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ポムじいさんでもいいかな

土の道を歩いていないな、と思った

ここしばらくは新宿の街を徘徊するばかりだった。今年の猛暑で灼熱に炙られた道路は熱を巻き上げて上空に勢いのついた積乱雲を作ろうといくつも挑戦していた。雨の日は街頭に光る車道を次々と塗り潰していく車のヘッドライトの群れをかき分けて歩き、雪の日は不規則に踏み固められた砂埃色のシャーベット状の雪を避けながら地下道へ潜って駅へ向かう。どこへ行っても土の道は見当たらない。高島屋とJR東日本本社ビルそれぞれのデッキをつなぐ橋の上で一呼吸、そっと雲を仰ぐ。池袋方面は雲が立ち上り渋谷方面は浮雲がゆるゆると茜色の空を流れて行くのを確認する。

新宿南口は新しい商業施設やバスターミナルも出来て急速に変わっているように見える。確かに変わってはいるけれどそれはFlagsが出来た時もそうだし高島屋が出来た時もそうやって思った。そのたびにみんな変わっていくよねと思っていたし、近所の焼きたてベーカリーが出来ては消えを繰り返したり、学校が最新型の納骨ビルになったりする。公園がお洒落なホテルに変わる。何十年も時が経ってしまった雑居ビルも数年前に建て直しの看板が出てから土地の持ち主同士の抗争で銃弾が撃ち込まれてそのままだし、そういうものがしばらくすると生活の一部になってしまうので、変わっていくと思っていることが生きているうちの一部の事柄、本を買って読むのと同じくらい日常に溶け込んでしまっているんだろうと思う。

新宿東口にも変化がたくさんある。卵焼きの美味しかった居酒屋はなくなったし、新しいアミューズメントスペースもいくつかできている。ビックロなんてできた時はえらい外国人が増えそうだよなくらいに思った。
西口エリアもメトロン星人のような高層ビルが出来た時も、ヨドバシカメラのカメラ売り場や携帯電話グッズの店舗を増やしたり移動したりした時も、銀行の支店が統廃合であっというまに減ってしまった時も変わるなあと思った。そうやって毎日何かしら変わっている気もする。

学生の頃、ちょっと遊んでる風を装ってた先輩が「渋谷はバイトくらいで十分、子供の街だから。俺は新宿で遊んでるよ」とよく言っていた。話半分に聞いていたし、たしかに渋谷は学生が多いし若さを消費する街だと思った。自分が新宿の会社に就職するときも、その実、印象はさほど変わっていなかったし今でもどこかしらそんな風に思っている気がする。新宿は働く人たちの遊び場だよなあと。それも普段使いで遊ぶ場所だなあと。
結局自分の中では昔と全然変わってなくて、新しいビルがいくつも建とうが、流行のショップが立ち並ぶお店が増えようが、外国人ツーリストがあふれかえる街になっても「新宿は新宿」で、めっちゃ変わっている!と思ってる人間も包括的に受け入れてくれるだけの懐が深い街なんだと思う。歌舞伎町も色が変わっているだけで本質は変わってないし、高層ビル群は表面上は相変わらず無機質にキラキラとしているのだ。

たぶん、これは街の変化というよりは街の代謝なんだろうなあ。そうやってこの街の生命活動を維持しているような気がした。

いつの日か都庁のパラボラアンテナに座って、あの頃の先輩みたいにちょっと派手な服を着て夜の街を闊歩している若者たちや、行列のできるラーメン屋で自分の番を待つ人のちょっとだけ高揚した表情、駅前のキャッチをすり抜けて帰路を急ぐOLを見送りながら、変わってるようで変わってない新宿を俯瞰してみたいなと思った。仙人になりたい気がしてきた。