見出し画像

「金」という魔物③〜友情の値段〜

愛とか友情とか、そういうのには

値段なんてつけられない、という人がいる。

元々の僕なんかも、まさにそうで

幼い頃から友達は少なかったから

生きる間、他の何より「友情」優先だった。

そして幻想は、儚く脆く崩れ去った。

前作での、彼が原因の負債を足して

僕は友情の値段は、30万程度と思っている。


それより長い付き合いで、

裏切られた人も世の中にいるだろう。

僕なんかより、

もっとひどい暮らしになった人もいるはずだ。

だから、あえていつも言う。

少なくとも友情には、ある程度の金額がある。


卑屈にはならない

とはいえ、前作でも言ったように

そう思い始めてから

知人や友人には依存しなくなった。

形のないものや、意味のないものに期待をしない。

人は裏切るし、その裏切りの定義も

人によって曖昧なのは事実だった。

「毒を以て毒を制す」ではないが

生きにくいと感じていたり、

人が信じられないと思う人は

過度に期待しすぎなだけだ。


生きるとは

夜の仕事をしていると、

よくいろんな人から相談を受けた。

夜の仕事をあがってからも、

よくいろんな人から相談を受けた。

一番多いのは、いつもどこでも

「何のために生きてるか分からない、死にたい」だった。

みんな、生きようともがいて

やっぱり生きづらい世の中だ。

僕はいつも同じ言葉を返していた。

『生きるというのは、その何かを探す旅のようなものだよ。』

『何のために生きてるかなんて、死ぬまで、もしくは死ぬときに分かったら幸せなんだよ。』

人はすぐに裏切るし、人は冷たい。

だけど僕は、それでも信じたい。

人は優しいし、温かい。

僕はただ信じたい

人と、人を信じた自分を。

それを自分に言い聞かせるように、

人にも話した。

人は自分の話を聞いてほしいだけの生き物だから。

こんな僕でも生きていられる。

みんな人生に絶望しすぎだ。


「金」

お金は大事というが、

お金というもの自体に大きな価値はない。

それを生み出すことに価値がある

お金だけがあっても使い切ってしまえば、おしまいだ。

そこは人間関係だったり、自分の能力だったり。

環境次第で、お金は魔物にもなるし、その逆もありえる。

今の僕には悔しいけれど、

大金持ちになるようなスキルも人脈も信用もない。

だけどお金があれば、人を守ることもできる。

「お金がなくても愛があれば大丈夫」

これは僕もよく聞く言葉だし

言われたら嬉しいものだけど

事実そうなのかは甚だ疑問だ。

お金があるその人と、お金がないその人なら

お金があるその人の方がいいに決まっているし

例えば、彼女が強盗に人質に取られたとしたなら

お金があれば守れる。

結局は、お金があれば人も守れるわけだ。

なのに日本人は特にお金に関しての価値観が狭い。

道徳心や、モラル、人目を尊重する。

そりゃもちろん法に引っかかることはダメだけど。

お金を遠ざけているのは、僕たちの方なのかもしれない。

僕はもっと素直に「お金が大好き」と主張したいと思う。



神様はいると思った

別にスピリチュアルな話をするつもりもないし

僕にはそういう知識は全くというほどない。

ただ、そう思うしかないことがあった。

東京に遊びに行った時、

10年前に付き合っていて

今は連絡先すら知らない元カノさんにばったり会ったこと。

僕は思い出を補完するために東京に行ったから

その人に会えたことは、心底嬉しかった。

やましい気持ちはない。

自分の気持ちにケリをつけたかっただけだから。

それともう一つ、

帰郷する数日前にスマホを盗られてしまったこと。

そのおかげでいろんなものを失った。

そこで学んだことは大きく分けると2つ。

①あっという間に自分の資産を盗られることがあるという現実

②他人のために走り回れる人がいるという優しさ

これを学ばせるために

神様がいて、僕にリセットをかけたんじゃないか

そう思っている。

ちなみにスマホは神奈川県で見つかったらしい。

見つかったことに関しても

やはり神様はいると思った。


自分の資産を盗られる恐怖

携帯の中に入っていたデータは

もう取り戻しの効かないものもある。

それが自分の中でも一番価値があるもの。

幸い、取り戻せたデータもあったが

それでも盗られたとしたら一瞬で失う。

お金だってそうで、盗られてしまえば

結局は泣き寝入りの可能性だってある。

世の中には悪い人がいる。

それも事実。

どこかで僕は甘えていたのだった。

奪われるより、奪う側に回るなんて危険思考はないが

積み上げるのに苦労しても

奪われるときは一瞬ということを知っておくべきだ。

特にお金なんて目に見えるもののせいで

追い詰められた人間は

何をするかわからない魔物になる。

お金に操られているんだ。


他人のために走り回れるか

実はスマホを盗難される前に一度、

スマホを渋谷の街中で落としたことがあった。

そのために走り回ってくれた人たちがいる。

結果的にその時は、その人のおかげで見つかった。

僕の数少ない情報から見つけ出してくれた。

そして、盗難されてから

僕のためにたくさんの人が動いてくれた。

自分のための時間を捨ててまで。

この恩は忘れない。

そして思った。

やっぱり人は優しい。

だからお金より大事なものは本当にあるんだと思う。

これがあるから、僕はまだ生きていける。

死にたくなるほど嫌なことだらけだけど

死ぬ勇気もなけりゃ、生きてるだけで幸せはたくさん転がっているから。


覚悟

①の時に少し文字にしてたけど

なっちさんのブログ記事に触発された。

それは、あの記事に本当の覚悟を見たから。

僕の覚悟が、どれほどに薄いのかを実感してしまった。

どこかで覚悟が足りなかった。

今回の『「金」という魔物』シリーズはこれが最後で

ある意味、今の自分の現状が腐っていること

それを発信したかった。

本当に伝えたいことは②で書いたし、

この③は振り返り日記みたいなものだから

人の目に止まらなくてもいい。


何もせずにお金は発生しない。

行動もしないで、お金が欲しいは甘えだ。

好きなことを仕事にする、それは聞こえはいいが

好きなことを仕事にする=ラクではないこと。

好きなことを仕事にするために

好きじゃないこともやらなければならないこと。

それをもっと身に染み込ませていかなければならない。


僕の友人がこんなことを言っていた。

『なぜ人はキツいと感じるのか

それは努力をしてなかったから。

お金がなくてキツいのは

仕事をして稼ぐことを怠ったから。

体力的にキツいのは

体力をつけなかったから。

体調が悪くてキツいのは

食べるもの、睡眠等、体調管理を怠ったから。

キツいなら努力すること

それ以外は全部逃げ。』

確かに、そうだ。

僕はいつも言い訳だらけだ。

考えろ、思考しろ、動け、動け、動け。


この記事に覚悟を込めて。

お読みいただき、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?