2013_2019_山本太郎

票を減らしても勝つ-れいわ新選組の参謀・斎藤まさしの仰天選挙戦術-

 僕は、選挙直後、れいわ新選組に驚かなかった。まあこんなもんだろうと。1週間たって、あるデータを見て驚いた。あなたは何者なのか、と。山本太郎のことではない、候補者達のことでもない、参謀だと言われる斎藤まさしとその仲間達(市民の党)のことだ。

 あるデータとは、6年前の参議院選挙の山本太郎の選挙区での得票と、今回の参議院選挙の比例区(東京)のれいわ新選組の得票の差である。もちろん、選挙区と比例区は単純には比較できないだろうけれど、選挙区は他の野党・比例区はれいわ新選組という有権者はそれなりにいただろうから、野原さんの得票と比較するよりは、比例と比較する方が理にかなっていよう。

 このデータを見る前、私は、6年前の山本太郎の得票より今回のれいわ新選組の得票は多いだろう、少なくとも多いエリアはあるだろうと思った。しかし実際は、都内全域で6年前を下回る。これは衝撃だった。6年前が66万票ぐらい、今回が45万票ぐらい。1/3、20万票近く減らしている。特に、東京の西と東の端、西多摩と下町での減りが激しい。ホームの杉並でさえ削られている。

 れいわ新選組が立憲民主党の票を奪ったのではない、むしろ、立憲民主党が山本太郎の票を奪ったのだ、データで見れば。

 斎藤まさしは選挙が始まる前にこのことに気づいていたんだ。もし、山本太郎が東京選挙区に立候補すれば、6年前より大幅に得票を減らし、立憲民主党の二人目(のちに山岸候補に決まる)と、最下位当選争い、最悪、7位争いをするだろう、と。たとえ、勝ったとしても最下位の当選では政治的には敗北でしかない。

 6年前とは状況が大きく異なっていた。当時低迷していた民主党は立憲民主党に再編され都内で支持を集めていた。かつてと違い都市エリート層の支持を得るのが難しくなってきていることに気づいた立憲民主党の大幹部・菅直人は、自身の選挙の経験から市民派の市議やアクティビスト達との連携を強化し始めていた。
 生活者ネットワークの若林とも子氏、3年前の市民派統一候補だった佐藤かおり氏、原発事故の熱心な取材で名を挙げたおしどりマコ氏、菅直人は自公に完敗した雪辱を果たすべく、なりふり構わぬ候補者擁立を続けた。そのことは、6年前、山本太郎を応援した人を引っぺがしていくことにもつながった。山本太郎は孤独と不安を感じただろう。

 そのことによって議席減は確実である。であるならば、この選挙のゴールを変えなければいけない。こう、斎藤まさしは考えたのだろう。例えば全国比例で出る、一人か二人、議員を送り出せるかもしれない。ただそれだけでは弱小政党になるだけなので勝利とは言えない。政党政治家ならば議席の最大化がすべてである。市民活動家にとってはそうではない。たとえ、過半数を取らなくても、それどころか当選させることができなくても政治を動かしてきた歴史がある。

 斎藤まさしがこの選挙のゴールにしたことは政治参加のバリアをぶっ壊すことだった。当事者として障碍者の権利を訴える活動をしていた舩後氏と木村氏を国会に送り出すことで。そして、山本太郎もこの取り組みに賛同し自分の名前が書かれた得票を彼らにささげることにした。

 現代の日本を代表する政治学者の菅原琢もれいわ新選組が大した得票数を集めていないことに気づいていた。

 誰もが得票数・議席数を見て戸惑うだろう。なぜ、決して多くない得票数でこれほどの騒ぎになっているのか、と。そして、左翼だけが気づく。これはヘゲモニー闘争だ、と。教科書的に言うならば、合意の形成に基づいて政治文化を塗り替えていくこと。

 政治とはどのような闘いなのか、冷戦崩壊後の30年、左翼の退潮の中でそのことを理解しない政治家が大多数を占めるようになった。保守系はもちろんのこと旧民主党系もまた。山本太郎とれいわ新選組の闘いは、再び、政治の意味を思い出させてくれる。そのことに気づいて、私は感動して夜、眠れなかった。


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