湧き水

村暮らしを始めて3年。

日々、当たり前になっていること。だけれど、振り返ってみたら都内に住んでいた頃と激変している当たり前をここに書く。

タイトルにある通り、生活をする上での「水」のこと。

村に来てから、まず、水道水の美味しさに感動したの。
都内にいるときは、やっぱりカルキの味が気になってペットボトルのお水を購入するか、もしくは、浄水器を使用して、常にお水を浄化してから飲んでいた。そう、だから村で生活を始めてから、水道水が違和感なく美味しく飲めるなんて奇跡だと思ったよ。
気兼ねなく水道水で味噌汁が作れるし、お米やお茶もカルキが邪魔することもなくて、本当に幸せだ!って嬉しかった。

程なくして、旅を続けていた友人が村を訪れ、ウチに遊びに来た時のこと。

「そういえばこの村って湧き水いっぱいあるよね、飲みに行こうよ!」
と誘われて、近所に湧き水スポットがあることを知る。

初めて飲んだ湧き水の味は、衝撃的だった。

お水って、透明だな。

無味無臭。

清々しい。

ってか、ウマイ。

そんな言葉が頭の中をぐるぐるして、
私の中の私が、頭上でぴょこぴょこダンスして喜んでいる。
そんな絵面が他の人にも見えちゃうんじゃないかっていうほど、私の中の私が飛び跳ねて喜んでいた。大げさに言うと、時間が止まった、っていうくらいの衝撃だった。ペットボトルのお水より、新鮮で臭みがない。

湧き水は、決まって山の近くにある。

山のことをよく知る人から聞くと、特に【ブナ】の木々は保水力が高く、呼吸のために雨や雪水を吸い上げ、吐き出された水は、地面にある土フィルターを通されてから、湧き水となって私たちのところに届くんだとか。湧き水として放出された後は、小川に流れ、融合して大きな川に流れ、海に届く。

水道水のように、安全のために消毒されていない分、もしかしたら有害な成分が入っているリスクもあるかもしれない...

なーんて、考えたことはほとんど無い。
私の身体の細胞たちが喜んでいるのだから、きっと間違った選択ではないんだと思う。

そして、湧き水の存在を知ってからは、水のタンクを購入し湧き水を汲みに行く習慣を身につけた。プラスチックのボトルタンクでお水を運んでから、自宅に置いてあるガラスで作られたドリンクサーバーに入れ替える。
キッチンに置かれた透明のお水があるだけで、お水の有り難みを感じる。
朝夕に入ってくる太陽が屈折して自然的に出来上がる、光プリズムを眺めていると、この世界の美しさに幸せのため息が出てきちゃう。

本来の私は、根っからの面倒屋。
できれば大量に一気に補充したいところだけど、なんせ真水だから腐っちゃうんじゃないかなーって心配で。だから週に1、2回くらいのペースで小まめに汲みに行く。どうしてもだるい時や忙しい時は、以前のように水道水を飲んで生活しているけれど、水道水を飲むたびにハッと我に返る。

やっぱり私はお水の味に敏感で、カルキの味が許せなくなってしまったみたい。村の水道水も、都内の水道水に比べると臭みは少なく美味しいはずなのに、湧き水の美味しさを知ってしまった私にとっては、もはや村の水道水でさえ、カルキを感じてしまう。
特に、冬季期間。
水道水を温めて、白湯で飲もうとすると、カルキの味が拡大するように感じる。

贅沢すぎる選択だと思う。
けれど、美味しいものを知ってしまった後は、もう後には戻れない。

自然って偉大。

山が、木々が、お水を浄化してくれる。

そのお水で生きてゆける私たち。

キュッ、と開けて、ジャーっと流れる便利な水道水も有難いけど、
自分の足で山道を歩き、コポコポ汲み上げてきた湧き水は、自然に守られ、生かされていることを教えてくれる。有り難みの重さが違う。


世界的には爆発的に人口が増えている。お水がなければ生きていけない人間にとって、水不足は死活問題だ。
日本に住んでいるとお水に不自由することがなく、問題視することもほとんどないけれど、広い視野で見たお水の将来は、もしかしたら諸外国のビジネスターゲットになってしまうかもしれない。山の少ない諸外国からしたら、こんなに美味しいお水は希少価値が高いとも言えるものね。

...

未来がどうなるかなんて、分からない。

だから、今日も私は美味しい湧き水を汲みに行く。

雄大な自然に感謝しながら。

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