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M・STORIES 32/100 「わがはい日記」

ある日の事

大学生の時以来かな。「赤毛のアン」を読んだ。初めて読んだのは村岡花子さん訳の物。最近松本侑子さん訳のものがあると知り久々に読んでみたくなった。天真爛漫で真面目でドジで憎めなくて可愛くて、何とも素敵な時間でした。その後今回の翻訳家松本さんが書いた『誰も知らない「赤毛のアン」』を読んでみた。モンゴメリの半生や赤毛のアンの時代背景などをまとめた本なのだけれど、その本が衝撃的でした。モンゴメリは筆まめで日記をしっかり書いており、そこには生活のことや、日々の気持ち、どう言う思いで物語を書いていたかなど思いのままに書かれてあったらしい。

赤毛のアンにはたくさんの続編がある。ただ私は続編を読む気になれず、開いては閉じを繰り返し結局全く読んでいない。妹たちは本当に楽しそうに読んで感想を述べ合ったりしていたのに、妹たちのことが羨ましくなり本を開いてはみるのだが、読み進められず結局閉じてしまって読めなかった。それがどうしてなのか自分でも不思議ではあったのだけれども、要するに「面白いと思えなかった」と言うのが本当の気持ちなのだけれども。何で面白く思えなかったのか。きっと最初の「赤毛のアン」の流れと続編の流れが全く違っていて、赤毛のアンの続編として読むに耐えられない物だったから。全く別物の小説としてなら読めたと思う。でもアンが出てくるしね。

よく映画でもあるよね。続編が出て一作目には敵わないってこと。2サク3作と書くつもりで書き進められて物語なら作者もそう言うつもりで書いているので物語は続いていくんだと思う。でも赤毛のアンの様に作者は一回ピリオドを打った物語を改めて次作を描くとなると全く熱量が違ってくるのだと思う。幼いながらも敏感だった私は作者の温度差を感じて読み進められなくなってしまったんだろうね。

『誰も知らない「赤毛のアン」』にはそのことが正しく書いてあった。

やっぱりと思ったし、作者の辛さが垣間見れそれでも書き続けたモンゴメリの強さが感じられて、本つに良い本を読んだと思った。

これからも私は続編は読めないだろうな。でも「赤毛のアン」何度となく読み返すんだろうと思う。

狸の皮をかぶった猿がお届けしました。

(動物占いで私はサル 自由奔放なサルなのに 人を馬鹿して取り繕う狸をかぶっているんだそうです。という訳で狸の皮をかぶった猿となりました。)

以上




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