チバユウスケとわたし

インスタで書いた内容ですが、ここだけで繋がっている人もいるので少しだけ加筆して載せました。自分が音楽やる上で、この人の影響は計り知れないので。



2023.11.26

こんなに夢中になったものは人生で他になかった。彼らの音源、グッズ(そういやトランクスとかも持ってるな)、彼の参加してる別名義音源から、彼がお勧めするバンド、ヘッドコーツ(軽音でカバーした)、ドクターフィールグッドも掘っていった。彼が帯を書いてる漫画Bambiも持ってる。Bambiの作家カネコアツシの漫画もたくさん揃えた。

大学の軽音のときのバンドメンバーに勧めまくって全員好きになってたし、一緒飲みながらVHS録画したライブ映像見て一緒に歌ってた。その1人と初め大阪で再会してバンドを始めた。ふたりでsix needle clubて名乗ってた。2年持たずに彼は音楽やめたけど。

色んな編成でのライブを見にいった、ROSSOの広島公演のライブのときは「お前ダイブしてたときに殴ってきただろ」ていかつい人に絡まれたな。殴ってないし誰やねん。それぐらいライブハウスて、酒とタバコの煙、たまに暴力がある、こわい場所でした。とくに彼ら界隈のお客さんはいかつい人多かったな。

映画の試写会でのwet fingersのライブも行ったな。大阪出てきて初めて1人でライブ見にいったのがアメ村のganja/acidの○周年イベントでのBirthday、北加賀屋名古屋造船だった。

関西ゼロ世代?田舎者の自分はまったくそのシーンしらんくて、ペンペンズ(好きとか嫌いでなく、初めてのものを見た)とかそれらのアンダグラウンドなバンド見て、なんなんだこれは、一体、、、とか思いながら、トリのBirthday待ってた。タクシーで真横通って会場の裏まで入ってきたときにはしびれたな。

言葉描いたり、絵を描いたりする作業デスクの左手には彼がシャウトしてる、写真展のフライヤーを飾っています。京都の小さなかっこいい本屋で開催されてました。彼みたいになりたいなって思って音楽をはじめました。いつか会ってみたかった。本当にありがとうございました

追記 今年何度か書いたけど、去年後輩、今年先輩のバンドマンが亡くなりました、身近な死が重なり、そんなとき春頃から最も敬愛する歌い手のチバユウスケ氏は療養中で(当時)、今回最悪の結果になってしまったけど、ああ全部全部有限やなと感じました。知ってたけど人て死ぬんやなって。みんな順番に、たまに順番抜かしで。(祖父や祖母が亡くなるのとはまた全然異なる命に対する気持ちでした、変な意味でなく)

去年から、それら一連のことがギブストの今回の決断でした。いつまでもバンドやれるか分からんから、めちゃくちゃにやりたいなと思ってます。音楽やってるときぐらいめちゃくちゃ楽しくやらせてほしい。これからもずっと。

自分に対して、もちろんチバユウスケ氏は遠い存在で身近な死ではない、今回親族とメンバーに見守られ息を引き取ったそうだが、そばにいる大切な人が亡くなるときてどんな気分やろな。想像するとなかなか耐え難い。生きていくことは別れに何度も遭遇していくことなんやな。手に届く範囲の人を大切にしたいですね。

やりたいことやりまくりたい、やりまくましょう。人傷つける以外全部やったらおっけ。恥かいても全部問題ない。この先音楽やらなんやらで、また接点がある人はまた遊びましょう話しましょう、酒飲みましょう。絶対お元気で!おれは誰に言うとんや。なんのテンションや。

アルゴリズムのせいで、お陰で、各SNSおすすめにはチバユウスケ関連のポストが毎日上がる、youtubeでもそう。いろんな過去動画見て本当に毎回涙が込み上げる。遠い存在ではあるから実感がない(普段顔を合わせる人がいなくなるということとは違うので)ってのもあるけど、そういうものを目にする度、毎度事実なんだと思わされる。何回も何回も事実なんだと食らわされる。当分消えないが、人の死ってこういうもので生きてく上でそれを通過して行かなければならないものやな。去年から近しい死がいくつかあり、死生観も少し変わったな。いい意味で。少し色々クリアになった気がしてる。やるしかないし、それでも生きていくしかなくて、、。
あぁ寂しいな、ありがとうロックンロールヒーロー、チバユウスケ。

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