「アベやめろ」の気持ち悪さ 今回の選挙で考えたこと

この記事は7月8日に書いている。10日にアップする予定だ。

アップするころには速報で大勢が判明しているでしょう。まあ選挙の分析はデータあつかえる立場のひとにお任せして、今回の選挙で感じた、いや、実はずっと感じていたのかもしれない違和感に自分の解釈がみつかったのでちょっとそれを書きます。

さて、4つのメッセージを書きます。あなたが「のれる」メッセージはどれですか?「のれない」メッセージはどれですか?

1「アベやめろ」

2「舛添やめろ」

3「保育園落ちたの私だ」

4「(サラリーマンが同じテーブルを囲んで)部長のバカヤロー」

私は3はのれる。1はのれない。2は都民のたくさんのひとがのってたけど私はのれない。4は私はあなたと同じ職場じゃないからのれない。けどそのテーブルのひとたちはのれるんでしょうね。

3にのれるのは被害の回復を訴えているからじゃないか。不利益を被ったひとが救いを求めている構図。これはのれる。権利は保障されるべきだし、わたしがいつどんな不利を被るとも限らないから。

わたしのツイッターのTLにはしばしば1が流れてくるんだよね。まとめサイトフォローしすぎかな?w んで、このメッセージがのれない。なんか気持ち悪いんだよね。んで、「『アベやめろ』はなぜ気持ち悪く感じるのか」を考えたんだけど、これって、『悪意への連帯を求めているから』じゃないか。わたしは普段生活していてほとんどの場合悪意を声にすることがない。他人に悪意の連帯を求めることもない。だから、悪意を声にして連帯を求めてくるひとが気持ち悪いんじゃないかな。

そんで、この「アベやめろ」ってメッセージって、反政権の一部の人が使ってるメッセージなんだろうけど、その一部のひとのおかげで反政権全体が気持ち悪く見えていやしないか。「アベやめろっていう気持ち悪い連中の仲間だろ」っていう構図になって、それが政権票になったり極めてセンシティブなひとの棄権を招いたりしていないだろうか、と思ったですね。

あと、こんなのもありました。

https://twitter.com/kazz12211/status/750511403463696385

「アベやめろ」は『アベはよくやってる』を生む、と。

あと、2のメッセージ、あたしはのれなかったんだけど、すごい支持されたよね。これ、だから、誰が情報を出しているか、で、だから、いまなおTVの影響力は強いんじゃないですかね。

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