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塩一トンの読書/須賀敦子

「ひとりの人を理解するまでには、すくなくも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ。」(p.9)
「「自分で読んでみる」という、私たちの側からの積極的な行為を、書物はだまって待っている。」(p.11.12)
「わかいころ私たちは、あらゆることにおいて、自分の選択が、人生の曲り目を決定していくと信じていた。プラトンを読んだり、小説を書こうとしているジュゼッペにもそんな時代はあったはずだ。しかし、人間はある年齢になると、自分の選択について、他人にも、自分にたいしてさえも、説明することをしなくなる。説明するにはあまりにも不合理なところで人生が進んで行くことを、いやというほど知らされているからである。」(p.93)
「強いていえば、この国では、手早い答をみつけることが競争に勝つことだと、そんなくだらないことばかりに力を入れてきたのだから。」(p.157)
「人が生きるのは、答をみつけるためでもないし、だれかと、なにかと、競争するためなどでは、けっしてありえない。ひたすらそれぞれが信じる方向にむけて、じぶんを充実させる、そのことを、私たちは根本のところで忘れて走ってきたのではないだろうか。」(p.157)

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