小金井市議会に提出された沖縄基地問題についての陳情について思うこと

 小金井市議会の9月議会に出された一つの陳情についての報道が、全国的な騒ぎを巻き起こした。基地問題は沖縄の問題ではなく、本土(ヤマト)との構造的な差別の問題であり、国民的な議論のもとで公正で民主的なプロセスのもと解決されるべきだというのが陳情の内容である。この中で、辺野古ありきの議論はやめ、もし必要であれば沖縄以外の全国を候補地にという言葉に対し批判が殺到した。

「「普天間、必要なら本土移転」 東京・小金井市議会が陳情採択 国民的な議論促す」『沖縄タイムズ』2018.9.26 11:48

 この陳情の背景に論理・問題設定には肯首すると同時に、突っ込みどころのある内容だとも認識している。議会用語で言うならば「趣旨採択」といったところだろうか。人の縁に恵まれ陳情者の話を聞く機会をいただいたのでその時に考えたことをまとめたい。

4段階のプロセスの必要性への疑問

 この陳情書の背景にはウチナンチュによる「新しい提案」運動がある。この運動が提示する辺野古基地問題解決のプロセスは以下の通り。

(1)辺野古新基地建設を中止し、普天間飛行場の運用を停止する
(2)本土の全自治体を普天間代替施設の候補地にする
(3)米軍基地や代替施設の必要性を国民的に議論する
(4)必要という結論なら、公正で民主的な手続きで決定

 少しテクニカルな指摘になるかもしれないが、一つ目の段階がクリアしたならば、残り三つはいらなくなるのではないか。

 原子力発電所を思い出してみよう。2012年の北日本大震災の際の福島第一原子力発電所での甚大な事故の結果、日本全国の原子力発電所は停止した。必要のない電気の利用は減り、火力発電所が復活してからは輪番停電もなくなり、原子力発電がなくても電気が足りる状態となった。この状態で何年の月日が経った今、改めて原子力発電が必要かどうかなど議論する必要があるだろうか(保守反動の政権の巻き返しで一部の原子力発電所で再稼働が始まったことは残念である)。

 普天間基地の運用停止、辺野古新基地の建設中止の決定が第一に挙げられている。この決定ができるということはこれらの基地は、原子力発電所と同じく不要なものになっているからであり、改めて必要か不要か議論する余地があるとは思えない。

一枚岩ではない本土・基地と本土内での差別構造

 この陳情書は「沖縄 対 本土」という構図で書かれている。そのこと自体は至極当たり前のことで、本土側の政治的な都合でこの基地は沖縄に押し付けられているから。ただし、本土は沖縄から見るほど一枚岩ではない。中央政府と市民、都市と地方、特にいまだに米軍基地の残る地域とでは、ここにもまた差別的な構造が残っていると私は思う。

 最近よく言及される通り、沖縄の基地は本土から移転されたものである。東京都内にも多くの基地があった。調布・武蔵野・府中・立川、、、。激しい基地反対運動を受け、調布と武蔵野と立川の基地はなくなり、府中も大部分が返還された。でも全ての基地がなくなったわけじゃない。西多摩地域には今でも大きな横田基地が残る。西多摩地域はこの都内でも経済的に豊かではない方の地域である。これは私の憶測にすぎないが、都心に近い豊かな地域から基地がなくなり、貧しい地域に基地が残ったのではないか、と。

 本土の中で基地の多い都道府県としては、神奈川県が挙げられる。ある酒席でのこと、ある横須賀出身者が初めて行く海外旅行の話をした際に、不用意に米軍基地の話題に触れ場が凍ったことがあった。我ながら恥ずかしい言動であったが、今でも「横須賀=基地」という図式がスティグマとして生きていることを体感した。

 沖縄タイムズによる「普天間必要なら本土移転」というタイトルの記事に対しては、本土の基地反対運動にかかわる人々やシンパシーを寄せる人々から多くの批判が浴びせられた。本土の基地所在地に住む人間もまた固定的少数者であり、運動家たちはあえて選択した身で流動的少数者かもしれないが、本土内の固定的少数者に寄り添う形で活動をしてきた。

 もう一度、読み返してみると、本土の弱い地域に一方的に押し付けるようにならないようにと書かれており、一定の配慮はされていると思う。新聞記事のタイトルへの拒絶感というのは本土から沖縄に基地を押し付けるというよりは、本土にの弱者に寄り添う視点から発せられているということは強調したいなと思う。 

国民的議論の倫理的な課題と解決策?

 国民的議論での基地の要否の決定というものは、多数決での決定なのだろうか。例えば、基地の要否を争点に総選挙が展開され、その投票結果が政策に反映するような。それはとても危ないプロセスである。本土の大都市部に住んでいる人間が無関心であるのは、自分達の場所に来る可能性がないからであろう。その人達がそのまま関心を持ったとして、徳之島かどっかに押し付ければいいというような判断で、国内移転を選ばれては倫理的に問題がある。自分の地域に置き換えて現実的に置き換えられない構造的な問題は、想像力を阻むだろう。往々にして、いじめは多数決でおこる。多数決の枠組みでは差別の問題は解消できない。

 フランスでの死刑の廃止は、民意と逆行する形で決定された。死刑反対運動は盛り上がっていたが、国民の7割が積極的にもしくは消極的に死刑存続を支持していた。議員たちは死刑の是非だけを論点に選ばれたのではない。有権者の総合的な判断でたまたま死刑廃止を掲げる党派、社会党と共産党が過半数をとったというのが正しいだろう。議員たちは熟議に熟議を重ね、与党の社会党・共産党だけでなく、一部の保守系議員を巻き込む形で死刑が廃止された。判断のよりどころになったのは、一般的な世論調査のような民意の数ではなく、民意と切り離された議員一人一人の持つ「倫理」であった。当時の法務大臣ロベール・バタンテールはこう述べたという。「世論の理解を待っていたのでは遅すぎる」。

 いかに倫理的な正しさに基づいた方針決定をするかということで参考になる話がある。一般的な世論調査ではない。政権与党が乱発できる衆議院の解散権や選挙などによる政治闘争でもない。民主党政権が原発政策を決定するのに、「討論型世論調査」を行った。ジェームズ・フィッシュキン という政治学研究者が提唱するもので、ランダムで集められた人達が、様々な立場の人の発表を聞いた後、討論をした結果を世論調査として出すものであった。もともと、原子力発電の全廃を予定していなかったが、この世論調査などの結果で将来的な全廃という方針を決めたと伝え聞く。

 残念ながら現在の政権は、このような手法を用いないだろう。私は冒頭、ファーストステップが実現できたら後続のステップは必要ないと述べた。それは、普天間と辺野古に限った話である。沖縄県内には他にも多く基地がある。高江のヘリパット建設の問題もある。沖縄県に基地が集中するという問題はまだ解決していない。これらすべての基地について、どうしていくのか、この問題について自分のこととして考える契機を作っていかなければならないし、「新しい提案」は生きてくるのではないか。

<参考>

宇野重規「代表制をめぐる大胆な知的冒険──早川誠『代表制という思想』によせて」『風のたより』第54号 風行社 2014.7

「討論型世論調査の意義と構造」慶應義塾大学DP(討論型世論調査)研究センター

「原発ゼロ支持、参加後47%に増加 討論型世論調査」『日本経済新聞』2012/8/22 11:29

どん・わんたろう「「世論の支持」は死刑存続の理由になり得るのか:B級記者どん・わんたろうがちょっと吠えてみました」『マガジン9』2012.4.4

「「死刑制度のない世界」を目指すEUの取り組み」駐日欧州連合代表部『EU MAG』2014.9.29

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