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何故…作詞家だったのか? ①

サラリーマンでなければ何でもよかった

親父の背中

 夢見る職業など特になく、「まっ、何とかなるでしょ!」程度の学生時代でした。ただ、サラリーマンだった父の姿を長く見ていた中で徐々に感じていたのは、「サラリーマンではない、何か自分の腕(特技?)で食べていく」という極めて大雑把なこと。要は諸々縛りのない①自由度と、自分の成し得た結果に対して、それ相応の成果報酬をダイレクトに、且つ目に分かり易い形で受け取れる②プロフェッショナルなスタイル~が欲しかったのかと思います。
 休みなく働く父親に遊んでもらった記憶と言えば、半年に一度程、家の隣の駐車場でしたキャッチボールくらいでしょうか。それだけ会社に尽くしても決まった給与と賞与(他にもあったのかは知りません)…子供ながらに割に合わない生き方と思っていたんですね。主人は家族のためにしっかり働き、妻はしっかり家庭を守る…昭和の高度成長期でした。

じゃあ…何が出来るの?

 とは言えこれといった才能や特技もなく、職業の候補には何一つ上がって来ません。先述の信念だけはやたらと固く、実は学生時代を終えたのは同級生達よりやや遅かったのですが、それでも所謂“就活”は一切せぬままの毎日でした。父には色々思惑もあったようですが、基本彼の観念は「サラリーマンの息子はサラリーマン」でしたから、それにも必死に抵抗した記憶があります。
 そこで、いつでも最後に追い詰められる決め台詞が
「じゃあ…お前に何が出来るって言うんだよ?」
結構キツイんです、返す答えがありませんから。
「だから~…その内~云々カンヌン…」といった調子で誤魔化すしかありませんでした。
料理人? 料理なんかしたこともないし
職 人? って何の?
芸能人? あー無理無理!

信 念~出会い

 同時に色々やらかしていたその当時、二度目の勘当と共にアルバイトを始めました。結婚式場での給仕、当時日本で一番忙しいと言われたレストランでのウェイター、その後も……。
 たまたま友人の誘いでスポット入りした某音楽関連のお仕事で、仕事終わりに飲みに連れて行って頂きました。その席に某レコードメーカーのディレクターの方がいらして、担当アーティストの次曲の歌詞について「いい作家知らねーか?」の様に話されている中、コンセプトやらイメージやら横で聞いていた私は、テーブルにあった確かカラオケのリクエスト用の紙だったと思うのですが、おふざけで何となく詞を書いて「ではこんな感じで…」と彼にそれを手渡しました。笑われて一蹴されるつもりが、何故かそのディレクターさんは暫くじっとそれを読んだ後で、
「いいじゃん、面白いよ、才能あるかもよ。どうせやること決めてないなら作詞家とか…いいんじゃない? 美味しい印税生活目指してさ!」
半ば冗談ではあったかと思いますが、言われた方にはうっかりピンと来てしまうものがありました。と言うより単純にその気になったのだと思います。
“おニャン子成金”のような言葉も世に言われた時代、作詞家というワードがそれ以来クローズアップされていたこともあり…少年Mはそれだけの理由で作詞家になることを決意した訳です、何の躊躇いもなく。

次回 ②に続く


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