以前から見たいと思っていた専門学校サッカー大会を見ながら、専門学校という特殊な環境についてあれこれ考えてみた、というお話

いろんな大会を幅広く見に行っているのですが、まだまだ見たことのない大会がいつくかあります。その中でも特に見たいと思いつつなかなか見にいく機会のなかった大会が、今回のメインテーマである全国専門学校サッカー選手権大会です。この大会、何が大変かというと日程が月曜日開幕、木曜日閉幕という平日のみの開催という、観戦するには実にハードルの高い大会なのです。そしてこの大会。この17年間、滋賀の甲賀健康医療専門学校(現ルネス紅葉スポーツ柔整専門学校)と履正社医療スポーツ専門学校(現履正社国際医療スポーツ専門学校)のどちらかが優勝するという、圧倒的に2強体勢という非常に特異的な大会なのです。またこの大会は、この2チーム以外にもスポーツ系の専門学校が上位に入ることが多く、スポーツ系ではない専門学校とのレベルの差が激しいことも特色です。
そんなこの大会の2強体制を将来脅かすのではないか、と思われるチームが現れたようなのでそのチームをメインに見に行くことにしました。

10/2 全国専門学校サッカー大会@J-GREEN 宮崎情報ビジネス医療専門学校 1-2 CITY FOOTBALL ABADEMY

土曜日に帯広でクラブチーム大会、日曜日は東京でJFL、そして月曜日のこの日はJ-GREENに足を運ぶというスケジュール。月曜日の午前中からここにいるという、この背徳感はいいですね(笑)

月曜日の快晴と共に溢れ出す、この背徳感…(笑)

平日のJ-GREENはバスがクラブハウス前まで行ってくれないので、住之江公園からだと堺浜北、堺や堺東からだとJグリーン南口から歩いて向かいます。面倒と言えば面倒ですが、S7とかS11とか比較的入り口に近いピッチだとそっちの方が歩く距離は短いんですよね。これがメイン隣のS2や、もっと奥のS15とかだと本当にダルいんですよ。とはいえ、S7にもかかわらずいつものルーチンでとりあえずクラブハウスに行ってしまうので、あまり意味がないんですけどね…(笑)
第一試合開始からやや遅れて到着。とりあえずクラブハウスに入ると、どうやら本部でパンフレットを販売しているとのこと。一般ではほぼ入ることの出来ないJ-GREENのクラブハウスの2階に上がることに。

土日ならどこも人でいっぱいのJ-GREENですが、
月曜日なので人の姿がほぼありません。
まるでゴーストタウンと化したJ-GREEN…(笑)
今日の目的はこれ、
全国専門学校サッカー選手権大会です。
大会本部でパンフレットの販売があるとのこと。
どうやら本部は2階にあるようなので、行ってみます。
J-GREENのクラブハウスの2階です。
そういえば1回だけ来たことがあったかな?と…(笑)

「どこの学校の方ですか?」「いえ、一般です」という、ごくありふれた会話(?)の後、無事に大会本部にてパンフレットを購入。こういう大会のこの類の資料は貴重な情報源なのです。

無事にパンフレットをゲットしました。
それなりに情報量が多く、大満足です。

11時キックオフの第一試合はほぼ見ず、最終的な結果だけを現場で追いかけました。優勝候補のルネススポーツ柔整専門学校vs大原簿記専門学校仙台校の試合がちょっとだけ見えるベンチに座って、昼食を食べながらパンフレットを眺めたりしていました。その合間に顔を上げるとその度にルネスが得点を追加しているという展開に、チーム毎のレベルやモチベーション、テンションの違いでここまで差がつく大会なんだよな、と改めて思ったのです。ただ、他の3つのピッチのレベル差は拮抗していたようで一つはPKに、一つは後半ATに勝ち越し、もう一つは5-1でしたが、これはまだマシな方と言ってもいいでしょう。
そして気になったのは、とあるチームの終了間際の交代で女子の選手が入ったこと。定通制大会同様、この大会でも女子選手の登録が特例で認められてるのですね。これから人口減少に伴い、競技人口も減少するでしょうから、あるレベルまではユニセックスでの大会開催もありかもしれませんね…

第一試合と第二試合との合間が2時間近くあり、しかも周りに何もないので結局J-GREENの中で時間潰しを。ピッチの整備の様子を眺めながら、ぼーっと(笑)最高の贅沢ですね…

昼下がり、無人のJ-GREENS5ピッチ。
試合ない時は仕切りがないからS2〜S5って本来1面なんだよね…
芝刈り機が勢揃い。これも土日は綺麗に撮影できないですね…
急募:これらの画像見て機種名と型番ががわかる人…(笑)

さて、そろそろ仕事に向かいましょう(笑)
お目当ての試合はS7。昨年度3位の宮崎情報ビジネス医療専門学校と関東リーグ所属の栃木シティが今年設立したサッカー専門学校であるCITY FOOTBALL ABADEMYとの試合です。

普段見慣れたJ-GREENのS7も
ここまで人がいないと別世界に見えますね…
水色のユニフォームの宮崎情報ビジネス医療専門学校。
白のユニフォームがCITY FOOTBALL ABADEMY。

試合は互角、ややCITYの方が優勢かな?といった展開。ボールの繋ぎを意識したCITYに対して、サイドから早い縦への展開でチャンスを作る宮崎、といった感じで試合は進みます。前半35分になるかという時間帯に宮崎DFがエリア内でCITYの選手を倒してPK獲得。しかし、宮崎のキーパーがPKをセーブ。先制のチャンスを逃します。しかし、前半終了間際に右からのクロスに走り込んだ18番の照屋のゴールでCITYが先制して前半を終えます。

エリア内で倒されたCITY FOOTBALL ABADEMY 7番佐々木。
自ら獲得したPKを蹴るも…
宮崎情報ビジネス医療専門学校のキャプテン、
キーパーの黒田にセーブされます。
前半終了間際、右からの絶妙なクロスに…
走り込んだ18番照屋が合わせてゴール。
CITY FOOTBALL ABADEMYとしての
大会初出場初ゴールをチームみんなで喜びました。
宮崎情報ビジネス医療専門学校も押されながらも
サイド、中央からの鋭いカウンターを見せました。
21番室屋の縦突破は、CITYのキーパー船橋に阻まれます。

後半も拮抗した展開が続きますが、55分過ぎにのDF裏に抜けたCITYの14番佐藤ゴールで追加点。試合を一気に優位に進めます。反撃を試みる宮崎も徐々に押し返し、80分過ぎにゴール前の混戦から最後は20番光井が押し込み、1点差にします。その後も攻めましたが、CITYの守備陣がしっかりと守り切り、CITY FOOTBALL ACADEMYが大会初出場初勝利を収めました。

DFの裏を抜けたCITY FOOTBALL ACADEMY14番佐藤。
相手の位置と動きを冷静に見極めて…
キーパーの逆を突いてシュート。
DFがブラインドとなったキーパーは反応できず。
勝利を大きく引き寄せる2点目となりました。
CITY FOOTBALL ACADEMYゴール前での混戦。
一度はDFがボールを奪うも…
宮崎情報ビジネス医療専門学校に拾われてラストパス。
パスを受けた20番光井のゴール。
宮崎情報ビジネス医療専門学校が1点差に詰めます。
昨年度3位の実力を見せた、意地のゴールでした。
追いつこうとする宮崎情報ビジネス医療専門学校のCK。
CITY FOOTBALL ACADEMYキーパー船橋必死のクリア。
その後の猛攻も凌いだCITY FOOTBALL ACADEMY。
2-1で逃げ切り、大会初勝利を収めました。

宮崎という特殊な地理条件だからこそ成り立つ、専門学校でサッカーを続けるという選択肢

負けましたが昨年度3位の実力を充分に発揮した九州代表の宮崎情報ビジネス医療専門学校。思った以上にサッカーの質が高かったです。確認すると、出身校には鵬翔や宮崎日大といった県内のサッカー強豪校の名前がありました。さらに調べてみると、ここの学校にはサッカーを続けながらビジネススキルを学べるというコースがあるらしく、おそらく選手はみんなそこに通っているんでしょう。カリキュラムの中にサッカーの練習が入っていましたので、そりゃレベル高いはずです。

宮崎県内には大学が数えるほどしかなく、九州リーグの強豪でもある宮崎産業経営大学は1学年わずか200人しか募集しておらず、もう一つの九州リーグ所属の九州保健福祉大学も340人の枠はありますが、来年から医療系に特化した九州医療科学大学となるため、実質サッカーをしようと入学できる枠は社会福祉学部スポーツ健康福祉学科の80人のみ(薬学部が140人、臨床系の生命医科学部に80人とかなり医療系大学にシフトするようです)と、どちらも極めて狭き門です。また、県外の大学に進学するという選択肢も実はハードルが高いです。宮崎県という地理的要因がそれを困難にさせます。熊本との県境には高千穂の山々、鹿児島との県境は霧島連峰と隣県に出るにも越えるのが大変な高い山々に囲まれた宮崎県では、県外に出るには相当なパワーが必要です。金銭的にもかなり厳しいです。そうなると卒業後にまだサッカーを続けたいという学生の一つの選択肢として、こういう地元の専門学校に通うというものが浮かんでくるのも仕方ないのかもしれません。また、4年間学費を払わないといけない大学は厳しくても、2年で済む専門学校ならば通ってもいいという家庭も当然あるでしょう。そういう学生にとってもこういう専門学校の存在はありがたいと言えるのでしょう。

この宮崎情報ビジネス医療専門学校ですが、選手はみんな「MSGソニャトーレFC」というチーム名で宮崎県リーグ1部に所属し、KYUリーグ昇格を目指して活動しています。2年制のため、毎年のようにチームがゴロっと入れ替わってしまうのでなかなか大変なようです。それでも関西リーグに何度も昇格しているルネス学園や、今年KYUリーグに昇格した九州総合スポーツカレッジのように決して不可能ではないので、これからも継続して強化を図ってゆくゆくはKYUリーグに昇格してもらいたいものです。
そして各選手についても卒業してから例えば大学に編入したり、出来ればミネベアミツミやヴェロスクロノス都農といった、地元のサッカーチームに進んでサッカーを続けらるような流れが出来てくるといいですね。どこまで実現するから分かりませんが、そういった卒業生をどんどん輩出していけるようになると、学校自体の価値も高まりますし、県内からもっといい選手が集まってくることでしょう。近い将来、そうなることを期待しています。

栃木シティが作ったサッカー専門学校から見る、新しいスポーツビジネスのあり方

勝ったCITY FOOTBALL ACADEMYですが、先ほどもお話ししたように関東リーグに所属する栃木シティFCが今年設立した、サッカーとフットサルの専門学校です。設立1年目なのでまだ1年生しかいませんが、昨年3位の宮崎情報ビジネス医療専門学校と互角以上の試合を展開し勝利しました。しかも翌日には毎年優勝候補として毎年のように名前の上がる履正社国際医療スポーツ専門学校にPK戦ながら勝利。準決勝で東京スポーツ・レクリエーション専門学校に敗れ、さらに3位決定戦でも静岡医療科学専門大学校に敗れて惜しくも4位となりましたがら1年生だけのチームとしては上等以上の成績を残したのではないでしょうか。

CITY FOOTBALL ACADEMYを運営する栃木シティFCは関東リーグに所属するチーム。日立栃木サッカー部、そしてJFL昇格時に栃木ウーヴァFCに名称変更されたチームが元々です。日立栃木サッカー部が2006年にジュニアチームを運営していたウーヴァスポーツクラブと統合、日立栃木ウーヴァスポーツクラブとなります。そして2010年にJFLに昇格、その年に名称を栃木ウーヴァFCに変更しました。
2012年にはJFL最下位となり、地域リーグとの入替戦に臨みます。ノルブリッツ北海道との初戦を落とすも、2戦目で勝利。最終的にPK戦に勝利して辛くも残留します。その後もチームは下位に低迷することが多く、その度にレギュレーション変更によって辛うじて残留しますが、2017年に最下位となりその年に関東リーグに降格します。その翌年、今の栃木シティFCのオーナーの大栗社長が就任。大幅にチームの体制が変わります。一番大きな変化は選手全員とプロ契約を結ぶということ。当時の地域リーグ(今でもそうですが)では想定外の画期的なことで注目を浴びました。その翌年から今の栃木シティFCに名称を変更。全員プロ契約となったことでチーム力が一気にアップし、毎年のように地域チャンピオンズリーグに出場しますが、その都度惜しいところで敗退を繰り返している、と言ったチームです。
また、全員プロ契約もさることながらホームスタジアムについても、栃木市にある岩舟総合運動公園内に自前のサッカー専用スタジアムを建設。しかも、地域リーグのクラブのホームスタジアムとしては超豪華な設備とあって、こちらも世間を賑わせたりと何かと話題には欠かないチームです。そして、今年の全社佐賀大会では初戦敗退したものの、Jリーグ100年構想クラブ枠での地域チャンピオンズリーグ出場を決断したと、毎年何かしら新しいことを打ち出てくれる、そんなクラブです。
そんな注目度の極めて高いクラブが今年設立したのが、今年全国専門学校サッカー大会に初出場した、サッカー・フットサル専門学校、CITY FOOTBALL ACADEMYです。ちょっとだけ学校の紹介をすると、学科はアスリートの養成を主としたプロフットボール学科、サッカービジネスのスペシャリストを育成するフットボールビジネス学科、そしてチームを裏で支えるホペイロやマネージャーを育成するマネージャー/ホペイロ学科の3コースあります。将来、サッカー界で活躍が期待される様々な人材の養成を目的とした学校となっています。全国にスポーツ関連の人材を育てる専門学校はいくつもありますが、サッカーに特化した学校となるとJAPANサッカーカレッジくらいしかないのではないでしょうか。それくらい専門学校としても特殊な学校です。
ではなぜ、まだ全国リーグにも参戦していない栃木シティFCがここまでの初期投資をしてまで、プレイヤーおよびサッカーに纏わる人材を育成しようとしているのでしょうか。それには、栃木シティFCというか、オーナーである大栗社長のビジネススタイルを通して見た方が分かりやすいかもしれません。

実は栃木シティFCのオーナーの大栗社長は、他にもプロスポーツクラブの運営を手掛けています。フットサルFリーグとバスケットボールB3リーグのしながわシティです。実はこの両チーム、栃木シティFCと同じような経緯でチームの運営に携わることになったのです。Fリーグのしながわシティは元々、千葉県柏市で活動していたトルエーラ柏でした。トルエーラ柏は2018-19シーズンよりFリーグに所属。2020年から大栗社長が法人の代表理事となり、クラブの経営に参加するようになります。そして2021年4月より活動拠点を千葉県柏市から東京都品川区に移し、チーム名も現在のしながわシティに変更して今に至る、という流れです。
B3リーグに所属するしながわシティも同様に、元々は別のチーム(bjリーグに所属していた東京サンレーヴスがスポンサーの倒産、撤退でチーム運営が立ち行かなくなったところを、大栗社長がチームの代表となり、チーム名も同じくしながわシティと変更、今に至ると言ったところです。

全てのケースに共通することは、苦しくなったクラブの経営権を買う、譲ってもらうことでそのクラブを救済すると共に、さらなる付加価値を付けてチームの価値を高めているということです。海外ではこのようなビジネスモデルを取るスポーツクラブのオーナーを見かけますが、日本ではあまり見たことがありません。強いて言えば、楽天グループのオーナーである三木谷氏がそうかもしれませんね。チームを買い取り、魅力あるチームに作り変え、さらに付加価値をつけて、そのチームの地元に貢献する。それをNPBやJリーグでならまだしも、発展途上のBリーグやFリーグ、さらにはまだ全国リーグでもない関東リーグのサッカーチームでやってのける、その経営手腕は目を見張るものがあると言ってもいいでしょう。
そして、従来はスポンサーや成績に左右される不安定なクラブ経営ですが、その不安定なクラブ経営ではなく、固定したクラブの財源を確保するために、そして将来のチームの屋台骨を支える選手やクラブスタッフ、さらには自らの後継者となる人材を育てるべく、そうしたサッカーのさまざまな分野に渡った人材を育てる、そんな専門学校を作ったのではないでしょうか。言ってしまえば、トヨタ自動車などの大手企業が作った技能学校みたいなイメージでしょうか。そこまで先を読んでの先行投資を行うというビジネスモデルは、サッカー界だけでなくいろんな業界の社長さんにも参考にしてもらいたいと思うくらいです。まだサッカークラブとして完全に成功したと言えない今の状態であっても、これだけ明確なビジョンを構築しそれを実践さえできれば、十分にクラブ経営は成り立つということを大栗社長が証明していると言えるでしょう。
当然ながら選手の育成もメインとなるこの学校、すでに在校生からは栃木シティU-25へ転籍した選手がいます。彼らが近い将来トップチームに上がることも十分あり得ますし、そういう道筋が付けばさらにいい人材が入学してくることも予想されます。新しいクラブでは、ユースやそれ以下の育成チームから選手を引き上げることはなかなか難しく、トップチームの選手は必然的に外部のクラブから獲得しないといけなくなります。しかし、栃木シティが運営するこの専門学校からトップチームで活躍する選手が出てくれば、自前で選手の調達が可能となり、新たに選手を獲得するための資金が浮いてきます。よりいい選手にオファーを掛けることができ、戦力アップに繋がるでしょう。トップチームのプレイヤー、チームスタッフ、クラブのフロントスタッフ、これらを自前の学校で養成出来るようにしていくこと。これが今の栃木シティの一つの成長戦略ではないのでしょうか。
しかもこの学校で育った人材は、栃木シティ以外のチームにもその恩恵が回ってくることでしょう。トップチームと契約できなかった卒業生たちが、他のクラブに入って活躍することもあるでしょうし、スポーツビジネスのノウハウを学んだ卒業生たちが他所のクラブのフロントとして採用されることもあるでしょう。栃木シティが作ったサッカーの専門学校が、栃木シティ以外の他のチームにもいい影響を及ぼしていく。まさにwin-winな、そんな素晴らしい動きと言えるのではないでしょうか。

栃木シティFCの経営戦略が日本のスポーツビジネスに新たな潮流をもたらす。それが現実味を帯びてきた時、日本に新たなスポーツクラブのあり方が生まれてくる、そんな日が来るのもそう遠くないのではないでしょうか。

サッカーの専門学校といえば、やはりあの学校の話をしなければ…

と、ここまで専門学校のサッカーの話をしてきましたが、サッカーの専門学校といえば誰もが思い浮かぶ「あのチーム」の話をしないわけにはいかないでしょう。ということで、その学校のことにも触れておきたいと思います。

専門学校サッカー大会にどうして、サッカーの専門学校であるJAPANサッカーカレッジが出てないのか。実に素朴な疑問ですが、答えは実に簡単です。「全国専門学校サッカー連盟に加盟していないから」です。私もずっと前から不思議に思っていたのです。毎年全国専門学校サッカー大会の優勝候補として名前の挙がる、ルネス紅葉スポーツ柔整専門学校は、専門学校大会に出場しながらも、滋賀県リーグにも参戦。関西リーグにも昇格する年もあったりします。履正社国際医療スポーツ専門学校も、履正社FCとして大阪府リーグに所属しています。1年だけでしたが、一度だけ関西リーグにいたこともあります。さらに前述の宮崎情報スポーツ医療専門学校も宮崎県リーグで活動していますし、今大会準優勝した東京スポーツ・レクリエーション専門学校は関東リーグ所属の東京23FCと提携、東京都リーグでは東京23TSRとして都リーグの3部に所属しています。たとえJAPANサッカーカレッジのトップチームが北信越リーグにいたとしても、専門学校連盟に登録していればどっちにも出場できるはずですが、こちらの大会に出ていないということは、つまり専門学校連盟に加盟していないということになるでしょう。
実はJAPANサッカーカレッジのトップチームには、現役の学生ではないと思われる選手が何人か所属していることが多いです。有名なのは、元柏レイソルの宇野沢祐次や鹿島アントラーズからレンタル移籍で加入した、今は南葛SCでプレーする佐々木竜太などです。彼らは明らかにプロ契約と思われ、それ以外にも経歴や年齢から見ても学生ではない、外部からの補強選手だろうと思われる選手がたくさんいました。ここ数年はそうした傾向はあまり見られませんが、チームのレベルを維持するためにそういった経験値のある選手を敢えて獲っていたのではないかと思われます。
Jからのレンタル選手を獲得したり、またJリーグにいた選手の獲得に躍起になっていた頃はたしか、JFL昇格を大々的に掲げていた頃ではなかったかと記憶しています。もちろん今もその目標は変わってないと思いますが、やや方向性が変わってきたのかもしれませんね。JFL昇格のためにプロ契約選手を多数獲得したものの、地域決勝を勝ち抜くのが極めて困難で叶わなかったので、ややトーンダウンしたと言ったところでしょうか。
さらにJAPANサッカーカレッジを巡る環境の変化もあるでしょう。2005年、開志学園高校にJAPANサッカーカレッジの高等部が設立されます。サッカーをメインとしながら高校に通い、高卒資格が得られるという画期的な学校です。その開志学園JSCのサッカー部は2010年には高校総体に初出場。2014年には総体と選手権のダブル出場を果たすなど、トップである専門学校よりも高等部の方が着実に実績を残していきました。そして知名度が上がることによって、高等部には全国から優秀な選手がどんどん集まるようになりました。
また、開校当初からサッカー専攻科以外のコース、特にホペイロやマネージャー、チームスタッフを育成するコースから次々とJクラブへ就職する卒業生が増えていきました。すると「JAPANサッカーカレッジは優秀なスタッフを養成する教育機関」というイメージが定着していくようになりました。
その反面、肝心のサッカー専攻科からはこれといった人材をJリーグへ送り出すことが出来ないまま、目標としたJFL昇格にも手が届くどころか、地域決勝の決勝ラウンドにすら進むことが出来ないといったように、競技としてのJAPANサッカーカレッジの目覚ましい活躍は一切見られないまま、今に至っています。

つまり、サッカーで目覚ましい実績が残せていないこと、後発の高等部に優秀な学生が集まってきたことによって学校としての強化の力点が大きく変わってしまったこと、ホペイロやチームスタッフを多く輩出することで「スタッフ育成機関」というイメージが世間一般についてしまったこと。これらの要因が重なることで、プレイヤー志向の学生が集まりにくくなってしまったのかもしれません。
さらに、創立当時はサッカーの専門学校として脚光を浴びましたが、同様のコンセプトの専門学校が各地に出来たこと。しかもサッカーを続けながら、トレーナーやインストラクターといった、将来サッカーに関わる仕事やスポーツ関係の仕事に就けるような資格や技能を身につけられる、そういった学科やコースを備えた専門学校が特に首都圏でいくつも出来てくると、わざわざ新潟まで行かなくても自宅から通えるので、関東近辺の学生が敬遠してしまったことも学生が集まりにくくなったひとつの要因かもしれません。Jクラブが高卒やユース出身ではなく、こぞって大卒選手の獲得に動くようになったことも学生離れに拍車をかけたかもしれません。
そして、JAPANサッカーカレッジが3年制というのも実は生徒が敬遠する要因と言えるかもしれません。なぜなら、JAPANサッカーカレッジの授業料を見てみると、学費は私立の文系学部とそんなに変わらないのです。専門学校大会の絶対2強、ルネス紅葉スポーツ柔整専門学校と履正社国際医療スポーツ専門学校や、先ほど触れた宮崎情報ビジネス医療専門学校など、ほとんどの専門学校は2年制をとっています。また、3年制のJAPANサッカーカレッジが4年制大学とそんなに学費が変わらないのならば、サッカーだけの潰しの効かないJAPANサッカーカレッジより、さまざまな分野の学部があり、さらに就職に断然有利な4年制大学に通った方がいいという学生や保護者も多いはずです。事実、JAPANサッカーカレッジのサッカー専攻科の総定員数は120名。それに対し、今年4月の生徒実数は75名と約7割しかいません。さらにこの1年で、約8人に1人に当たる11名が中途退学したそうです。もちろん怪我もあるでしょうが、学費の問題や将来のビジョンが描けないといった問題を抱えて中退するケースも多いのではないでしょうか。これは学校経営としては非常にまずい状況と言えます。幸いなことに、その他のコースは定員よりやや少ないか、もしくは定員を上回る生徒数がいるので、全体としては問題ないと言えますが、サッカー専門学校のプレイヤー専門のコースが大幅な定員割れを起こしているという事実は、やはり何かしら問題があるのでしょう。いずれにしても、JAPANサッカーカレッジから優秀な選手を輩出出来ていないという事実には変わりないのです。

とはいえ、JAPANサッカーカレッジが日本サッカー界に大きく寄与したことは間違いないです。特にプレイヤーではなく、それを支えるスタッフやレフリー、コーチ、スカウティングスタッフなど、さまざまな分野において優秀な人材をどんどん輩出していくことで、それらの多くの裏方の存在がサッカーを下支えしているのだということを広く知らしめめした。この功績はサッカー界の発展にとって非常大きなものと言えるでしょう。その流れに追随する形でその後、さまざまなサッカーに纏わるスペシャリストを育てる学校が全国各地に出来ました。そしてその卒業生たちが、あらゆるクラブやチームで活躍することとなり、地域やカテゴリーに関係なく選手が思う存分、自らのパフォーマンスを発揮できる環境が整備されていきました。その素地を作ったのは、早くから多くの人材を生み出したJAPANサッカーカレッジです。この功績は決して消えることはないと思われます。

優秀なプレイヤーの育成はうまくいかなかったものの、それ以外の多彩な人材をサッカー界に送り込んだJAPANサッカーカレッジ。選手の育成の難しさを一番感じているのではないでしょうか。以前は6つか7つくらいあった登録チームも、今は北信越リーグ1部のトップチーム、2部のCUPS聖籠、そして新潟県リーグ1部のNIIGATA J.S.C.の3つだけのようです。今の学生数を考えるとまあ妥当な数と言えるでしょう。JFL昇格という目標も大切ですが、やはりまずは専門学校の中でトップを取ってからJFL昇格という目標を掲げた方がいいのではないでしょうか。JAPANサッカーカレッジがルネス、履正社、そして今年登場した新星CITY FOOTBALL ABADEMYなどと共に専門学校大会で優勝を競う姿を見てみたい。この大会を見ながら、ふとそんなことを思ったのでした。


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