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挫折と思ってたことが

とにかく2年でプロになることを目標として、23歳で渡仏したわけだが、そんなに甘い世界ではない。そもそもエリート1年目でアマチュアの一番下のカテゴリーからスタートする時点で、ヨーロッパのプロチームの監督の目線には入らない。失礼な例えになるかもしれないが、東南アジアから日本にやってきた22歳の青年が、プロ野球のドラフト目指して草野球から始めたところで、なかなか難しいものがある。当時の自分はそんな感じ。

3年目は、日本に帰るしかなく、仕事は時々バイトしてたママチャリ屋さんのスポーツサイクル専門店ですることになり、自転車業界には残ることができた。当時、上司となったのは自分が自転車を始めた時からお世話になってる方で、親切丁寧に自転車の組み立て、修理に関わることを全て教えてくれた。

当時の自分がコース案内したサイトが残ってたので添付します。

しばらくすると、店長として勤務することになるが、月の休みは4日!レースは続けてたので、土日にレースに行ってしまうと、その月の休みはあと2日間だけになり、結構しんどい経験だったが、自転車のことが好きなのが救いで、仕事は苦にならなかった。

おかげさまで、売り上げは好調な店舗で、あともう少しで年間1に到達できるぐらいの規模の売り上げがあったので、毎日、修理や組み立ての嵐だったことを覚えてる。毎日の昼食はのり弁で、好きと言うわけではないが、昼食を選ぶのも面倒、そんな時間感覚だった。おかげで、様々な経験ができたので、今でも自転車に関する大半のことはできる。おまけに、収益を増やすためには、単価の高いものを販売したり、効率よく修理をこなす必要があったので、高級な自転車を精度高く組むこともできるし、クロスバイクの修理を時短で終わらすこともできた。

今、この経験は、アドバイザーとして契約してるヨネックスの試乗用バイクの組み立てに役立っていたり。

自転車イベントなどで、遠征した先でトラブルが起きてしまった時などに役立っている。
ツールド湯平で小島よしおさんと一緒にゲスト参加させてもらったことがあるのだが、なんと小島さんの自転車のサドルを固定するボルトが輪行中になくなるというトラブル。自転車と写ってる写真、よく見るとシートポストの付け根にぽっかりと穴が空いてるでしょ?

なんとかサドルが下がってしまわないように固定することができ、サイクルイベントを完走することができた。

桂がフランスで、自転車を壊してしまい、代車についてたFSAのBBにウェーブワッシャーという写真のようなパーツが無く、適度な玉当たりをBBに与えることができなくて、クランクにガタが出ている時もペットボトルの底をくり抜いて自作のウェーブワッシャーを作ったりもした。

この他にも、自転車の知識があってよかったと思うトラブル解決事例は少なくない。

当時の自分は、挫折期間だと思ってたが、実はとても大切な時間だったのかもしれない。

台湾のチームの誘いを受け、UCIアジアツアーを転戦することになり、ツールド台湾(写真)からレベルの高いプロトン(集団)に戻れた時の感動は今でも覚えてる。


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