13年間大会を開催してくれた群馬県のサッカーに、クラブユース選手権はいったい何をもたらしたのだろうか?と振り返ってみた、というお話

何年も前のことですが、札幌のガチサポをやってました。なぜ過去形かというと、今は諸事情により活動を休止しているからです。それまではアウェイの試合メインで見に行っていました。まあ、今も武蔵野でそれに近いことはやってますが、その比ではないくらいの「ガチサポ」でした。活動休止の経緯などについては以前に詳しく書いてますので、下のリンクを見てください。

それでも、完全にサボ活動を辞めてしまったわけではないんです。今でも細々と活動は続けています、ユースサポとして…。ユース年代の全国リーグであるプレミアリーグに在籍していた時は年に2、3試合ではありますが、サポ活していました。プレミアリーグ最後の試合も、その年はほとんど行けてなかったのですが「お家の一大事」ということで、急遽駆けつけました。
残留争いの直接対決となった柏U-18との試合。勝点3差、得失点差が-12と大きかったのだが「7点差つけて勝てばいい!」という途方もないことを言いながらの試合。前半すぐに先制されるも前半のATに追いつくいいムード。しかし後半も先に勝ち越され、84分に追いつくもそれまで…。5年間いたプレミアリーグから陥落したのでした。

前半ATの同点ゴール。
決めたのは菅大輝でした。
いいムードで前半を終えたのですが…
柏U-18の勝ち越しゴール。
キーパーは現在FC大阪にいる櫻庭です。
2-2と無情のスコアを示すスコアボード…
そして、試合終了のホイッスル…
安堵する柏の選手、へたり込む札幌の選手…
勝負とはいつも非情なものなのです…

プリンスリーグに降格してからは初年度だけ1度見に行きましたが、その他は専ら群馬のクラ選か12月の広島でのプレミア参入戦(今のプレミアプレーオフ)でした。中でも印象に残っているのは、予選リーグの1試合だけの観戦のクラ選ではなく、1年の集大成となるプレミアプレーオフでした。2017年と2019年の2回行きましたが、いずれも勝てば昇格という決定戦で、2017年は名古屋ユース、2019年は横浜Mユースに負けた試合でした。特に名古屋との試合は0-1でリードされていた後半ATのCKの時、2年前にプレミア陥落を経験した櫻庭が攻撃参加したものの、こぼれたボールを名古屋に拾われてそのまま無人のゴールに放り込まれるという、実に残酷なシーンを見せつけられました。
今になってじっくり画像を分析すると、おそらく櫻庭は個人の判断で上がったんだろうな。それに周りがもう少し早く気付いてたら、結果は違ってたかもしれないかな?とも思ったり…。今さら言っても遅すぎますけどね…

名古屋の先制ゴールはFKから。
完全にマークを外してフリーで決められました。
反応が遅れた櫻庭の手を掠めてゴールイン。
1年で復帰を狙う名古屋が貴重な先制点を決めた。
後半ATの残りわずかとなった札幌のCK。
競ったボールは逆サイドに流れる。
そのボールは上がってきたキーパー櫻庭の元へ…
しかし、櫻庭が触る前に名古屋DFにクリアされ…
そのルーズボールを名古屋7番、キャプテン杉田が拾い…
誰もいない札幌のゴール目掛けて蹴り込む。
そしてボールは無情にも誰もいない札幌ゴールに…
呆然と立ち尽くす札幌14番福田と
サポーターの元にダッシュする名古屋2番吉田。
勝負とはいつも残酷で、かつ美しい…
胸が張り裂けそうなのに、何故かシャッターは切る、
ここまでくると完全に「職業病」ですね…(笑)

2年後の2019年の横浜Mとの試合は、前半にセットプレーから失点したものの、相手は一昨年の名古屋ほどの怖さはなかったのです。ただ、何故かわからないけど点の入る気がほぼしなかった。そんな魔法にかかったような90分でした。終わった後も、悔しいというよりどこかしら諦めのような心境にさえなってしまったことを覚えています。

3年ぶりのプレミアリーグ復帰を喜ぶ横浜Mユース。
普段、ここまでシャッターを切ることはないのですが、
この日は知らず知らずのうちに執拗なまでに切ってました…

この試合の後くらいからでしょうか、本気で「もうプレミアには戻れないんじゃないかな?」などと思い出したのは…。普通にやってても全国では勝てない、でもリーグのレベルはそれほど高くはない。どうやってチームを高みに持っていけばいいのか?そんなジレンマに直面してしまった瞬間だったのかもしれません。

4年ぶりに「ガチサポ」復帰すべく、夏の群馬に

そして、あれから4年。翌年のコロナウイルス拡大に始まるコロナ禍の中、特にユース年代の試合は保護者でさえ見に行くこともままならない状態が続きました。そんなコロナ禍もようやく落ち着いた今年、夏の恒例行事のクラブユース選手権、いわゆるクラ選を久しぶりに見に行ってきたのです。
以前は福島のJヴィレッジで開催されていたこの大会。しかし2011年の東日本大震災の影響で、開催地を群馬県の前橋市を中心としたエリアに移しました。それから12年。ここ数年は、毎年のように「今年が最後」と言われてましたが、おそらく本当に今年が最後かもしれない群馬開催。今までお世話になったお礼も込めて、久々に「夏の群馬」に戻ってきました。
開催当初から北関東特有の暑さとゲリラ豪雨を避けるように、朝9時キックオフの1会場2試合で行われてましたが、それでも以上なくらいの暑さが問題となり、最終的には予選リーグ16試合を16会場で開催、しかもキックオフはさらに15分早い8:時45分と、他に類のない大会になってしまいました。朝9時前にキックオフというのも凄いですが、それよりもっと凄いのは16会場もよく押さえたよね、というのが正直な感想でした。しかももっと凄いのは、ただ押さえるのではなくほとんどが天然芝のグラウンドという点です。この13年間、群馬県サッカー関係者の皆さんのさまざまなご尽力には本当に感謝しかありません。一緒に見ていたサポは「早く福島に戻った方がよくね?」とよく口にしていましたが、個人的には群馬開催に悪い印象は不思議となかったですね。

7/23 日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会@群馬自動車大学校グラウンド 札幌U-18 2-3 清水ユース

前日の駒沢での東京武蔵野ユナイテッドvsミネベアミツミ観戦後、前橋のホテルに向かい明日の朝早い本番に備えて、夜更かしせずに就寝。
翌日のキックオフに間に合うように行くためには、前橋駅から7:25発のバスに乗らないといけない。ホテルは駅前でしたが、7時過ぎには前橋駅に。すると、おそらく「同族」と思われるであろうユニを着たサポらしき人をチラチラ見かける。首都圏からでも朝9時前の試合に間に合うためには、おそらく始発くらいに出発するか、新幹線で高崎まで向かうしかないんじゃないでしょうか。まあ、そんなこんなでユースサポの朝はみんな早いんですよ…(笑)
今回の会場は、群馬自動車大学校という専門学校のグラウンドです。パッと見だと自動車教習所のようにも見えますが、自動車整備士などを育成する専門学校で、サッカーの専門学校全国大会にも出場してことあるくらいの強豪校です。専門学校でこれほどの天然芝グラウンドがあるのも珍しいですね。

バスの終点から歩くこと15分くらい。
本日の会場の群馬自動車大学校が見えてきました。
こののぼりがないと、ここが会場か全く分からないです…
グラウンドは天然芝。お世辞にも状態はいいとは言えませんが
酷暑の下、人工芝でのプレーは過酷なので贅沢言えません

試合開始30分くらい前に着いたら、すでに東京組は準備が完了してました。「久しぶり〜」の言葉は一切なく(笑)、ごく当たり前のように挨拶。3年のブランクがあったせいか「生存確認」の様相も呈していましたね「まだこの稼業をやってんだ!」みたいな…(笑)そうこうしてる間に、早くもキックオフ時間が近づく。4年ぶりの声出し。ちゃんと出来るだろうか?などと思いつつ、それは何の問題もなかったですね。
さて、試合は立ち上がりから清水の両サイドからの攻撃が鋭すぎて防戦一方。跳ね返すのが精一杯でまともな攻撃まで持っていけない苦しい展開。でも、そんな時ってあっけなく点が入ったりするんですよね。前半残りわずかの33分(35分ハーフ)、左からのクロスを9番出間のヘッドで札幌が先制します。
最高の形で前半を終えた札幌は、後半も立ち上がりから攻勢に出ます。そして42分に8番小沼のダイレクトバレーが決まり、2-0と清水を突き放します。
しかし、前半からの守り疲れが徐々に札幌の体力を奪っていき、そこからはまた清水のサイド猛攻撃が続きます。そして63分、清水6番有村のCKをDFの3番岩本が頭で決めて1点返します。
まだリードしている札幌ですが、どんどん放りこまれるクロスを単純に跳ね返すことすら難しくなります。あと3分乗り切れば勝てる、という70+1分。またしても有村のCKのこぼれ球を途中出場の岡田が押し込み、土壇場で同点に追いつきます。それでも粘ってドローに持ち込めば良かったのですが、残り何十秒となった70+4分に1点目を決めた岩本にまたも頭で決められ、清水が大逆転。そのまま試合は終わり、残り10分での清水ユース大逆転勝利となりました。

白のユニフォームの清水ユース。
いつもの赤黒のユニを纏った札幌U-18。
後ろからのボールを豪快にシュートする8番小沼。
ボールは綺麗な軌道を描きながら
清水のキーパー大石を掠めながらゴールマウスへ。
実に美しい…
一直線にゴールマウスに吸い込まれていく…
そんな小沼のゴールで札幌が2点リードする。
アップゾーンで熱い祝福を受ける小沼。
ここまでは完全に勝ち試合のペースだったんですけどね…
63分の清水のCKはニアで競りに行った選手、ではなく…
その背後のファーにいた3番岩本の元に。
豪快なダイビングヘッドがゴールに突き刺さる。
このゴールが清水の怒涛の反撃の狼煙となりました。
ATに入ってすぐの逆側からのCKのこぼれ球を
途中出場の岡田が押し込み同点に追いつく。
途中までは完全な負け試合。それをチャラにした清水。
こうなると完全に流れは清水の元へ…
この時点でもう完全に、札幌は勢いな飲まれてましたね…
そして、AT3分過ぎの勝ち越しゴール。
今度は清水のアップゾーンで歓喜の輪。
凄まじいまでの大逆転勝利となりました。

勝った清水。試合途中までは「プリンスで4位でしょ?こんなもんかもね」「清水、大したことないよね」などと言ってましたが、終わってみたら強かったんですよね。この日の勝利の勢いも合間ってか、そのまま快進撃を続けて一気にベスト4まで勝ち上がりました。確かに両サイド、特に左サイドの攻撃はスピードもあって驚異でしたが、クロスの精度が極めて低かったので大事故には至りませんでした。もしかすると、大会が進むにつれてその精度が上がってきたのかもしれませんが…。東海からプレミアプレーオフに行けるのは1位のみ。1位と勝点6差の4位と苦しい位置にいる清水ですが、今大会ベスト4によってチームの状態が大きく上向く可能性はあるでしょう。12月に広島で行われるプレミアプレーオフでもう一度対戦して、そして今度は勝ってプレミアリーグに復帰、というシナリオは…、あるのでしょうかね?(笑)
対する札幌。正直、実力的には贔屓目で見ても清水よりも上とは言い難かったですね。でも、勝てない試合ではなかっただけに、試合運びの稚拙さが目立った試合でした。試合経過だけを見ると「やっぱり暑さでやられたんでしょ?」と思われそうですが、与えたCKが12本、FKも10本と単純計算で3分に1本もセットプレーを与えていれば、いつかは守備も破綻しますよね?ということです。前にクリアすればいいところを変に繋ぎにいって苦し紛れにゴールラインに逃れてCKを与えてしまったり、ガンガン両サイドをぶち破られるといったプレーの連続が、じわじわとボディブローのようにジワジワ効いてきた結果が残り10分での大逆転を許したとも言えるでしょう。「このままでは全国では勝てない」そう自覚してさらにレベルを上げてもらわないと、たとえ12月のプレミアプレーオフに出たとしてもまた「参加しただけ」に終わってしまいます。この敗戦同様、ATに2失点して敗退した決勝トーナメント1回戦の大分戦の反省を活かして、9年ぶりのプレミアリーグ昇格を果たしてもらいたいです。そして、今度こそ広島で美味い酒を飲みたいです(笑)

と、ここで終わってもいいんですが、今日はここからネタが2つ入りますので最後までお付き合いください(笑)

札幌U-18にまつわる憂鬱なチーム事情と、これからへの期待

まずは札幌U-18の話。2015年のプレミアリーグ陥落後、ユース→トップという進路を辿った選手がガクッと減ったのです。ほとんどの子は卒業後は大学に進み、さらにレベルアップしようとするのですが、4年後に再び札幌に戻ってこれるかというと、それがそうでもないのです。例えば2015年のプレミア最終年にゴールマウスを守り、さらに2年後のプレミア参入戦で悔しい思いをした櫻庭は、筑波大から当時はまだJFLだった FC大阪に、2017年のプレミア参入戦の後半ATに無人のゴールに吸い込まれるボールを呆然と見送ることになった福田は、明治大から京都にそれぞれ進んでいます。2015年に10番を背負っていた高嶺のように筑波大から札幌に入ったケースもありますので、みんながみんな他所に行っているというわけではありませんし、必ず戻ってこないといけないわけではありません。しかし、大学在籍のユース出身者チームについては3年や早ければ2年のうちに早々に内定を出すチームも増えてます。戻りたくないという子はむしろ少ないでしょうから、ユース出身者の獲得は圧倒的に有利なはずなのですが、なぜか他チームに持って行かれているという由々しき事態をチームはどう捉えているのでしょうか?という疑問が湧いているのです。

ただ、原因はなんとなく分かっているのです。J1に定着するためにトップの強化費を増やした結果、ユースなどの育成に回すお金が無くなったのです。さらに2015年のシーズン途中に、長年ユースの監督を務めていた四方田監督がトップの監督に昇格。絶対的指導者を失ったチームはそこから迷走し、その年プレミアリーグから陥落しました。それらの要素が重なってユースの低調とOBのトップ復帰がままならない、今の状態に陥ったのではないかと考えるのです。
チームとしては監督が変わりJ1にも定着、さらにはJ1優勝やACLまであとちょっとのところまで行き、チームの方針転換は大成功と言えるでしょう。でもトップチームの成績はもちろん大事ですが、将来のことを考えると育成も同じくらい大事なんです。そして、関東のように他の強豪がいればプリンスリーグのままでも一定のレベル向上が図れるでしょうが、北海道では同じことはまず期待できません。そのためにはレベルの高い全国、つまりプレミアリーグに行かないといけないのです。
今はたまたま選手補強がうまく行っているからJ1に定着できていますが、そうはいかない年も来るでしょう。そしてその年仮にJ2に降格してしまうと、今のJ2はどこが上位に来てもおかしくないくらいレベルが高いですので、ヘタすると沼のようにズブズブとJ2にどっぷり浸かることになります。そうなった時、移籍組の選手よりも何の縁も所縁もない選手よりもチームに残ってくれる確率の高いのは、育成時代から所縁のあるユース出身者です。
かつて、ユースからトップに何人も昇格させていたチームがありました。彼らはすぐにチームの主力となり、彼らの活躍でJ1でも安定した成績を残していました。しかしそのチームがJ2に降格してしまうと、何年も経たない間にユースから昇格してベテランとなりつつあった彼らをバッサリと切ってしまったのです。チームを一新することでJ1昇格を図ろうとしたのです。しかしその判断が裏目となり、チームは迷走を辿り低迷を続けます。さらに、その時切った選手は他所に行って大活躍し、日本代表にも選ばれるようにまで活躍した選手までいました。まさに弱り目に祟り目とはこのことです。そしてそのチームは、再びJ1に戻ることなく今に至っています。そう、そのチームはジェフユナイテッド千葉です。
札幌が本格的にユース主体ではなく他キャリアの選手補強をメインにし始めたのは、久しぶりのJ1残留を決めた翌年、2018年くらいからだと思います。前年にJ1残留を果たした四方田監督から今のペトロビッチ監督に変わった年です。この監督は基本的に選手を固定して起用することが多いので、能力が高くても若い選手がいきなり起用されたり、結果がなかなか出なくても辛抱して使い続けるといったことしません。実績も経験もない若手選手にとっては非常に厳しい環境と言えるでしょう。

でも、そんな厳しい環境も決してマイナスばかりではなかったのです。ユースからトップ昇格を果たした進藤は札幌でレギュラーを獲得、キープし続け2021年にはC大阪に移籍。その1年後輩でプレミア陥落年の10番だった高嶺は筑波大から札幌に入り、即レギュラーとして活躍。その活躍が認められて今年から柏に移籍しました。厳しい環境だからこそ、チームで活躍して成長が出来、そして彼らはおそらく「移籍金」というお土産をチームに残して旅立っていく。しかもその前提として、ある一定のレベルに達していない選手はたとえアカデミー出身者であっても獲得しないという信念があるように思えます。
以前の札幌でU-18からトップ昇格した選手たちは、すでにトップのレベルに達している選手ももちろんいましたが、将来の伸びしろを考慮したり、また補強するお金がないけど足りないポジションだからなどという理由から、トップ昇格した選手も一定数いた可能性もあります。かつては札幌でもまた鹿島でも大活躍した西大伍や、昨年引退した藤田征也のように、札幌でも他所でも活躍した選手はいました。しかし札幌でレギュラーとなり、そこそこの活躍をしていたユース昇格組の子が契約満了となってJ2やJ3、それ以下のJFLに移籍したとしても、目覚ましい活躍が出来なかったケースの方がむしろ多かったです。もしかしたら彼らにとって、トップ昇格はちょっとハードルが高かったのかもしれないと思うと、どこかいたたまれない気持ちにもなったりします。
そんな札幌ですが、この2、3年は流れが変わってきています。2022年、新しい社長に長年GMとしてチームの強化に携わっていた三上大勝さんが就任されました。札幌の中で育成の大切さ、そして育成と強化の両立が非常に難しいことをよく知っている人です。そんな三上新社長の就任前である2021年に、チーム史上初の高校2年生でのトップ昇格となる西野奨太との契約を結び、ユースから筑波大に進んだ井川空の2022年度の入団内定を出しました。さらに今年は2019年のプレミア参入戦にも出場、現在大阪体育大学3年生の木戸柊摩に2025年度の入団内定を出しました。ここにきてようやく、ユース→大学→トップというラインが構築されてきたのかもしれません。あとは、彼らがしっかりと結果を残すだけですし、残してくれるでしょう。

ユース年代を長年見ていると年毎の浮き沈みが本当に激しく、さらに苦しいチーム事情からトップ昇格を果たした子たちが、何年か後に他所にレンタルや完全で移籍していくのを見て「頑張れよ!」と思いつつもどこかやりきれない思いがありました。さらに、クラブの中でユースの立場があまりにも軽視されてるのではないか?と思える時期もありました。でも今の流れを見ると、そんな憂鬱な時期もクラブが一回り成長するために通らないといけない道だったのだと思います。そう思えば、そんな憂鬱な時期に不運にも当たってしまった彼らのいろんな思いやら何やらも、きれいに昇華されるのではないでしょうか。いや、そうしてあげないと彼らが浮かばれないのではないか。そう強く思いながら、再びU-18がプレミアの地に戻ってこれるように出来る限りのサポートをしてあげるのが「ユースガチサポ」の役目です。そんな強い思いを改めて感じながら、帰りのバスの時間も差し迫っていたので、試合後の片付けもそこそこに「じゃあ、次は12月の広島で!」と言い残して4年ぶりに共に闘った戦友たちと別れ、灼熱の群馬を跡にしたのでした。

必死に歩いて、出発5分ほど前に着きました。
これを逃すと次は50分後です…
帰りは新幹線。湘南新宿とかとそんなに時間は変わりませんが、
座席のテーブルの質が違うので快適にお弁当をいただきました
西大室のバス停から向かう道すがら見かけた看板。
そういや、まるか食品って群馬の会社だったよね!
日頃より大変お世話になっております(笑)

13年間大会の舞台となった群馬県のサッカーにとって、この大会はどのような影響があったのでしょうか?

次の話題は、13年間クラブユース選手権を開催し続けた群馬県のサッカー界について。何度も書いていますが、2011年から今年まで13年にわたって群馬県の前橋市を中心に開催されたクラブユース(U-18)選手権大会。そもそもこの大会は、福島県のJヴィレッジで開催されていましたが、2011年の東日本大震災の影響から開催地を群馬県に移すことになってのです。北関東特有の猛暑から35度を超える試合環境の問題や、会場によってグラウンドの芝の良し悪しの差が激しかったりとさまざまな課題はありましたが、それでも関係者や現場のスタッフ、ボランティアの方々の尽力もあり滞りなく開催されていました。本当に関係者の方々には感謝してもし尽くせないです。

大会が誘致された2011年。当時、群馬県のサッカーのトップを牽引していたのはザスパ草津です。J2の中位の成績をキープし、J1昇格も十分視野に入っていたことでしょう。そして、その下にいたのはJFLのアルテ高崎でした。しかしアルテ高崎以前よりチーム運営に難があり、さらに前年度には地域リーグの三洋電機洲本との入替戦の末、辛くも残留するというジリ貧な状態でした。そして翌年の2011年、経営母体である堀越学園(東京の堀越学園とは別法人)の経営悪化により、アルテ高崎のJFLでのチームの移管を模索したが纏まらず、活動の休止を決定、そのまま解散しました。さらにその下にはtonan前橋が関東リーグ1部に在籍。2011年は8チーム中5位と中位をキープする実力でした。
2チームのその後ですが、ザスパ草津は翌年からJ2でも下位に低迷するようになります。2013年からチーム名をザスパクサツ群馬に変更しますが、以後のJ2での最上位が17位(22チーム)と以前のような勢いが無くなってきます。そして2017年にはとうとうJ2最下位となりJ3に降格。2年でJ2復帰は果たしましたが、J2再昇格後もギリギリ残留出来るかどうかの位置から抜け出せない状態です。
アルテ高崎がいなくなったため、群馬県の2番手となったtonan前橋は、2013年に1部3位と地域決勝出場が現実的になりつつありました。しかし翌年の7位(10チーム中)を境に下位に低迷。2016年には9位となり2部に降格。翌年には2部で2位となり1部復帰、と思いきやその年、JFLからブリオベッカ浦安と栃木ウーヴァが関東リーグに降格。2部からの昇格がなくなったため、tonan前橋の1部復帰は幻となりました。その後もtonan前橋は2部の上位をキープしますが、昇格要件の2位には及ばす。今年のシーズンは一転して9位と低迷、群馬県リーグへの降格も十分ありえるという、これまた苦しい状態です。
関東リーグには他にも2020年から2年間だけザスパ草津チャレンジャーズもいましたが、初年度こそ7位と健闘しましたが2021年には最下位となり降格。この13年間、群馬県のトップカテゴリーにおいては、多少の浮き沈みはあるものの総じて振るわなかったと言えるでしょう。
大学のカテゴリーで県内のトップは上武大学です。上武大学は北関東大学リーグに所属し、2009年に1年だけ関東大学リーグ2部に在籍しましたが、その後は北関東大学リーグで栃木県にある作新学院大学と常に優勝を争っていました。そして、毎年ではないものの関東大学サッカー大会という東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県と他の関東都県の大学リーグの上位チームが関東大学リーグ昇格を掛けた大会に、北関東大学リーグの代表として出場しましたが、いずれの年も昇格することがが出来ずに今に至っています。去年、関東リーグ3部創設により都県リーグからの昇格枠が一気に増えました。この年、北関東大学リーグと埼玉県リーグと合併してでした関東大学リーグNorteの上位に入れば2009年以来の昇格が一気に近づいたのですが、ライバルの作新学院大学はおろか、埼玉の共栄大学と平成国際大学のさらに下の4位と低迷。関東大学サッカー大会のプレーオフでも神奈川大学に負けて、関東大学リーグ昇格を逃しました。大学のカテゴリーにおいても、この13年はあまり望ましい結果とは言えませんでした。
ユースカテゴリーでは言わずと知れた前橋育英が県内トップの座に君臨しています。前橋育英といえば個人的にはトーナメントに弱いというイメージがあります。現に選手権では2014年、2016年と決勝まで進むも星稜、青森山田に負けて準優勝。しかしその翌年、決勝で流経大柏に勝ち初優勝。総体でも昨年、帝京に勝って2009年に続く2度目の優勝を果たしました。また「万年プレミア昇格候補」とも揶揄されていましたが、2021年のプレミアプレーオフでプレミア昇格を決め、今年で2年目となります。
また、前橋育英がプレミアリーグ昇格した同じ年、プリンスリーグ関東で3位となり同じくプレーオフに進出した桐生第一もプレミアリーグに昇格。群馬県は一気にプレミアリーグに2チームを送り出すことになりました。しかし桐生第一は、昇格したプレミアリーグで最下位となりプリンスリーグ関東に降格。今年は2部から1部に昇格した高崎健康福祉大学高崎と共にプリンス関東1部に在籍しています。この13年間、ユース年代だけはクラブユース開催の恩恵を受けて、成績を残したと言えるのではないでしょうか。

果たして群馬のサッカーにとってクラブユース大会はプラスだったのか、それともマイナスだったのか…

以上、この13年間の群馬県の各カテゴリー別の状況についてざっと触れてみました。大会に直接関係するであろうユース年代においては、その恩恵を存分に活かして県内トップの前橋育英が念願のプレミアリーグ昇格を果たし、さらに2番手でもあった桐生第一も同時に昇格。全国でも活躍できるだけの素地が備わった反面、トップカテゴリーにおいてはそこまでの恩恵もなく、さらに詳しい人からの情報では大会の運営やボランティアに地元のサッカー関係者にとって、相当な負担となったとも聞いています。特にtonan前橋の選手やスタッフが多く駆り出されるという話を聞いたことがあります。これだけの大会を運営するにはそれなりの人員が必要となりますが、大会を成功させるために尽力を尽くした結果、リーグの成績に影響を及ぼし、結果的に順位が落ちていったという残念な結果に繋がったと言えるかもしれません。それでも以前なら登録選手もそれなりにいたのでなんとかなったtonan前橋ですが、今年の登録メンバーを見るとそのほとんどがtonan前橋のサテライト、つまり2軍からの昇格組ですり相当の数の選手の入れ替わりがあったことが見て取れますし、その上でこれだけの負担を強いられるとこの順位もなんとなくわかる気がします。戦力の大幅ダウンがと大会運営のボランティアという負担の2つがtonan前橋低迷の要因と言えるでしょう。今年の大会初日である7/23、クラブユースの会場である宮城総合運動公園で17:00キックオフのナイトゲームでtonan前橋のホームゲームが開催されました。残留争いをしている日立ビルシステムとの大事な試合でしたが、結果は1-2と痛い敗戦。もしかしたらこの試合の前にも、選手たちはどこかの会場で大会ボランティアを務めていたのかもしれない。そう思うと複雑な心境にもなります。
リーグ成績としては非常に微妙な結果でしたが、グラウンドの整備という点ではこの大会は非常に有用でした。特に酷暑と劣悪なピッチで大不評だった下増田運動場をサッカー協会肝入りで、天然芝4面と少年サイズ用の人工芝2面の前橋フットボールセンターとして整備。人工芝ではなく出来るだけ天然芝のピッチを確保して大会を開催する、という群馬県サッカー協会の強い意志が見られました。特に近年は健康上の観点から1会場1試合の最大16会場、しかも朝9時キックオフという早朝とも言える時間での開催。会場確保は困難を極めたはずですが、それでも実に質の高い大会運営をされたことは高い賞賛を受けてもいいと思います。今後「大きな大会を開催するなら群馬県で」と堂々とアピールしてもいいと思います。

2011年にクラブユースが福島から群馬に移ると聞いた時、個人的には「福島は行くのが大変だったから群馬になって行きやすくなったな」と思った反面、群馬のサッカーに関してはアルテ高崎の件や、天皇杯の群馬開催の運営の酷さから正直なところ、不安の方が強かったです。しかし、年を追うごとにそれらの疑念が払拭されたので、クラブユースを見に行こうという気持ちになりました。そして、これだけの大会を継続して行うのはとても大変で、また難しいということをこの大会を通じてつくづく感じました。来年から、群馬県での開催ではなくなってしまうかもしれません。福島の復興という意味では、再びJヴィレッジ開催に戻るのが筋なのかもしれません。ということで、群馬県のサッカー関係者の皆さん、13年の長きにわたってこの大会を開催し続けてくれてありがとうございました。そして、また何かありましたらお伺いしますので、その節はよろしくお願いいたします。

最後に、群馬開催のクラブユースの個人的歴史を放流したいと思います(笑)

2016年のクラブユース。相手はG大阪ユースでした。
会場は雨のNTT図南スーパーグラウンド。
今から思うと、よくど平日に行ったよなと…(笑)
この日はノーゴールの菅大輝。
当時から能力は高かったですね。
G大阪ユースの10番は食野亮太郎。
今から振り返るとすごい選手見てたんですね(笑)
こちらは7番の松本。関西大学からFC岐阜に入りました。
2017年は札幌U-18の裏のピッチで同時開催された
サンクくりやまFCvsG大阪ユースを前半だけ見ました。
翌年から活動を休止したので、貴重な記録となりました。
結果は0-9。被シュート35本、CK8本。
前半しか見ませんでしたが、実力差は圧倒的でした。
ハーフラインにまでも行くことが出来ない、
完全なハーフコートゲームと化してました…
サンクくりやまの胸には「私の町に笑顔を。」の文字。
地元栗山町がスポンサーとなっていたようです。
町に笑顔をもたらすチームは現れるのでしょうか?
後半は札幌U-18vs仙台ユースを。
仙台の27番は阪南大学から仙台に戻った工藤蒼生です。
2018年は山形ユース戦。前橋フットボールセンターでした。
相手の山形ユース。昨年はBコート、この年はCコートでした。
8番中村のFKで先制、そのまま逃げ切り1-0で勝利。
ゴールを決めた中村はその後、
産業能率大学から十勝スカイアースに進みました。
会場でもらったうちわ。
そういえは、今年は貰わなかったな…
群馬みやげの定番、ハラダのラスク群馬限定品。
この「ぐんまちゃん」を見るのもこれが最後?
最後にもう一度。
ありがとう、群馬!楽しかったよ、群馬!また会う日まで…


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