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思い出の1976年 / 葉山に暮らした日々

 アメリカ独立記念日に想う個人的でミーハーな思い出
46年前と言えば、青春という漢字を思いだせないくらい遠い昔の話。
そして今、Beatlesが”When I'm Sixty Four”と歌っている年齢も過ぎた。

今があるのは、その恥ずかしくて書けなくなっ漢字の時代があったからだ。当時将来のビジョンなど見えていない、今が楽しければそれで良かったし毎日が充実していた。わんぱくでも良いたくましく育って欲しいって感じだった。若いってそういうことなんだろう。

1976年夏、洋菓子店でパテシェとして修行して2年が過ぎた頃だった。毎日の仕事は大変だったが若さで乗り切っていた。勿論、写真も撮っていた。

時はアメリカ建国200年で盛り上がり、良きにつけ悪しきにつけアメリカ文化どっぷりの影響を受けて育った時代のどん真ん中いた。当時は葉山に住んでいたが、湘南はサーフィンブーム真っ只中、ファッションもウエストコーストの影響をもろ受け、この頃からスニカーブームも始まる。ファッション関係は横須賀どぶ板辺りのアメリカンカジュアルウエアーの店で調達し、行くお店と言えばデニーズ、七里ガ浜の山上にあったサンゴ礁、お好み焼きは鎌倉津久井が定番だった気がする。そして葉山にあったカウベル、パン屋はボンジュール、Kentuckyは葉山マリーナの入口にありビールも置いていて夏の夕方は大いに賑わっていた。焼豚は三浦屋、コロッケは旭屋が定番だった。

栄枯盛衰、現在も変わらずやっているお店もあればなくなったお店もある。そうそう思い出したが、カフェモアと言う喫茶店というかカフェと言うか素敵な洋館のお茶を飲める所もあった(2000年初頭まで営業していたようだ)し、小町通り入り口近くにレコード屋が半地下にあり、同じビルの上の方にはジャズ喫茶もあった様に記憶している。77年にはレストラン ラ・マーレが鐙摺にオープン、初代総料理長は熊谷喜八氏で週末になると東京からモデルや芸能人も押しかけ一世を風靡し、今も賑わっている。一方東京ではデスコブームが始まろうとしていて、映画サタデーナイトフィーバーをきっかけに一大ブームが巻き起こりその後のバブル崩壊まで続く。

76年秋にはイーグルスがホテル・カリフォルニアをリリース現在までに全世界で3,200万枚以上を売り70年代ロックの金字塔となる。当時住んでいた社員寮でJBLから流れる爆音で聞いた時この曲は生涯のBGMとなり、新しい時代を感じた。

この頃の情報源と言えば雑誌だった。そこで得る情報と口コミの情報で若者は遊び回っていた。今、世界の情報はネットを介してリアルタイムで知ることが出来るので流行の賞味期限も短い様に感じるが、あの頃はどうだったんだろうとふと考えたが、スマホがなくても情報は入ってきたが一方的であったのは否めなかった。それでも雑誌からの情報を上手く利用して美味しいお店やトレンディーな場所や物を探し出していたように思う。

2076年の建国300年記念日のアメリカはどうなっているのだろう?私はこの世にいないが、今の混沌としたアメリカを見るに衰退に向かうのだろうか、それともMade in USAが復活し強いアメリカが戻っているのだろうか、見てみたい気もする。




皆さんの1976年どんな時代だったでしょうか?良かったらコメント欄に残してくださいね。勿論、生まれてない人はその時代のイメージをお聞かせください。

photographer higehiro

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