見出し画像

書く側と書かれる側と③

書かれる側になり、取材され、おかしいなを感じながらも原稿にOKを出した、その後です。もうすぐ終わります!

私の経験したことで間違いないその1万文字の原稿に、OKを出した。「これでいい、間違ってない。私の経験は誰かの目に触れるだけで良い。そういうものなんだから」と思うことにした。

いよいよ掲載される時、再びライターさんから連絡があった。
その時に、記事を一度だけ読んだ。

文章は劇場型に整えられ、恐ろしさや苦悩を表す写真が並んだ。
ライターさんが最後に自分の考えを1行だけ書いていた。

一度だけ読んだきりで、あまり覚えていないけれど、「女性はよく考えて行動しましょう」のような言葉だった。その教訓に違和感はあったけれど、OK出したのは私だから。もういい、と思った。しんどくて何回も読めなかった。

……と、ここでお話は終わりだったら良かったのだけど、
実は記事がメディアに上がってから、半年後ぐらい。

その時に私はライターを始めていた。

自分で書くようになり、書くことの難しさや、1万文字に、聞き取ったことをまとめるのは気合いのいる時間であるのを知った。

そして、もう1回あの物語を読んでみたい気持ちになり、読み返した。

怖くなった。読者からすれば、よくあるネット漫画に出てくる設定で、「マジでこんなことあるの?!こわ」ぐらいの感じだと思う。でも本人からするとl明らかに私の思ったものじゃない、と震えた。私が伝えたいことは書かれていなかった。

何を今更!いち一般人の経験なのにここで言い出してどうなる?散々迷った上、メディアに連絡しようとした。でもどこに連絡をしたらいいか分からない。

思い切ってメディアの一般お問合せに窓口に「こちらに掲載された記事の取材元の本人です。一度OKして申し訳ないのですが、この記事の取り下げ、もしくは一部訂正をしてもらえないだろうか」と無茶苦茶なお願いをメールで送った……。

(返事は来ないと思ってました。けれど、思うよりすぐに編集部から大変丁寧な返信をいただきました。そのメディアがネットに私の体験談のような記事を上げる理由を色々お聞きしました。その上で納得し、結局記事は一部訂正を加えてネット上に今もあります。普通であれば、記事ネタの本人だとしても、何を言ってるんだ?最初に了承したじゃないかと言われてもいいぐらいの私の訴えだったと思う。でも、とても忙しいはずなのに親切に精一杯、対応してくださいました。いい記事を上げようと日々されていることがよく分かりました)

記事を書くこと、掲載することは、とても重い。大切なことなのに、全く分かっていなくて、掲載にGOを出した自分に反省の出来事でした。今はネット上を漂っている自分の物語が、誰かの元に着いていて、読んだ人が何か思うことがあればいいなと穏やかに思っている。

書く側となって2年。書くことに思い悩み悶々じたばたするとき、そこで放り投げたら後悔すると思っている。時々、この出来事を思い出して、書かれる側のことをどこまで思えるか、問い直して戒めている。おしまい





この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?