姉妹。 先に寝た長女が、寝る前に突然、夏休みに二重整形をしたい、と私に言い出した。「生まれた時からバッチリ二重だったから、二重にしなくて大丈夫」と私がいうと、「今が大事なんや。赤ちゃん時代は関係ない」という。 私「成長したら二重になるって」 長女「そんなんしらんやん、未来はわからんやん」 私「私も一

          一重なのか二重なのか三重なのか

          家事と育児と工事の間、幻想行進曲

          三児の親になってから、劇的に変わったことがある。一人の人間が、三人のケアを同時に行うことはほぼ不可能だ。仕事が永遠にあるように、育児も終わりがない。 今この文章を書いている間も、左目と左耳で、予防接種後の三女の遊び相手をしつ、後頭部から長女と会話し、目の前では、先日色々とフィードバックを受けた次女の算数・英語のフォローをしている。ありえない。マルチタスクの極みに突入して、心は聖徳太子のようにはいられない。あ、聖徳太子は実存しなかったんだっけ。何方向からでも、何でも聞いてくれ

          家事と育児と工事の間、幻想行進曲