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六道冥と冥途を旅する話が書きたい


地獄を旅する話

地獄を旅する話と聞いて、一番初めに思い浮かぶのは何であろうか。
おおよそ有名なものはダンテの『神曲 地獄篇』だろう。イタリアの詩人ダンテが地獄→煉獄→天国を順に旅する文学作品の第一部である。

高校時代にTSUTAYAで借りた『最強の人生の見つけ方』で、ジャック・ニコルソン演じる実業家の男が役員会議で「ダンテの『神曲』を読んだことがあるか?」という質問を若手役員に投げかけるシーンがあり、ここで初めて私はダンテの『神曲』を知った。若手社員は「地獄篇までなら」といって場面は移る。
信仰心もなければ篤志家でもなかった私は、ひとえにジャック・ニコルソンのようにカッコよく「お前はダンテの『神曲』を読んだことがあるか?」と言いたいがために、河出文庫の『神曲 地獄篇』を購入した。

ダンテの『神曲 地獄篇』ではダンテが敬愛する詩人ウェルギリウスを冥途への旅の案内人として物語が進んでいく。話の内容自体は階層的な地獄を下っていく中で、地獄の様子とそこで罰を受ける歴史的な人物を見物するというもので、ダンテが実際に目にした体で書かれている。例えば洗礼を受けていない賢人、アリストテレスなどは辺獄リンボと呼ばれる第一圏の地獄に囚われ、たいした刑罰も受けず闇雲に時の流れを感じている。

六道冥と地獄を旅する小説を書くならば、このダンテの『神曲 地獄篇』を踏襲することは避けられないであろう。しかし、ここで描かれる地獄はあまりにも西洋的すぎるので、内容自体を参考にするというよりは、話の構造的な側面を取り入れる方が賢い選択だろうと思う。
さらに言うならば旅の案内人に六道冥を置くのが最良の選択だろうと思うが、六道冥はむさ苦しいウェルギリウスというよりは永遠の淑女ベアトリーチェの方が相応しいだろう。つまり地獄ではなく煉獄や天国を案内すべき人物なのだ。
実際に話を書くときはこのくだりを取り入れたい。

地獄を旅する落語/絵本

地獄を旅する話はなにも西洋だけのものではない。
日本の落語にも地獄八景亡者戯じごくばっけいもうじゃのたわむれという噺がある。

この話もダンテの『神曲』と同じく地獄を旅する話であるが、こちらは道中に時事ネタを織り交ぜながら、地獄を面白おかしく描写している。
西洋の『神曲』が地獄を恐ろしいものとして描き信仰心を促すように書かれているのに対して、『地獄八景亡者戯』は地獄を痛快に渡り歩く主人公たちの噺であり、あの世が全く恐いものではないという印象を与える。

またこの落語をもとにした絵本『じごくのそうべえ』がある。
こちらの方がなじみのある人も多いのではないだろうか。幼いころに幼稚園で読み聞かせをしてもらった記憶がかすかによみがえる。
軽業師のそうべえや医者、山伏(修行僧)、歯医者などが、それぞれの特技を生かして地獄の刑罰をのらりくらりとやり過ごしていく。最後は閻魔に地獄から追い出されてしまい生き返るという話である。(落語のサゲは絵本とは違い、ぬるくなった釜茹でに入り「極楽、極楽」と言って終わる)

この話から要素を取り入れるならば、主要人物というよりは過去の出来事として登場させたり、地獄の過剰なシステム強化の説明に用いられたり、旅の傍らに騒動を起こす人物として登場させたりするにとどまるだろう。
ただ、地獄を恐いものとしてではなく親しみやすい面白いものとして紹介するところは参考にしたい部分である。

インプットとして

『六道冥と地獄を旅する(仮題)』を書くにあたって、まだ西洋のイタリア文学として『神曲』と日本の落語『地獄八景亡者戯』、絵本『じごくのそうべえ』、アニメ日本昔話『地獄のあばれもの』くらいしか参考にするものがない。
私が知らないだけで、たぶん中国文学にも地獄を旅する話の一つくらいはあるだろう。また芥川龍之介『蜘蛛の糸』など地獄を題材にした話も取り入れ方によっては光り輝くものがあるだろうと思う。

日々の読書で語彙やレトリックを学ぶとともに、地獄に関する文学にも触れていき、早々に草稿を練り上げたい所存です。
たぶん5月の文学フリマには間に合わないと思いますが、文章量次第では夏のコミックマーケットまでには書き上げられればいいなと楽観視しています。なにしろ鉄は熱いうちに打たねばなりませんから。

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