【小説】 名前を言えないあの人

親友と呼べる相手が存在すると胸を張って言えるだろうか。

私には心から親友だと思える人物が存在した。知人や友人が多くない私にとって、彼は貴重な存在だった。

彼と私は一見親しそうに見えなかったことだろう。見た目も中身も何もかもが別系統の人間だったからだ。

彼は所謂陽キャというやつで、明るい性格だけでなくルックスもファッションも洗練されていた。

一方私は陰キャを体現したような人物であった。ボソボソと喋るし、基本的に人と目を合わせられない。猫背気味でお洒落にも無頓着だ。

まるで水と油のように交わることがなさそうな二人である。そんな彼と私だったが、不思議と馬が合った。

彼は友人知人が多い印象だったが、私と被っている講義に関しては共に受講することが常であった。

昼食を共に摂ることも珍しくなかったし、互いの部屋で酒を飲んだり一緒に銭湯へ行くこともあった。

私にとって、大学生活の中で親しい友人と呼べるものは彼一人であった。


私は呆然と立ち尽くしていた。 

眼の前に掲げられた親友の写真を見つめ、身動きが取れないでいた。

写真の中の彼は笑っていた。それに対して私は今どんな表情を浮かべているのだろうか。

慣れない喪服に身を包み、普段よりも丸まった背中で彼だったものを見下ろしている。

彼は亡くなってしまった。彼のお通夜に参加しているはずだが、前後の記憶も曖昧だった。

頭の中がぐちゃぐちゃでよく分からないままに通夜を終えてしまったようだ。


彼が亡くなったのは事故に近いものだった。大学内で彼とその知人とが話をしている際にその事故は起きた。 

彼が好きなアーティストの話題でヒートアップしていたらしいのだが、その名前をフルネームで発した際に勢い余って激しく舌を噛んでしまったらしい。

そうして舌を噛み切ってしまった彼は窒息死してしまった。
舌の筋肉が収縮し、気道を塞いでしまったのだという。

舌を噛み切って死ぬというのは失血死なのかと勝手に思っていたが、実際はほとんどが窒息死だそうだ。

彼は私にもよくそのアーティストの事を語っていた。

正式名がきゃろらいんちゃろんぷろっぷきゃ○ーぱみゅぱみゅなんだと彼は教えてくれたが、長すぎて覚えられなかった。

ぱみゅの元になった某お笑い芸人のことも好きだと言っていた。

そのアーティストの事を語る際の彼は本当に活き活きしていた。きっとその日も熱を帯びて語っていたに違いない。

まさかそんなことで亡くなってしまうだなんてという驚きを隠せなかった。


彼の死はちょっとしたニュースにもなっていた。

その度にアナウンサーの方々が噛みそうになっていて、プロでも言いにくい名前なのであれば彼が噛んでしまったのも仕方ないのかもしれないと思えてきた。

Twitterでもこのニュースは話題となり、一昔前のドラ○もん風に発声すると噛まないというツイートがバズっていた。

彼が亡くなる前にその知見を伝えてあげられていれば、この事故は防げていたかもしれない。

そんな後悔と喪失感とに打ちひしがれながら、一人涙を流した。


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