見出し画像

夜の駅に特急を待つはわれ一人しんしんとしてまこと晩年 西勝洋一『晩秋賦』

今日は一月三十日。
西勝さんの三回忌なので、なんとか今日のうちに書きたかった。

特急を待つ駅にいるのは自分だけ。待合室よりホームに居ることを想像する。外の広さ、夜の深さとの対比によって、独りであることが際立ってくる。〈しんしんとして〉は夜の駅の景であると同時に自身の心の有り様でもあるだろう。静まり返り、澄んでいくこの夜の心持ちこそ晩年というものなのだ、というのが下の句の歌意だと読む。
亡くなってしまってからこの歌に触れたので、まるで特急があちらの世界に連れ去ってしまったかのように感じてしまう。そこまで言ってしまうと歌の鑑賞を越えてしまうだろうか。

この歌を詠んだのは令和元年とある。ちょうどその辺りの数年は、しばらく西勝さんにお会いしていなかった時期で、すでに健康に不安があったのかはわからない。本当に晩年になってしまったけれど、晩年という感覚が御本人にあったのだろうか。

最後にお会いしたのは亡くなる二ヶ月前だった。短い時間だったけれど、久しぶりにお会いして、西勝さんの著書のことを話したり、他の人の歌集のことを話したり。夏になったら旭川の文学館を案内してくださるという約束を取りつけて、ぜったいですよー!と、お別れした。呼吸器科に通院しているとその時に聞いたが、まさかこの会話が最後になるとは思わなかった。

次の夏、西勝さんの居ない旭川に吟行に出かけた。駅前の道を、その偉ぶらないお人柄のことなどを話しながら歩いた。やけに眩しい夕方で、胸がいっぱいになったことを覚えている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?