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デレ・オジョ&ヒズ・スターブラザーズ・バンド「JUJU MUSIC AT ITS BEST」のライナーノーツ

1950年代から1970年代ぐらいにかけて、西アフリカの音楽をこぞって録音しリリースしていたレーベルは様々あるが、一番作品が多いのが英国のDeccaとオランダのPhillipsだ。

前者にはWest African Series、後者にはWest African Recordsという専門のサブレーベルのようなものがあって、競い合ってたかどうかは定かじゃないが、それぞれ様々なアーティストをリリースしていた。

どちらも集めていて感じるのは、Deccaはわりと似たような系統(たぶんレコード会社主導であえてそうしてたんだと思うけど)のリリースが多いのに対し、Phillipsは節操がないといった印象。

DeccaはSP盤から始まって、一つの楽団で何枚かシングルをリリースさせ、後々それらをまとめて10インチにしてリリースする、というスタンスでいたようで、むやみやたらと7インチを収集し、あとから10インチを手に入れてみると既に聴いたことのある曲ばかりだった、ということはよくある。当時のガーナに限っては、楽団のメンバーがとても流動的だったみたいなので、10インチをリリースすることなく7インチだけで消えてしまった楽団は、それまで活動を維持できなかったということなのだろう。

どちらもそれぞれ特色があって良いのだが、こと、10インチの情報量に関しては圧倒的にPhillipsに軍配が上がる。裏ジャケにはだいたいにおいて誰が書いたかはわからないが解説文が記載されている。Deccaにはそれがなく、West African Seriesの宣伝に終始してる。

当時のガーナやナイジェリアのハイライフ・シーン事情を残す文献も極めて少ないため、この解説文はとても有益なものである。なので、せっかくだからちょこちょこ意訳して残していこうかな、と思ってるのである。

前置きが長くなった。
というわけで、今回はデレ・オジョである。

DELE OJO & HIS STAR BROTHERS BAND - JUJU MUSIC AT ITS BEST
NIGERIA / PHILIPS WEST AFRICAN RECORDS (HOLLAND / PR13410)

デレ・オジョは、英国からの独立後のナイジェリアで隆盛を極めていたハイライフが廃れ始めていた頃、代わりにポピュラー・ミュージックとして注目され始めたジュジュ・ミュージックとの転換期に活躍したミュージシャンである。なので、彼の音楽はサニー・アデやエベネザー・オベイに比べるとハイライフとのクロスオーバー的な要素が多い。

この作中屈指の名曲である"24:49 / 09.BOUNCING BONA"は特にそれが顕著で、アップテンポなリズムはハイライフのそれである。

デレ・オジョは2018年に73歳で亡くなったが、当時追悼の意味を込めてYouTubeに彼のシングルを何曲かアップしたところ、とてもたくさんの再生回数を記録し、コメントも多数もらった覚えがある。とても愛されていた人だったようだ。

ただ、そのハイライフからジュジュへと移る時期に、彼にはI.K.ダイロという同じヨルバ人のライバルがいたそうだ。ハイライフ〜ジュジュを好きな人からすれば、どちらも偉大なアーティストであることは間違いないが、当時、ジュジュへの移行を選んだダイロに対し、ハイライフとのクロスオーバーを試みたオジョは、圧倒的なセールスの差でダイロの前に敗れたという逸話もある。まあ、真偽のほどは不明だが。

以下、「JUJU MUSIC AT ITS BEST」のライナーを載せる。文中でも言及されているように、デレ・オジョの画期的なところはそれまでヨルバ語やイボ語などで歌われていたハイライフやジュジュに、積極的に英語を取り込んだところだろう。ヒット・シングルである"I Don't Know Why She Loves Me"や"I Love You"、”One Nigeria”などはそれの最たるものだと思うが、残念ながらそれらは今作には収録されていない。

もちろんなんでもあるハイライフヘヴンYouTubeにはあるので、そちらを載せておく。よかったらライナーを読みながら聴いてみて欲しい。

●ライナーノーツ

音楽は心を楽しくさせるよく知られた芸術であり、誰もがその音楽に合わせて踊ることは狂おしいほどのリラクゼーションだと感じている。どのような音楽でもそれは同様である。デレ・オジョ(=Dele Ojo)のジュジュ・ミュージック(Juju music)ももちろん、そのようなリラクゼーションのための時間を提供してくれるのだが、残念ながらそれはあまり評価されていない。
ナイジェリアのオンド州(=Ondo)からやって来たデレは、1940年にイララ・アクレ(=Ilara-Akure)と呼ばれる小さな村で生まれた。小学生の頃、彼は非常に優秀だったが、ロイ・シカゴ(=Roy Chicago)の影響を受けて音楽への興味を掻き立てられた。15歳で学校でのバンド・リーダーになり音楽のキャリアをスタートさせると、1959年には生徒達の先生になり、1961年には有名なナイジェリアのミュージシャン、ビクター・オライヤ&ヒズ・オールスターズ(=Victor Olaiya & His All-Stars)の2番手のトランペッターとして参加するまで、音楽への関心は高まり続けた。
このバンドで才能を開花させたデレは、すぐにオライヤのバンドを離れ、自分の活動を模索するようになる。それは確かに簡単なことではなかったが、彼はすぐにオーディエンス達が自身の作り出したものを聴いて、それを気に入っていることに気付くことができた。そして、オジョジ・ダニエル(=Ojoge Daniel)やアレム・デヴィッド(=Aremu David)のような他の音楽家たちや、多くの人たちからの少しの励ましを受けて、この若い新進気鋭のの音楽家は常設のジュジュ・バンドを結成することを決意した。こうしてデレ・オジョと彼の "オール スター・ブラザーズ・バンド”は1963年に誕生したのである。デレが23歳の時だった。
今作には収録されていないが、デレのヒット・ナンバーである”I Don't Know Why She Loves Me”はイギリスで王冠(何かの賞?)を獲得した。 今や彼はジュジュ・ミュージック界のキングと言っても過言ではない存在である。ジュジュ・ミュージックを演奏しているが、デレは非常に宗教的な人物でもある。ちなみに”デレ”とは”家に帰れ”という意味で、彼の人気の高いジュジュ・ミュージックは、ナイジェリアだけでなく、海外のあらゆる幸せな家庭で浸透し、実際に入り込んでいる。
ジュジュの楽曲に積極的に英語を取り入れたのが画期的で、この点でファンを虜にしているのが彼の強みである。 彼の音楽は、スムーズで巧みな解釈と、聴きやすく聴き応えのある音楽だ。彼のアルバム「Juju Music At Its Best」はそれを物語っている。
デレ・オジョは本物の才能の輝きを持っている。彼は自分の天職に専念する男であり、その効率の良さは努力の賜物である。デレのジュジュ・ミュージックのポテンシャルは他の追随を許さないものであり、彼の未来はまだまだ明るい。


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