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高校の同級生 チュン(シドニー)

(2017年10月、ベトナム、ホーチミン、CM撮影)

ベトナムに来ると思い出す。チュンという少年のことを思い出す。

少年とは言っても、当時彼は僕と同じ16歳だった。オーストラリアの高校に通うための英語の準備校 “Intensive Language Center” で、彼と出会った。背は小さく、体も華奢で、少し引っ込み思案だったけど、笑うと笑顔がくしゃくしゃになる素朴な男の子だった。

お互い渡豪して間もなかったからほとんど英語は話せなかったけど、ある日の週末、二人で街に遊びに行こうか、という話になった。駅で待ち合わせ、電車に乗り、当時はまだシドニーの都心にしかなかった映画館を目指した。映画を見終えても、やはりお互い語彙に乏しく、感想を交わし合うこともできず、顔を見合わせ微笑みあう、それぐらいしか僕らには為す術がなかった。

大阪らしい「コテコテの」高校生活を満喫していた矢先に、急に舞い込んできたオヤジの転勤話。高校一年の二学期も終わらないうちに、南半球の見知らぬ国に連れて来られ、急に友達が誰もいなくなり、英語も話せず悶々とした日々を送っていた中、ベトナム人と二人で街に遊びに行くということは、なかなかの非日常でありちょっとした冒険だった。だから、少しだけ楽しかった。と、思いたかったけど、正直に言えば、少しつまらなかった。いや、どちらかといえば、つまらなかった。そんな1日だった。

僕はなんだか気になっていた。映画にでも行こうかとチュンを誘った時、彼は少し恥ずかしそうに笑っただけだった。いいねぇと積極的な反応を見せるわけでもなく、ただなんとなくお伴をしてくれたという感じだった。ポップコーンもジュースも、僕はいいからと遠慮をしていたし、別れ際も、「また遊ぼうね」とはならなかった。熱を帯びないふわっとした挨拶を交わして、僕らはそれぞれ家路についた。

オーストラリアでの生活が進むにつれ、僕には友達が増えていった。日本の部活でもやっていたサッカーを通して、つきあいの輪が広がって行った。レバノン人、クロアチア人、メキシコ人、ハンガリー人、イタリアン人、オーストラリア人・・・その輪の中に、あのベトナム人はいなかった。一回きり街に遊びに行って、それ以来もう再び遊ぶことはなかった、チュン。いいやつだけど・・・淡白だし、面白くはないし・・・自然と彼は遠ざかっていった。

その時は分からなかったけど、実はチュンは国を棄ててオーストラリアに来たのだと、だいぶ後になってから知った。彼はいわゆる「ボードピープル」だった。自分の視界に入る世の中の目の前のことしか理解していなかった青二才の僕は、そんなことはついぞ想像もしなかった。いま思えば、映画を観ることは、彼にとってはそこそこの出費だったと想像できる。いつもと変わらない白いワイシャツとグレイのスラックスの恰好で、彼は僕と街に行ってくれた。電車賃だって本当は惜しかったのかもしれない。でも、彼は誘われるがままに、僕につきあってくれた。そして、はにかみながら帰って行った。

言葉ができていたなら、お金があったなら、友達になれたのかというとその保証はないし、そうしたかった、ということではない。境遇を知らずに出費をさせてしまい申し訳なかった、謝りたいんだよ、ということでもない。ただ、ベトナムに来るとチュンのことを思い出す。彼のくしゃくしゃの笑顔を思い出す。そして、どこか切なくなる。

一緒に観た映画のことを、僕は何ひとつ覚えていない。
チュン、君は、覚えていたり、するのかな。

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