ひがさや

ここは訪れたい人しか来ない場所なので わたしはずいぶんと安心しているのです わたしの脳…

ひがさや

ここは訪れたい人しか来ない場所なので わたしはずいぶんと安心しているのです わたしの脳みそと体から出た声をここにこうして置いておけることに。 ここにあるのは生身の体ではありませんが 言葉になることで生きることができるなにかです なかのひとは『あしてあとれ』という架空の場の住人。

最近の記事

金色の一週間

 もう明日にはソレが迫っている。  私の勤める事業所では一年の収入の三分の一を掴む連休。子どもの体験学習をメインとした教育普及施設が迎え打つGW。そうつまりソレは、いつもの三倍から五倍の来客数を、いつもの二倍のスタッフ数といつもの八倍くらいのテンションで捌かねばならない期間…良く言えば祭り、正直に言えば嵐。  今年のソレは四日間と短めスパンなので、息もつかずに走り抜ける所存。  顔色の悪い、けれどテンションのハイな群の一員になって私も走る。その経済的理由も走らなければなら

    • 幸せに、なるよ

       今日は私の記念日だ。  これだけ生きていればちょっとキーポイントになる日付というのは増えていく一方で、けれど今日はその中でも大切な、友人の日。  彼はアメリカ人なのでそしてたぶんクリスチャンだったのでセレモニーはない。訪れるべき場所もない、私の住むこの島には。だからかつて彼の住んでいた家に、もう新しい家族が住んでいるのを確かめながら、その家の前の路地に少しのあいだ車を停めて、彼のことをなんかちょっと考える。幸福になることでしか恩返しなんかできないなぁ、とか考える。  午

      • 「好き」は別れの言葉じゃなくて

         たまにしか、ちゃんと「好き」って言わない人生でした。  だから、好きって言うとまるでお別れの言葉みたいに、自分の内側に響く。  …ほら、たまにしか言わないと、どうしても今言っておかなくちゃ!という時にしか言えないじゃないですか。  例えば、まさに今ですよ。年度末。  大好きだった仲間が、新しい場所へと旅立ってゆく季節。  例に漏れず、今年も見送ります。大好きだった先輩。一生ここにいるんじゃないかと思うくらい空気みたいにそこにいた人。  今、ほぼ毎日会えてるのに。  望

        • 生まれ変わりがあるのなら

          生まれ変わって、たとえば  私の顔は会ったことはない人に似ている。父方の曾祖母に。  私が生まれた時には亡くなっていて、だから一枚の白黒写真でしか知らない人。でも似ている。年を重ねてなおさら。あの遺影を撮った頃の曾祖母の年齢に、近づいているということなのかもしれない。    それはそうと、インド映画を近頃よく見る。かの国で大衆娯楽の頂点に君臨している、派手なアクションと分かりやすいストーリー。  よくあるらしい親の無念を晴らす復讐モノの主人公は、親子両役をスターが演じるこ

        金色の一週間

          インド雑貨屋のおじさんをおじいちゃんみたいに想った話

           昔からあるインド雑貨屋さんへ、やっと行ってきた。インド映画にハマってから1年ちょっとかかった。私のケツの重さをおわかりいただけることと思う。  けれど重いケツを上げさせたのは、結局インド映画が理由ではない。昔その店で買った猫の顔の形をした革のコインパースが、もしかしたらまだ在庫で残っていたりしないかと思ってのことだった。今よく見かけるデフォルメされたデザインではなくて、もう少しインド絵画寄りの、ちゃんと猫の顔のフォルムをしていて、色もいろいろの。  小学生だった当時、今

          インド雑貨屋のおじさんをおじいちゃんみたいに想った話

          さよなら、おばぁ

           蒸した黄金芋とサマハンティーが冷めるのを待っている。  痛いのは喉だけなのに、腰を中心に体のあちこちの重量を、普段なら意識されることもないその単純な重みを、感じる。鼻の奥だけグズグズと賑やかに、「祭り祭りだ」と主張する。それでも熱は出ない。この体は、もう熱を発するのが難しいのかもしれない。切れ目のない眠気が遠くから私を呼んでいる。  昨日祖母が死んだ。  亡くなったらしいよ、と家族で唯一同盟を組んでいるすぐ上の姉から連絡が来た。神の御加護か、この流行り病のおかげで、私は

          さよなら、おばぁ

          ここにね、この手のひらに

          子守唄のように この手のひらに、手灯り 子守唄のように やさしい、例え話 おおきくおおきく息を吸って ああこんなことが、と思う ああこんなことが、 こんなふうに どうしたら大切にできるかわからない まるでわからないままに、けれど なんてこった本当に?正気で? わからない ままに こうして言葉を 信じてみようと、している かんたんに告げてしまえること なんでもないみたいに届いてしまうこと どうしたって不安になること ぜんぶひっくるめて、だから 誰のためでもない言葉で

          ここにね、この手のひらに

          見えない獣の世界で

           うぉーん、うぉおーん、と、私の内側で獣が哭く。  こんなに鳴り響いているのに、その哭き声は、あなたには聴こえることがない。こうして獣を哭かせてしまうのは他でもない、あなたがくれた言葉であるというのに。  良い聴き手は良い演奏を生む。今、私の言葉が際立つのだとしたら、光るのだとしたら、それは良い読み手のあなたがいらっしゃるからだ。ただただ虚空に書きつけるのとはもうまるで違ってしまったことを、この指は知っている。  画面上のキーボードにサラサラと指を滑らせながら、この指は考え

          見えない獣の世界で

          ひかりのあなたへ

           とあるココとは別の場所に言葉の塊を置いている。いわゆる“同好の士”という、仲間内でさざめくように、他には見せられない創作物をひそやかに交わしている場所で。基本的には穏やかな凪のような空間で、ただ受けとって滋養を得る側だったのがいつしか、狂わないために書きまとめた癒しのための言葉の塊をそこに、送りこむようになった。  そうしてみれば当然誰かが読んでくれる。さらには実に稀有なことに、感想までいただくようになった。贈る方からすれば他意のない、シンプルな言葉の花束なのだろう、けれど

          ひかりのあなたへ

          音が流れてゆく台所で

          家事を、日常生活という信仰の儀式だと考えたら  多くの点でその時間が楽になる 家事の有用さというのは理解していて、 それはもう単純に生活の質の話なので 手心を入れるほど居心地は良くなるダイレクトに自分に返ってくる …よね、わかってはいる   ただこれは、あくまでライフハックで、 時間をとめてしまいたいと願っている自分を置き去りには できないのだ お腹はすく 頭は痒くなる 床はザラザラする 猫のトイレが臭う 猫は、彼らはご飯がなければ死ぬので  私は文字通り自分の命を分けるつ

          音が流れてゆく台所で

          道標、たぶんね

           いつかの夕暮れ、灯りが灯っていく住宅街を坂の上から見下ろして、思った。『ここから見える灯りのもとで、一体どのくらいの子が、誰にも言えない秘密を抱えて今日も泣いているのだろう』。  そういう感覚持っているのは私一人ではないと知ることができた研修旅行だった。そのためにお金と時間を費やしたのだと、自覚した。ここまで来れたという道標。暴力被害の自覚から15年の時間をかけて、ありとあらものを賭して、…ここまで来た。  とはいえコレは続く。終わることはなくて、これからもありとあらゆる

          道標、たぶんね

          夢にもみなかった

          ふっと唇からほとばしる言葉ほど 力強く かつ 誠実な言葉なんかない かなわない それで 黙ってしまうよ どこにどうやってと考えるうちに かけるべき姿を見失ってしまう 風のように去っていっていい あなたは わたしもきっと同じように あっという間に日常に飛び去っているのだから 朝が充ちてゆく つぶやきと靴下は夜に包まれたままだ そのこぼれた一言に追いつく言葉を 結局わたしは持っていない 抱きしめます ただここから なにを、とは言えないままに あなたのその一瞬があった も

          夢にもみなかった

          書くスピードが

          書くスピードがどんどん上がっていく たぶん明日までが蜜月で そこから後はヨクワカランになっていくんだろな も少しぐずぐずしていたい でも脳みそはとまらない 言葉の反響がきもちわるくて、 少しばかり賢くなった私は別の感覚に逃げる

          書くスピードが

          その、ひかり

           はっきりしない雨、澱み色の空、明暖色の街灯に照らされるそこだけが本当に、ひかって見えた。  勢いと喜びだけにあふれた、若い男性の声。2人組に男の子たちが、職場駐車場の公共コテージでスマホに合わせて謳っていた。別にラップには詳しくない、詳しいことがあるとするなら、表現者の喜びがそこにあるかないかを観てきたということ。  その意味で彼らは、間違いなくひかっていた。  おばちゃんになっていてよかったな、と思う。近づいてくる大人に気づきもしないくらい楽しげに向かい合って歌う彼

          その、ひかり

          もう無理だ、って ずっと思ってる。

           透明な色の空を渡っている。彼女の島から私の島までは1時間とすこしで辿り着く。時間線を越えるので、来る時はまるで15分足らずで移動したような時間表記になる。とても近い。とても似ていて兄弟姉妹のような「外国」で、私は彼女といううつくしいフィルターを介して見るその国のことがとても好きだ。実に近代的なその国の人に向かって「彼女」と呼びかけると穿った見方をされるかもしれない、私は全性愛者だけど彼女は恋愛相手ではなく、けれど唯一無二の親友で、彼女を前にしてしか言語化できないことが本当に

          もう無理だ、って ずっと思ってる。